黒猫亭日乗

題名は横溝氏の「黒猫亭事件」と永井荷風氏の「断腸亭日乗」から拝借しました。尚掲示板が本宅にあります。コメント等はそちらへ

あの戦争は何だったのかを視聴して・・・そしてそれとは別に

2008年12月25日 | Weblog
昨日、テレビ番組「あの戦争は何だったのか」を視聴した。
私たちの年代は、学校でも明治時代以降の歴史はろくすっぽ教わらず、戦争があった、という事実しか知らない。恐らく戦争体験を生で聞いた最後の世代であろう事をかんがみれば、誠に恥ずかしい次第である。であるから、そういった興味を抱いて見させてもらった。
番組を見ていて、最近他番組でも知った事や、今回初めて認識した事がある。意外にも東条英機は開戦をのぞんではいなかった、という事である。戦争開始から終了まで務めた首相であり、A級戦犯として処刑された、悪者に仕立てるには至極わかりやすい人物であり、私もてっきりそう思っていたものだ。
開戦のキーポイントは「連絡会議」という私にとっては初耳の名前の会議。そこですべての命運が定まった。昭和天皇の意をうけて、戦争を回避しようとした東条の努力は実らなかった。
改めて思うのは、今も昔も変わらぬ外交下手。着々と開戦に備え、誘導してきたアメリカにまんまと日本は乗ってしまったのだ。「リメンバー・ザ・パールハーバー」のなんと空しく響く事か。アメリカ上層部は確実に真珠湾急襲を知っていたのに。引き金をひいたのは間違いなく日本だが、虐殺された彼らは同国民に見殺しにされたのだ。開戦のための大義名分を作るために。
私は昔、戦争体験のある人間に、直接聞いた事がある。「戦争はどうして起こったのか。」と。ごくごく幼い頃だ。その答えが「日本全体がダーっと戦争に向ってなだれ込んで行ってしまった。・・・いや、これはあの時居たものでないとわからないだろう。」と。言い得て妙、ではあるまいか。
あの戦争が一体何だったのか。その明確な答えは私には無い。300万人を越す人命が失われた事を思えば、軽軽しい事は言えはしない。ただ、敗戦以降60年間、日本はただの一人も戦争で人を殺していない。
敗戦後、戦力を無くす事を望んだアメリカが、今また日本に戦力を持つ事を望みつつある。愚行を繰りかえしてはならない、と愚昧なる私は思うのだが。

そして、ここからはさくらとちょっと交代する。

こんちはニャ。ワシ、さくらニャよ。
昨日、テレビ見ててびっくりしたんやけんど、飯島愛さんが亡くなったそうやニャ。・・・残念やニャぁ。ワシ、キレイな人好きやし。整形してたらしいけんど、そうゆうの変に隠せへんトコも含めて、ワシ、好きやったんやけんどニャ。
朝からテレビ見てたら、どうも色んなコメントが「自殺したんとちゃうか・・・」ゆう方向やけんど、ワシ、病死であって欲しいニャ。せめて。
・・・ほなまたかあちゃんと代わるわ。


最後になりましたが、さくら共々慎んでお悔やみ申し上げます。


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