気ままな生活 一枚の写真

一枚の写真からプログが始まればと思っています。

札幌建設の第6弾

2008-11-15 23:43:21 | 昔話
1874年(明治7)から1876年(明治09)ごろまでの話です
1874年(明治7)は屯田兵制度の制定され黒田清隆が、開拓使長官になっています

上記地図は1877(明10)石狩国札幌市街之図に加筆しています
A:豊平村
明治4年(1871)3月に岩手県から59戸が平岸に、同じく岩手県から49戸が月寒に入植し
月寒村と平岸村と豊平村で、同7年に豊平村となりました
B.C:札幌官園
札幌官園で牛、馬、羊などを飼育しだしました
D:開拓使仮学校

東京の開拓使仮学校が札幌に移り札幌学校となる。(北1西2)
年度は1875年 明治8に変わり
 
最初の屯田兵198戸・965人が琴似に入植しました
現在琴似神社境内に現存しています
屯田兵屋
 
E:札幌養蚕室                              F:札幌製糸所
F:桑園 山形県士族が桑園を開墾しました
 
豊平橋架設足場            H:豊平橋側面
年度は1876年 明治9に変わり

札幌農学校全景               札幌学校講堂
I,D:札幌農学校
札幌学校が札幌農学校と改称し開校
W.S.クラーク博士の札幌農学校に就任しています
 
J:開拓使葡萄酒醸造所      K:開拓使麦酒醸造所
 
K:開拓使麦酒醸造所            ビ-ル商標(開拓村)
L:山鼻村
屯田兵240戸が山鼻に入植

M:公立第一小学校(創成小学校)
黒田長官はケプロンの献策にもとづき基盤整備事業を起こしたが、
たちまち支出超過を招いた。
明治6年(1873年)に事業を縮小し、即効性を求めて産業振興に重点を移した。
これにより官営の工場など施設が次々と建っていきました
札幌建設の第6弾

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