恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
たまにグロ等閲覧注意あり

call ~鬼来迎~ 第一章 2

2019-04-30 10:45:30 | CALL

          2

 ああ、なんか嫌な予感がする――
 レジ台の前に立つ祐子はさっきから妙に落ち着かなかった。
 いつも今頃は五時半にパートを終え、自転車に乗って帰宅の途についている。だがきょうは、急用ができた六時勤務の同僚に頼まれ代行していた。
 そのことは夫の健夫にすでに電話していたが、塾にいる文也には伝えていなかった。帰ってくるのは九時過ぎ、それから一緒に夕飯をとるので、連絡してもしなくても関係ないと判断したからだった。
 きょうは出来合いのお惣菜で済ませちゃおう。でもお味噌汁ぐらいは作らないとね。
 あっそうだ。いっそファミレスに行こうかしら。たまにはいいわよね。
 ああでも、さっきからこの胸騒ぎはなんなの? あの子ちゃんと塾に行ってるわよね? まさかゲームセンターで補導――なんていやよ。
 文也は週二回塾に通い、終了時間の夜九時に健夫が車で迎えに行くことになっている。夕食までお腹が空くだろうから、菓子パンやおにぎりを準備し、会話もできるだけ心掛けていたが、祐子も忙しく、ここ最近ちゃんとコミュニケーションがとれているのか正直不安だった。
 まだ早かったのかしら。
 塾に行かせることがいいのか悪いのか、文也はどう思っているのか、祐子は常に自問自答していた。
 子供のうちは思いきり遊んだほうがいいと健夫は反対していたし、祐子も心のどこかでそう思っている。
 だが、中学受験させるなら早いほうがいいとママ友がみんなそう言っていた。
 そうよ。大丈夫。間違ってない。母親はね、父親みたいにのんきなこと考えてちゃいけないのよ。文也もしんどいとは思うけど頑張らないと。未来のためだわ。
 弾き出す答えはいつもこうだった。
 文也もきっとそれに応えてくれている。だからわたしも信頼しなければいけない。塾をさぼって遊ぶなんて絶対しないわ。そうわかっているが胸騒ぎがおさまらない。いったいなぜ? 
 常に子供を気にかけていなければならないのが母親の務めだ。これといった理由もなく人生が狂う場合もある。ただの気のせいだと思いたいがどうしても不安がぬぐえず、祐子はこれが悪いことへの予兆に思えてならなかった。
 まさか緊急の連絡なんて入ってないよね。
 塾に通うようになった文也にはガラケーだが携帯電話を持たせている。そのため機械音痴なのに祐子も携帯を持ち、連絡を取り合えるようにしていた。
 ロッカーに入れたそれを確かめに行きたくて仕方なかったが、目の前に客が並び始める。
「いらっしゃいませ」
 裕子は仕方なく頭の中を仕事モードに切り替えた。


call ~鬼来迎~ 第一章 1

2019-04-29 12:23:26 | CALL



          1
    
 絶え間なく車両の行きかう大通りの歩道を文也は塾に向かって歩いていた。
 もう夕方だというのにまだ蒸し暑く、首筋に流れ落ちる汗を手で拭う。
 文也の通う北尾塾は通りに面した三階建てのビルにある。小学生から高校生、予備校も併設されているその塾は親切丁寧な講師たちがそろっていると人気があった。
 文也は四年生から通い始め、もう二カ月経つ。
「おーい。野地ぃ」
 後ろから呼ばれ文也は振り向いた。
 宮島が駆けてくる。幼稚園からの親友で、小学校も塾も一緒だった。
「よっ」
 声を掛け合い二人並ぶと他愛のない会話をしながら歩き出す。宮島となら好きなゲームや漫画の話を一日中していても飽きなかった。
 しばらくして北尾塾の茶色い外壁が見えてきた。
「野地、あれ見ろ」
 宮島が指さした。
 講師のひとり、佐野が玄関先で声を荒げている。
「なんだろ。佐野先、怒ってるみたいだね」
 文也は宮島と顔を見合わせた。
 近付くにつれ、佐野がガラスドアの横に座り込む大男に大声で注意していることがわかってきた。
 それを眺めながらアプローチの階段を上がる。
 太った男は佐野の大声にも微動だにしなかった。もとからそういう色なのか、汚れてそうなったのかわからないが黒ずんだ灰色の作業着がひどく臭う。
 ぼさぼさの髪が垂れたうつむいた顔は半開きの分厚い唇しか見えず、そこからよだれが糸を引いているので眠っているのだと思った。
「こら、見てないでさっさと入れ」
 佐野がこっちに気付いて『行けっ』と手で合図する。
「なになに? 先生どうしたの? なんかあったの?」
 常に好奇心旺盛の宮島は不躾な視線で男をじろじろ眺めていた。
「何もないから。ほら早く行きなさい」
 佐野が寄って来て宮島の背中を押す。
「教えてくれてもいいじゃん。ケチぃ」
 先生と親友の後に続きながら、文也はさりげなく男の様子を窺った。
 男が顔を上げていた。血の塊のような赤い目がぐりっと動き佐野と宮島を追っている。
 その異様な眼球を見て文也の背中に怖気が走った。慌てて佐野と宮島の後ろにくっつく。
「ここまでくっせー。先生、何なのあのおっさん」
「こらっ。そんなこと言うもんじゃない」
 自動ドアが開くと、佐野は「ほら入った入った」と二人の背中を押した。
 ドアが閉まると佐野はすぐ戻っていった。
 またうつむいている男を見て、さっきの薄気味悪い目は見間違いだったんだろうかと文也は思った。
「さっきから何度も言うけど、そんなとこに居られちゃ迷惑なんだよ。早くどっかに移動してくれ。でないと警察呼ぶよ」
 佐野の怒声がガラス越しに聞こえてくる。
 男は座り込んだまままったく動こうとしない。
「佐野先も大変だな」
 成り行きを見守る宮島がつぶやいた。
 業を煮やした佐野が男の腕を引っ張り上げて無理やり立たせた。思いのほか身長が高い男に一瞬ぎょっとなった佐野だったが、階段下の歩道まで誘導する。
 よたよたと階段を下りる男の姿はとても愚鈍に見え、やっぱりさっきは見間違いだったんだと文也はほっとした。
 歩道に下ろされた男は立ったまま眠っているように見えた。
「役に立たなくなったサーカスの熊みたいだな」
 宮島が嘲りを含んで笑う。
 とりあえず敷地内から追い出したからか、佐野が安心した表情で玄関に戻ってきた。
 何度も振り返り、中に入ってからもガラス越しに男を監視している。
「先生、あのおっさんなに?」
「なんだ。お前らまだいたのか」
 佐野は呆れた顔で「玄関先で眠り込んでたのを女子たちが見つけてな。気味悪いってんで、注意しに来たんだけどまったく動かないんで参ったよ。ちょっとおかしいのかもなぁ――
 おっとっと、こういうこと言っちゃあいかんな。
 お前ら、からかったりすんなよ」
「はーい。気を付けまーす」
「ほんとにわかってんのか」
 宮島の軽口に苦笑し、佐野は額にかかった白髪混じりの前髪を指でかき上げた。
 二人の後ろにつき、文也は窓から男を窺った。
 歩道に立ったままの男が顔を上げ、血の塊のような目でこっちをじっと見ている。
 見間違いなどではなかったんだ。
 分厚い唇が笑っているように歪むのを見て、文也はまた背筋が寒くなった。
 だけどもう追い出したから大丈夫さ。
 そう自分に言い聞かせて窓から目を逸らし、宮島の横に並んだ。
「じゃ、がんばれよ」
 事務室の前で佐野が手を振って中に入っていく。
 開け放された廊下側の事務室の窓から事務員たちや他の講師たちが佐野に集まって来るのが見えた。みな不安な表情をしている。
「きょうは塾長、研修でいないんだって、さっき佐野先言ってたよ」
 宮島の言葉に「そっか」と返し、文也は再び窓を覗いた。
 佐野の隣で腕を組んだ河津が眉をひそめていた。若くてイケメンで女子に人気がある文也たちの担当講師だ。
「河先ならああいう場合、さっさと警察に連絡しちゃうだろうね。面倒なこと嫌いだから」
 文也の言葉に「ふん。それを言うなら塚先だよっ」と宮島が鼻を鳴らす。
 嫌悪感丸出しで佐野の話を聞いている塚田に宮島と二人同時に視線を向けた。
 美人だが性格がきつく、勉強だけでなく生活態度にも厳しい塚田は生徒みんなから敬遠されていた。五年担当なのに宮島はよく注意されている。もちろんいつも一緒にいる文也もだ。
「うんうん。もし塚先なら超速で警察に通報だろうね」
 特にあんな不気味な奴は佐野先みたいにあのまま放っておくより、そのほうが良かったかもしれない。
 文也は心の中でそう続け、男の赤い目を思い出して身震いした。
 六年やその他の講師たちもみな顔を曇らせている。塚田の一一〇番という声も聞こえてきたが佐野は首を横に振った。塾長が留守の間の警察沙汰は極力避けたいのだろう。
 佐野は中学担当の一講師だが、塾長の北尾に信頼されていて、さっきのような厄介ごとの処理から研修など出張時の塾長代理も任せられていた。
「おーい。野地。早く行こうぜ」
 いつまでも事務室を覗いていた文也をとっくに先に進んでいる宮島が呼ぶ。
「あっごめん」
 駆け足で追いつくとふたり並んで四年クラスに向かった。          

                       

掌中恐怖 第二十六話『のぞき』

2019-04-28 19:03:32 | 掌中恐怖

のぞき

 深夜までテレビを観ていて風呂に入るのが遅くなってしまった。
 ああ、眠い。
 窓に映る枝の影を見ながら湯に浸かってうつらうつら。
 何となく違和感があったが、寝ぼけた頭ではそれが何かわからない。
 かたん。
 外の物音で目が覚める。
 のぞきが出没するからと今は亡き父が窓の下にバケツを置いていたのを思い出す。もうずいぶん経つがバケツはお守りのように置いたままだ。
 窓は施錠しているので開けられる心配はないが気味悪いことに変わりはない。
 窓ガラスの向こうにゆっくりとごつい男の顔が張り付いた。ぎょろぎょろと目の動きがガラス越しでもわかる。 
 枝の影が男の後ろで揺れた。
 あっ。
 さっきの違和感がわかった。窓のそばに木なんてない。
 のぞき男の目と口に黒くて長いものが巻き付き、どこかに連れて行かれるようにすっと消えた。
 バケツだけでなく、父も守ってくれているんだと思った。

恐怖日和 第十六話『黒蟲』

2019-04-27 11:58:15 | 恐怖日和

黒蟲

 行きつけの居酒屋でひとり呑んでいるのは登也だけだった。
 周囲のテーブルにいるグループはみなにぎやかに飲み食いに興じている。
 なんだよ。みんなやけに楽しそうじゃないか。ちぇっ、せめて彼女でもいたらなあ。でも、いたらいたでこんなとこじゃなく、イタリアンとかフレンチとか予約しなきゃいけないんだろうなあ。そういうの面倒くさい。って、こんなだから彼女できないんだろっ。
 自分ツッコミしながら登也は目の前のオムレツに箸を伸ばす。中身はポテトサラダ入りだ。この居酒屋ではじめて口にして好物になった。
 舌鼓を打っていると、黒いものがさっと目の端をよぎった。オムレツを口にしたままそちらへ首を向ける。床の隅を走る黒い虫がテーブルの影に隠れた。
 えーっ。まさかG? うそだろ。うわあ、やだやだ。
 しかめっ面を上げると、そのテーブルにいた男と目が合った。
 その男もひとりで呑んでいる。
 登也は気まずさを隠すために軽く会釈した。
「いらっしゃっせー」という店員の威勢のいい声がして数人の客が入ってきた。カウンター席しか空いていないので帰るかどうか迷っているようだ。
 するとさっきの男が皿とグラスを持って立ち上がった。
「ここどうぞ」とその客たちに席を譲ると登也のテーブルに移ってきた。
「すみません。相席していいですか」
 男が登也の顔色を窺う。
「いいですよ。ひとりでテーブル席陣取ってるのも気兼ねするし、逆によかったです」
 登也が笑うと男も目尻を垂らした。
 和田と名乗った男は出張でこの町に来たという。近くのビジネスホテルにあさってまでいるらしい。
 年齢がほぼ変わらず、意気投合して話が弾んだ。
 人がよさそうで屈託のない和田を幼なじみぐらいに感じ始めた頃にはだいぶ酒が進んでいた。
 こういう優しげな顔は女にモテるんだろうなあ。仕事にも有利でいいよなあ。
 睨んでもいないのに、「その目は何だっ」と上司からよく怒られる登也はうらやましく思った。
「――というわけなんだよ。ねえ聞いてんの?」 
 酔った和田の目が据わっている。
「えっ、ああ、聞いてる。聞いてる」
 慌てて言いつくろい、煮魚をほじった。
 急に和田が顔を近づけてきた。
「俺さ、きょうは最高の日なんだよ」
 と、ひそひそアルコール臭い息を吐く。
「えっ?」
 登也は顔を上げた。
「どうしよ。話しちゃおうかなあ。ねえ聞きたい? というか聞いてくれる?」
「お、おう。いいよ」
 その返事に和田は顔をほころばせ語り始めた。

 俺の部署には女子社員が五人いるんだけど、その中のお局様になぜか気に入られてしまってさ。
 で、先輩に相談したら、おまえが気のあるそぶりでも見せたんだろうって取り合ってくれなくてさ。
 あー、あんたもそんな目で見る? でも絶対にそんなことしないっ。十五も年上なんだよ。ふつう興味持たないでしょ。すげえ美人でスタイルのいい美女なら話は別だけど。その人は実際よりも老けて見えたし、ブスだったし。
 だから、いくら女に飢えてても俺からアピールなんかしない。絶対にだっ。
 向こうから近づいてきたんだよ。気色の悪い色目使って。
 で、耐えきれなくなって、「やめてくれませんか」って言ったら不機嫌になって八つ当たり。
 それが俺に対してならいいんだよ。嫌われるほうがよっぽどましさ。嫌がらせでもなんでも甘んじて受け入れるよ。
 けど、八つ当たりの矛先は他の女子社員でさ、俺の立場、激やば。みんな俺を睨むんだよ。こっちの気も知らないで。
 もうどうしていいかわかんなくなって、とうとう会社を休んだんだ。
 具合悪いって連絡したら上司があっさり許可してくれてよかったよ。ほんとにひどい顔してたんだろうな。二、三日休んでいいって言ってくれて。
 うん。一日目は身も心も軽くなってよく眠れたよ。でもさ、今度は会社に行くのが怖くなってきたんだ。
 で、二日目はもうなんにもやる気起きなくて。夕方までぼんやり寝転んでたんだけど――
 そしたら、マンションの廊下からカッカッカってヒールの音が響いてきてね。身体っていうのは正直だねぇ。それ聞いた瞬間、冷や汗がぶわって噴きだして動けなくなってしまってさ。
 で、玄関のほうからチャイムも鳴らず、いきなりノブががちゃがちゃ回る音がして――
 そう、正解。
 あの女が俺の部屋まで来やがったんだ。鍵かけといてよかったよ。もちろん居留守だよ。出るわけないだろ。中に入られたらもう終わりだって感じたからな。
 でも、めちゃくちゃドア叩くわ、ノブ回すわで怖いのなんの。やっぱりあいつ異常なんだって改めてわかったよ。
 うん。しばらくしたらあきらめて帰ってった――
 で、もうマジで会社辞めよう、ここも引っ越そうって決めて先輩に電話したんだ。
 でもさ、「せっかく入った会社なのにそんなことで辞めるな」って諭されてさ。もう我慢できないし、どうすりゃいいのって俺半泣きだよ。
 そしたら先輩、「その女、お前に彼女いないから何とかなるって思ってんだよ。お前押しに弱そうだし。だから彼女作れ。そうすればあきらめるぜ」って。
「簡単に言わないでくださいよ。作れるくらいならこんな苦労してませんよ」
 でしょ? 
 そうべそかいたら、なんと「彼女を紹介してやる」って言われて。その夜のうちに先輩の家で会うことになったんだよ。
 先輩の奥さんの後輩でりっちゃんっていうんだけどスゲーかわいくて、向こうも俺のこと気にいってくれてさ。
 で、事情話したら、うちに避難してきなよってまで言ってくれて。
 んっ、いやいやなんもしないよ。そんなすぐにねぇ。ホントだよぉ。うらやましいって? うん。まあね。フフフ――
 りっちゃん、最高。俺にはもったいないくらい。かわいいだけじゃなくて気が利くし、家事が得意で料理も美味い。
 俺はりっちゃんの部屋で一日過ごしただけで元気取り戻してさ、会社に復帰したんだ。上司や同僚に、恋人が看病してくれたんだって大声で自慢したよ。もちろんあいつに聞かせるためさ。
 そしたらあの女どうしたと思う? 
 半日でりっちゃんを探し出して「わたしの彼を取るな」って忠告しに行ったんだぜ。
 信じられるか?
 俺、それ聞いた時、怖さ通り越えてマジで殺してやりたいって思ったよ。
 まああいつの思い通りにはならなかったけどね。りっちゃんがさ、逆に「俺に付きまとうな」って言い返してやったんだと。
 その日からあの女会社に来なくなってさ。
 うん。無断欠勤して連絡も取れなくなったって。
 いやいやいや、そんな目で見ないでよ。俺なんもやってないよ。あんときもそうだった。みんなして俺をそんな目で見たんだ。
 だけど殺してやりたいって思っても、じゃ殺そうってならないだろ、フツー。
 でしょ?
 結局、大それたこと仕出かすような男じゃないって、みんなで大笑いさ。
 失恋の傷を治しに故郷にでも帰ったんだろう。そのうち連絡くるさっていうか、もう辞めてくれてもいいよなって全員一致で放っておいたんだ。
 で、そのまま二か月経ったんだけど。
 俺はりっちゃんと同棲始めて幸せいっぱい。
 ただ彼女、部屋にゴキがいるって大騒ぎするのがちょっとめんどくさいかな。そんなものどこにでもいるっしょ。なのに退治しないと家出るって脅すんだよ。
 ったくかわいいよね。
 ははは、のろけはいいってか。
 まっ、それは殺虫剤でなんとかなるとして、なんとかならないのが、もしあいつが帰ってきた場合。
 りっちゃんになんかするんじゃないかって不安でさ。
 もう帰ってくるなって毎日祈ってたよ。
 で、きょうが最高の日だって話になるんだけど、前置きが長くてごめんな。
 ――実はあの女、自殺してたんだよ。
 でしょ。驚くよね。
 今朝ここに来る途中、警察から連絡があったって上司から電話かかってきてさ。
 生まれ故郷の山中で首つってたらしい。二ヶ月は経ってるって言うから失踪してすぐなんだろうな。きっと腐って虫が湧いたりしてたんだろうね。それかもう白骨になってんのかな?
 あっ、悪りぃ。食ってる最中。
 で、俺のせいかってちょっとだけいやな気分になったけど、上司は「お前が悪いんじゃないから気にすんな。みんなわかってるから」って言ってくれてさ、本心じゃどう思ってるかわかんないけど、実際、俺なんも悪くないしね。
 それよりもこれであいつに悩まされないと思うと嬉しくて、嬉しくて。
 だからきょうは最高の日ってわけ。
 一緒に乾杯してくれる?

 和田は掲げたグラスを登也のグラスに打ち付けた。

「ちょっと大丈夫? ホテル、こっちでいいんすよね」
 酔っぱらった和田に肩を貸して暗い路地に入った登也は「ほんとにこっちかな――」と心細げにつぶやいた。
 さっきまでふらふらしつつも道案内していた和田は今では軽い寝息を立てている。
「ねえ、起きてよ」
 登也は見た目よりも重い和田に辟易した。
 示されるままに来た方向は地元の登也でも不案内な場所だった。先を見ても暗がりばかりでホテルらしい建物も看板もない。
 薄暗い街灯の下で躊躇している間に力尽きて和田もろとも膝から地面に崩れてしまった。
「っ痛いなあ」
 目を覚ました和田がアスファルトに胡坐をかいた。
「ごめん。ごめん。怪我してない?」
 登也も並んで座る。
「だいじょぶ。だいじょぶ。ところでここどこ?」
 和田が寝ぼけ眼であたりを見回した。
「君がこっちだって言うから連れて来たけど――」
「違うよ。駅前のビジネスホテルだよ」
 和田が呑気に大あくびする。
「ええっ、真逆じゃん。変だと思った」
 登也は立ち上がって尻についた砂を払った。
 かさかさかさ
 先の暗がりから奇妙な音が聞こえてくる。
 かさかさかさ
 目を凝らしても何も見えなかったが、一匹の黒い虫が和田の足元へ這ってくるのが街灯に浮かんだ。
「うわっ」
 登也の悲鳴に再びうとうとし始めていた和田が目を覚ます。
「あっ、これこれ、このゴキブリ。りっちゃんがすごく怖がってたやつ」 
 虫がどんどん自分の足元に寄ってきているのに和田はへらへらと笑っている。
 登也は少年の頃に愛読した図鑑を思い出した。
「和田さんっ、ぜんぜん違う。これゴキブリじゃないよ。シデ虫だ――」
「しでむし? って何だ?」
「し、死肉を喰う虫だよ」
「しにく?」
 和田はぼんやりと座ったまま、増殖する虫を眺めている。
 かさかさかさかさかさかさかさかさかさかさかさかさ
 音が一層大きく聞こえ、怖くなった登也は後退って和田から離れた。
 路地の暗がりが蠢き、押し寄せた虫の群れが明かりの下で女の姿を形どる。
 見下ろす女の顔を見て和田が驚いたように目を見張った。 
 女の目からシデ虫が一匹這い出てぽろりと和田の上に落ち、再び虫の群れに変化する。
 黒いうねりが和田を包み込んだ。
「うっ――」
 登也は口を押さえた。
 かさかさかさくちゅくちゅくちゅ
 黒い塊が乾いた音と湿った音を出しながら蠕動する。
 その中の和田の姿を想像したくなかった。 
 逃げなければと振り返った登也の前に女が立っていた。
「ひいっ」
 腰を抜かし、尻を引きずって後退る登也に女が一歩一歩近づいてくる。動くたびシデ虫がこぼれ落ち、次々に登也の体に這い上がってきた。
 女の顔が近づき、虫が登也の肩や胸に落ちる。覚悟して目を閉じると女の中でひしめき合っている虫の音がした。
 かさかさ、きゅきゅ、かさかさ
 それが、
「ヒトニハ、イウナ」
 と聞こえた。
 目を開くと女もシデ虫も和田の姿もなかった。

 あれから和田がどうなったのかわからない。あれは夢だったのか現実だったのかさえも。
 何事もなく日々が過ぎ、合コンで知り合った女性と付き合い始めた登也は幸せいっぱいで、あの時の恐怖は薄らいでいった。
 ただ異常なぐらいゴキブリ嫌いになり、男のくせにとよく彼女に笑われた。
 つい理由を話したくなるが、あの虫女の『声』を思い出すと恐怖が蘇ってくる。
 いや、あれは酒に酔って見た悪い夢なのだ。
 登也はその度そう自分に言い聞かせた。

「うちはゴキブリいないから安心して」
 初めて来た部屋を見回していると美奈子が笑った。
「べ、別に確認してるわけじゃないよ」
 登也の顔が赤くなる。
「ねえ、なぜそんなに怖いの? まあ気持ちいいもんじゃないけど――登也さんの怖がり方尋常じゃない気がする」
「いや――その――ゴキブリが怖いわけじゃないんだ――
 実は――その――」
 誰にでも怖いものあるだろと、いつもならそうきつく言い返すところだが、今夜は嫌われるようなことは言いたくない。
 登也はついにあの出来事を語ってしまった。
「――というわけなんだよ。たぶん夢だと思うんだけどさ」
 照れ笑いを浮かべて美奈子の顔を見る。
 笑い飛ばしてくれるとばかり思っていたが、彼女から笑みが消えていた。
「へえ、人には言うなって言ったの? じゃあ、しゃべっちゃだめなんじゃない?」
 えっ――
 子供の頃に聞いた雪女の物語を思い出し、体中から血の気が引いていく。
 合コンなんかで自分に彼女などできるわけなどなかった。これは虫女の罠だったんだ。
 和田を包む黒虫の大群が目に浮かぶ。
 ぷっと美奈子が吹き出した。
「なーんてね。そんなの夢に決まってるじゃない。酔っぱらって道端で眠ったんでしょ。そんなことぐらいでゴキブリが怖いだなんて、登也さんったら」
 大笑いする美奈子を見て、登也は胸を撫で下ろした。
「そうだよな。オレも夢じゃないかって思ってたんだ」
 そう言って二人でひとしきり笑っていたら、チャイムが鳴った。
「あら、誰かしら」
 美奈子が玄関に向かう。
 登也はソファに深く腰掛けた。
 そうだよ。あんなこと夢に決まってんだよ。
 今まで怖がっていた自分が馬鹿らしくなった。
 美奈子が来客と戻ってくる。
「姉さんがこっちに来るなんて珍しいわね」
「そうなのよ。用ができてね」
「ちょうどよかった紹介するわ。この人、わたしの彼、登也さんですっ。
 登也さん、姉さんよ」
「は、初めましてっ。木村登也と言います。よろしくお願いしますっ」
 慌てて立ち上がり深々と頭を下げる。
「いつも美奈ちゃんがお世話になってます。こちらこそよろしくね」
 優しそうな声に登也は笑顔を向けた。
 美奈子の横に姉だという女が佇んでいる。
 登也を見つめるその目の中でつややかな黒い虫が蠢いていた。



霊滓鬼 

2019-04-26 10:23:22 | 霊滓鬼

でーさい

「こんな遠いとこ、よう来てくれましたなあ。おおきに、おおきに」
 あさ枝は玄関先に突っ立ったまま佐和の手を握って離さなかった。
「ばあちゃんっ、早く中に入れてよ」
 いくつもの紙袋やボストンバックを持った義徳が祖母を諫める。
「ああ、すまん、すまん。
 ほんまお疲れでしたなあ。上がって、はよお茶でも飲んで」
 歓迎されていることがわかって佐和は胸を撫でおろした。
 義徳の言うとおり、あさ枝は優しいおばあちゃんだった。

「でな、目も腰も悪うなってしもて、もう店閉めよう思てんのやけど年寄り連中が辞めんといてくれ言うもんでな。
 ――まあうちも年寄りのひとりやけどな」
 あさ枝は久しぶりに会う孫よりも佐和との会話を楽しんでいるようだ。
 濃い目の緑茶と手作りのおはぎで旅の疲れが癒された。  義徳は座布団を枕に転寝をしている。
 あさ枝が押し入れからタオルケットを出してきた。それを受け取り義徳に掛ける。
「お店、さっき来るとき教えてもらいましたよ」
 そう言うと、「義徳ゃ、古うて汚い店や言うとったやろ」とあさ枝は笑った。
「いえ。ばあちゃんがここでぼくを育ててくれたんだって。感謝してるって言ってました」
 その言葉を聞き、「そうかぇそうかぇ」と乾いた皴手で目頭を押さえた。
 あさ枝は集落でたった一つの理髪店を営んでいた。今いるこの住まいは小高い山の中腹にある日本家屋だが、店はここからくねくね坂を下りた道沿いにある。
 レトロな理髪店の外観は当時の田舎ではさぞ洒落たものだっただろう。
 確かに今は外壁の白い塗装が剥がれ落ちたり、窓ガラスのひびにテープを張っていたりと年季が入っているが、まだまだ立派なものだ。
 入口に立つ黄ばんだ三色のサインポールもいい味を出していた。
「理容師やったおとはんと見合いで結婚してな。村長があさちゃんに合う人や言うて紹介してくれたんやけど、あとから考えたら村に理髪店が欲しかったんやろなあ。
 うちゃまんまとはめられたんや。おとはんもそう思とったやろけど。
 で、二十年経っておとはんが死んでな、それからうちも理容師の資格とったんや。
 長いことやらせてもうたけど、あの店ももう終わりや。皆にゃ悪いけどな」
 あさ枝は深い皴に埋もれた小さな目をしばたく。
「あのう、わたし義くんと結婚したら、ここに移り住んでおばあちゃんのお店継ごうかと思ってるんです。
 あ、よければの話ですけど」
 その言葉に目を大きく見開いた。
「えッ、何言うてんの。あかんあかん。こんな田舎、あんたら住むとこちゃう。義徳も嫌やかい出て行ったんやで。あかん。あかん」
 何度も首を横に振る。
「そんなことないです。村の人たちに受け入れられるかどうか自信はありませんけど、わたし、理容師の免許も持ってるし――」
「受け入れてくれるんきまってるわ。うちん孫になる娘やで。
 あ、ちゃう、ちゃう。
 あんた、実家に店あんのやろ、こんな田舎にすっこませたら親御さんに怒られるわ」
「うちはいいんです。もう兄が後継いでるんで関係ないんです。兄の奥さんともあまり仲良くないし。
 それにこういうのどかな場所でのんびり仕事やれたらいいなってずっと思ってたんです。だから、おばあちゃんさえよかったらお店継がせてください」
 あさ枝の小さな手を握る。
 何も言わず老女はうつむいた。細い肩を震わせ、手を握り返してくる。それが返事だと佐和は思った。

               *

 強風が激しく窓を揺らしていた。強い雨が屋根や外壁を叩く音も聞こえる。
「直撃はしないってラジオが言ってたけど、ものすごい雨ね」
 佐和は雨音の響く天井を仰ぎ見ながら布団に横たわったばかりの義徳に話しかけた。だが、返ってきたのはいびきだった。
 無理もない、半日以上運転していたのだからと佐和はそっと肌布団を義徳の肩まで掛ける。
 義徳が薄目を開け、両手を伸ばしてのびをした。
「――ばあちゃん、すごく喜んでたよ」
「あ、ごめん、起こした?」
「ううん。大丈夫、眠ってないから」
「うそ、いびきかいてたわよ」
「ちゃんと起きてたってっ」
 向きになる義徳にぷっと噴き出し、佐和は「はいはい」と返す。
「で、話の続きだけど、佐和が風呂入ってる時ばあちゃんにいい嫁選んだなって褒められたよ」
「まだ嫁じゃないけど、おばあちゃん認めてくれたってことかな。わたしなんかでいいのかな」
 佐和のつぶやきに義徳の目が大きく開いた。
「そんなの決まってるだろ。もしばあちゃんが認めなかったとしてもぼくは佐和と絶対結婚するんだから、どっちにしても嫁なんだよ」
 そう言って座ったままの佐和の腕を引き、自分の横に寝転がせた。
 激しい稲光が窓を照らす。数秒後に割れるような音が家を震わせた。
「きゃ」
 佐和は義徳の胸に顔をうずめた。音が止んで顔を上げると義徳のにやけた顔がある。
「今の佐和かわいかったな。『きゃ』だって」
「もう、からかわな――」
 いい終わらないうちに再び閃光が走った。佐和はぎゅっと目をつぶり両手で耳を塞ぐ。その頭を義徳の手が優しく撫でた。
 しばらくして両手を離すと、「――のこと――」と義徳の声がしていた。
「えっ、何?」
「さっきばあちゃんに聞いたんだ。香子のこと。
 結婚してこの家に来たらあいつとはご近所になるだろ。ちゃんとけり付けとかないと佐和に嫌がらせしかねないからさ。何とかならないかって言ったんだよ。
 ああ見えてばあちゃん怒ったら結構怖いんだよ。だから近所の悪ガキはみんなばあちゃんの言うことをよく聞くんだ。
 最近なりを潜めてたけど、香子はしつこい性質だから」
「わたしなら大丈夫よ。あの子より大人なんだし、うまくかわすわ。もしかしたら仲良しになれるかもよ」
「――――」
 さらに激しくなった雨音が義徳の声をかき消す。
「えっ? 聞こえない。何?」
「だから、死んだんだって、香子」
 空気がひやりと一気に変化した。
「なぜ――」
 絶句する佐和の頭や頬を撫でながら義徳が淡々とした口調で続ける。
「事故だって。
 ぼくのいない日にあいつ店に来たことあったろ? 菜摘先輩が髪染めたって日。あの日にナンパされて車で送ってもらった時、事故ったって。
 ほら、来る時見ただろ、花を供えたガードレール。あそこで。
 ものすごいスピードで突っ込んだんだって。酒か薬を飲んでたんじゃないかって、葬式の時に誰かが話してんのばあちゃんが聞いたそうだ。
 バカだよ、香子のやつ。自分で自分の命縮めて。
 でもこう言っちゃ悪いけど、ぼくはちょっとほっとしてるんだ」
 佐和は追いかけて来たでーさいを思い出した。あれは香子さんだったのかもしれない。
「そ、そんなこと――言っちゃいけないわ」
 光と同時に激しい雷鳴が轟き、雨がさらに勢いを増す。佐和の声は義徳に届かず、心配の種が消えた安堵いっぱいの笑顔が目の前に近づいてくる。
 不謹慎よ。香子さんに対して。
 そう続けようとしたが義徳の唇で塞がれた。
 凄まじい風雨が窓ガラスを叩いている。
 義徳に包まれながらも佐和はその音が気になって仕方がなかった。

               * 

 ふと目覚めた。眠れないと思っていたがいつのまにか眠っていたようだ。
 部屋の中が暗いからまだ朝にはなっていないのだろう。いったい今は何時頃なのか。
 雨はまだ激しく屋根を叩いていた。
 湿った風の流れを感じて佐和は首を向けた。地窓が開いている。
 この部屋に通された時にはすでに雨が降っていたので開けた覚えはなかった。
 義君があけたのかしら。こんな雨だと降り込むかもしれないのに。閉めなきゃ。
 体を起こそうとした瞬間、きーんと耳鳴りがして動けなくなった。
 手足の先から虫が這うようなぞわぞわした痺れが体の中心に向かってくる。
 地窓から禍々しい気配を感じ、佐和はただ一つ自由な目を向けた。
 窓から何かが覗いている。
 そこではっと佐和は目覚めた。
 夢? 
 ぼんやりした頭にきーんと耳鳴りが響く。体が動かなくなりぞわぞわと痺れが来る。気配を感じ、ただ一つ動かせる目でそれを見る。
 畳の上を何かが這っている。
 そこで再び佐和は目覚めた。
 全身が痺れ、体が動かない。
 嫌な気配が重くのしかかる。目の端から徐々に白い布が見えてくる。
 でーさい? 
 これは夢? それとも現実? 
 顔を覗き込む白布の中心にぎゅっと皺が寄る。
 お守り、お守りは――
 あれは昼間――そうだ。あのでーさいにぶつけた――
 また、目覚める。
 激しい耳鳴りと体の痺れ。
 すべて夢なら、はやく覚めて。
 虫の脚のような細くて長い腕が佐和に伸びてくる。
 やめて触らないでっ。あっちに行って。
 心の中でいくら叫んでも白い手は退かない。
『佐和ちゃん』
 突然自分を呼ぶ、今は亡き祖母の声が聞こえ、体中に電流が走った。
 でーさいの手が引っ込み気配が乱れる。
 耳鳴りが遠ざかり、体の痺れが治まった。
 佐和は体を起こそうとしたが、すぐ深い眠りに引き込まれていった。

 再び目覚めた。まだ夜明け前のようで、部屋中が深海のような紺色に染まっている。
 音が聞こえないので雨は止んでいるようだ。
 佐和はだるさの残る上半身を布団から引き剥がすように起こし背筋を伸ばした。気分がすっきりしないし頭痛もする。
 どこから夢でどこから現実だったのか、すべて夢か、それとも現実か。
 パジャマの襟元が寝汗に濡れて気持ち悪く、寒くもないのに背中がぞくぞくした。
 横には足元まで肌布団のはだけた義徳がまだ眠っている。あっちを向いた顔が暗がりに紛れていた。
 あまりに静かで佐和は胸騒ぎを覚え、義徳の顔を覗き込んだ。
「義くん?」
 義徳は白目を剥き、苦悶の表情を浮かべてすでに息をしていなかった。
「うそっ。義くんっ、義くんっ」
 頬を叩き、体を揺さぶってもぴくりとも反応しない。
「おばあちゃんっ」
 佐和は廊下を走った。
 あさ枝はすでに起きて居間にいた。電気もつけず窓から外をじっと見ている。
「おばあちゃんっ。義くんがっ、義くんがっ」
 泣き叫びすがる佐和の体を支え、それでも窓から目を離さないあさ枝はゆっくりと外を指さした。
「あれ見てみぃ」
 見えるのは青に染まる風景に白く浮かび上がったくねくね坂だった。
 その坂を何かが跳ねながら下っている。
 赤い髪をしたでーさいだった。人の形をしたもやのようなものをつかんで離さない。
 それは悲痛に歪んだ義徳の顔をしていた。
「まだ間に合うわ」
 佐和は慌てて後を追おうとしたが「あかんっ」と、あさ枝に手首をつかまれた。
「なぜですか? 早く行かないとあいつに連れてかれてしまう」
「あかん。あんたまで巻き添え食う」
 小さな老女のどこにこんな力があるのかと思うほど手首をつかんだ力は強かった。
「あの赤い髪見てみぃ。香子はただのでーさいやない。滓になってまで火みたいな赤い髪してる。
 義徳はあのこに魅入られてたんや。だいぶ前からずうっと。もうどうやっても助けられん」
 皺に埋もれたあさ枝の目から涙が溢れる。
 赤い髪のでーさいが坂の下からこちらを振り向いた。白い布にくしゃりと皺が寄る。
 佐和にはそれが香子の勝ち誇った笑みのように見えた。