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地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

新宿歌舞伎町の変遷

2008-06-08 09:59:53 | Weblog
「新宿コマ劇場が閉館 歌舞伎町再開発 影響も!」

日経が大きく取り上げていました。

「東京・新宿の中心的な娯楽文化施設《新宿コマ劇場》の閉館、跡地の再開発が決まった」
「1956年(昭和31年)に開場したコマ劇場は約半世紀にわたって演歌の殿堂としてファンに愛されてきた。
しかし、最近は演歌ファンが高齢化して観客動員数が減少し、建物が老朽化していた。」

私の上京が昭和28年で、西武新宿線の沿線に住んでいましたから、まさに,ともに楽しませていただい施設であり、街なのです。

新宿区は今回の決定を歌舞伎町再開発の第一歩と位置づけ、コマ・スタジアムに「大衆文化・娯楽の企画、制作、発表のまち」構想の具体化の協議を申し入れる予定とか・・・

そもそも、歌舞伎町は、第二次大戦後の戦災復興の時期に誕生した、新しく作られた街です。
元は「大久保」の名に由来する窪地の湿地帯で、明治以降は鴨場となっていたそうです。
1893年(明治26年)淀橋浄水場建設に伴い、残土で鴨場の池が埋め立てられ、造成された場所だそうです。そして、そこに東京府立第五女学校(現在の東京都立富士高等学校)が開校。学校を取り巻く周囲は静かな住宅街として開発されていました。

それが、東京大空襲で一面焼け野原となり、戦後復興計画のひとつ、「現在の歌舞伎町一番街付近に歌舞伎の演舞場を建設し、これを中核として芸能施設を集め、新東京の最も健全な家庭センターを建設する」という復興事業案がまとめられ、新しい町は「歌舞伎町」と名付けられたそうです。

しかし、財政難などから実現せず、代わって、新宿コマ劇場が建設されたそうです。

実現していれば、今とはちょっと違う、品のいい名実備わった「歌舞伎町」が誕生していたのでしょうが・・・

そうすると、サラリーマン達の息抜きの街はどちらにできたのやら・・・?





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