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吉田神社から600㍍ほど行くと、右前方へ入るY字路があり、その角にお堂があった。
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お堂の中には、大きな石の地蔵があった。あまりに大きく、顔が見えなかった。
柱には「開明地蔵大菩薩」と書かれていた。
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お堂の入口から見上げると、文字の書かれた白い布を首に巻いたお地蔵さんの顔があった。
「これは宝永6年(1706)3月の建立で、川越藩の「御仕置場跡」つまり処刑場があった場所である。仙波、小中居上留村、自井沼、上村、留村、二ノ関の各村より二人ずつの僧と、近くの村に住む有志が建てたもので、一名「首切り地蔵」とも呼ばれている。もとは烏頭坂の近くにあったが、だんだん人家が出来たので、江戸時代中期になってこの地へ移したのだという。」
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「その右側には、明治45年(1912)吉野半蔵によって建てられた「三界万霊有無両縁」の石塔もある。」
お堂の右側の囲いの中に、尖端の尖った小さな石塔があり、その前には花が供えられていた。