今年は
各サークル活動の研修旅行を数回ほど参加しました。
先日は、群馬県の山間部の
養蚕を支えた家屋が立ち並ぶ地域
六合赤岩重要伝統的建造物群保存地区の見学研修でした。
上毛新聞主催のイベント(ウォークラリー等)に参加し
翌朝の新聞には私の写真が偶然にも大きく載りました。
(新聞の写真なので誰にもわからないと思うが)
地区のガイドさんの説明を聞きながら
フムフムと・・・
保存地区に指定されると大変なんだなぁと感じながら・・・
また 私ならここに住めるかな と思いを巡らせ
いやいやここは見学に遊びに来る所かなと・・・
三階建ての大きな農家 出梁(デバリ)とセガイが特徴
>デバリ…二階の外に廊下今で言うベランダかな
>セガイ…軒先を広く屋根をせり出し作業しやすくする
1803年の大火の教訓から土壁造りの珍しい建物
(幕末の蘭学者高野長英をかくまっていたという)
我が市と同様
高齢化と少子化で
将来は?と心配の方が先に走る。
体験コーナーでは
組ひも
真綿作り
座繰りの体験などしてきました。
又 冬住の里資料館も見学
六合村は草津で温泉を営む人々が、
酷寒を避けて冬の間だけ移り住んだことから、
明治時代以前より「冬住の里」と呼ばれたそうです。
草津温泉にこんな歴史があったなんて知らなかったです。
まさしく びっくりポン の状態でした。
群馬に住んでいながら
知らないことばかり
少し時間ができそうなので
せめて上毛カルタに読まれている場所は行かなくてはと思いました。
よろしければ ぽっちとお願いします。
にほんブログ村
各サークル活動の研修旅行を数回ほど参加しました。
先日は、群馬県の山間部の
養蚕を支えた家屋が立ち並ぶ地域
六合赤岩重要伝統的建造物群保存地区の見学研修でした。
上毛新聞主催のイベント(ウォークラリー等)に参加し
翌朝の新聞には私の写真が偶然にも大きく載りました。
(新聞の写真なので誰にもわからないと思うが)
地区のガイドさんの説明を聞きながら
フムフムと・・・
保存地区に指定されると大変なんだなぁと感じながら・・・
また 私ならここに住めるかな と思いを巡らせ
いやいやここは見学に遊びに来る所かなと・・・
三階建ての大きな農家 出梁(デバリ)とセガイが特徴
>デバリ…二階の外に廊下今で言うベランダかな
>セガイ…軒先を広く屋根をせり出し作業しやすくする
1803年の大火の教訓から土壁造りの珍しい建物
(幕末の蘭学者高野長英をかくまっていたという)
我が市と同様
高齢化と少子化で
将来は?と心配の方が先に走る。
体験コーナーでは
組ひも
真綿作り
座繰りの体験などしてきました。
又 冬住の里資料館も見学
六合村は草津で温泉を営む人々が、
酷寒を避けて冬の間だけ移り住んだことから、
明治時代以前より「冬住の里」と呼ばれたそうです。
草津温泉にこんな歴史があったなんて知らなかったです。
まさしく びっくりポン の状態でした。
群馬に住んでいながら
知らないことばかり
少し時間ができそうなので
せめて上毛カルタに読まれている場所は行かなくてはと思いました。
よろしければ ぽっちとお願いします。
にほんブログ村
こちらで育てた蚕の繭は、富岡に運ばれたのでしょうか
綿って平たく作るのですか ??
昔白川郷へ旅した時、合掌造りの上の方の階でお蚕を飼っていたと
聞いたようなおぼろげな記憶が。
養蚕ってmy故郷では、あまり盛んな産業では、在りませんでした
当然のことですが富岡を支えるためいたるところにあったのでしょうが、
文化歴史遺産として現代に残っているが凄いね。
群馬は草津温泉しか行ったことがなく、
もう少しいろんなところを巡りたくなりました。
こちらでも近所で使われなくなった桑の木だけが、
毎年大きくなり枝を切られの桑畑があります。
当時は日本国中が養蚕農家だったことを伺い知れます。
この様な農家つくりの家が当たり前でした。
母の実家もこの様な家で今も住んでおります。
二階は体育館のような広さで
お蚕を飼ってました。
よくおばあちゃんがマブシの繭をかいでいたのを思い出します。
私もよく手伝いました。
たぶん富岡に運ばれて生糸になったかも
その当時は製糸場がいろんなところにあったかと思います。
県外からきた方は
前橋に入ると
あの独特なお蚕の臭いがしたようです。
真綿はこのような四角で
布団を作る時に二人で引っ張って
伸ばし綿を包んで布団を作りました。
我々の年代は
養蚕の思い出は子供のころの生活そのものでした。
今の家に嫁いだ時も
一番良い部屋はお蚕様がおり
暗い寒い部屋が我々の寝室兼居間でした。
懐かしい思い出です。
上州弁は少しぎこちないですが、
今ここ群馬が舞台ですで面白く見ております。
あの中に出てくる石原さんの演じている
船津伝次平は上毛カルタの ろ の読み札
ろうのう(老農)ふなつでんじべい です。
ですから
県民でしたら
誰でも知ってる方です。
少し前のドラマで登場した
同志社大学を設立した新島襄も
へいわのつかいにいじまじょう という読み札で
誰でも親しんでいます。
カルタは切っても切れない県民の心です。
これは
他県に誇れる文化かもしれないです。
草津温泉の泉質
硫黄・・・あの独特な臭い
これも群馬の誇る温泉です。
ゆっくり湯治においでください。
他にもよいことろ一軒宿が沢山あります。
偉そうにまだ行ってない所が多いのですが・・・
お蚕様なんですね
草津温泉の冬はきびしかったんですね
冬だけ住む村
お隣の県なのに知らないことがいっぱい
群馬県、日本の夜明けに貢献した県ですね~
今まさに日本の夜明けを切り開く所ですね。
富岡製糸場閉鎖なんて驚きました。
あそこで閉鎖されていたなら
今の群馬はどうなっていたのでしょうね。
県令様様です。
ともかく養蚕の県だったのです。
他県もそうだとばかり思ってましたが、
差がありそうですね。
私も栃木に行くことが少なく知らないことばかりで
みーばあさんの記事で賢くなってます。
またよろしくね。
写真を見てむかしを思い出しました、
真綿作り私もやりました手の平の上でぽんぽんと繭を伸ばして
から、枠にかけました、座ぐりもやりました、懐かしいです。
経験したような錯覚になってしまいます。
これが当たり前のような時代でしたね。
懐かしいです。
今これからしようとなると
やはり時代に背くことになり難しいでしょうね。
よき時代でした。