気ままな生活 一枚の写真

一枚の写真からプログが始まればと思っています。

道南ドライブ記⑤~夷王山墳墓群~

2009-06-04 17:10:10 | 写真(風景)

夷王山の麓
勝山館跡の調査では、偶然だったそうで、その初期にごみ捨て場を掘り
その中から大量に骨角器が出てきたそうです。
勝山館跡の後方、夷王山の麓に、6カ所にわたって650
余りのお墓があり、「夷王山墳墓群」と呼んでいます。
墓の作り方にいくつかの違いのあることが分ってきたそうです
 
Ⅱ‐125号                 Ⅱ-136 号
Ⅱ‐125号
墓は浅い丸い穴の中で遺体の入った棺を焼いて、そのまま骨ごと埋めたのだろう。
Ⅱ-136 号
墓というのは十文字に浅い溝を掘って、その上に薪を積んでさらに棺を置き、火葬したらしい。
径30 ㎝ほどの穴の中から火葬骨がまとまって出てくるお墓がありました。
今と同じように火葬をした後で骨を拾い集めて埋葬する、そういうようなこともやっていたようです。

 
Ⅱ-5号墓、14 号墓          ガイダンス施設周り墳墓
これらはみな、体を折り曲げて棺の中に入れて、北枕にして葬った土葬のお墓です。
中に赤い漆塗りのお椀や皿、お金を添えております。
中には硯が入っていたり、釣り針、毛抜き、あるいは数珠が入っていたりするものもあります。
副葬品はさまざまですが、基本的にはお金と漆器を添え火葬ないしは体を折り曲げて
北枕で埋葬するという、仏教を信仰する人たちのお墓であると考えられます。
これらの墳墓群は勝山館を築き道南地区の統一を目指した一族や中世の上の国の人たちでしょ
 
Ⅰ‐98 号墓                     Ⅱ-3号墓
Ⅰ‐98 号墓
太刀が2本、小刀が真ん中と南西隅の方に一本ずつ、それから漆器が2つありました。
それから、二人分の歯が残っていました。北側の方は残っていたのは歯だけでしたが、
南側の方は、土の違いから頭や顔の形を掘り分けることができました。
ちょうど耳のあたりに丸い輪がある。
玉がついていて、いわゆるニンカリと呼ばれる耳飾りをつけていることがわかります。
これらはどうもアイヌの人の墓、少なくとも江戸時代のアイヌの墓と作り方としては
全く同じだと言った方がいいと思われるそうです。
Ⅱ-3号墓
体を折り曲
げて棺の中に入れて、北枕にして葬った土葬のお墓です。
ここでは
函館の近郊に駒ヶ岳という山があり、この山は1640 年に噴火して降灰がありました。
ここ上ノ国にも、記録があり、遺跡などを発掘した時に、それが下から出てきので、
この墓は1640 年という噴火の年よりも前のものとわかります。

勝山館が機能していたのはおよそ1470 年から1600 年ですが、
それより前の時代のアイヌの墓ありまた
勝山館の中にいた人たちを葬った墓地の中にも、アイヌの墓がある。
、寛文9年のシャクシャインの蜂起のことを記録した津軽藩の記録に、
上ノ国には家が140~150 軒あるが、蝦夷もいた。つまりアイヌも一緒にいたと
いうことになります。
*上記の写真は勝山館ガイダンス設備内の展示物
ガイダンス施設の真下にある墓をそのまま型取りしたレプリカです
時間があればゆっくり見学が出来るころでしたが・・・・・・

追記 2009-06-04 17:00
「和人地」に見るアイヌ文化として 上ノ国町教育委員会のかたが
発掘内容の発表をおこなっております
アイヌ文化振興・研究推進機構 平成18年度セミナ-
もしくは 「和人地」に見るアイヌ文化 で検索していただくと出てきます

画像 2009-05-05 上の国