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「その後すぐ、男は駆け付けた警察官に撃たれたらしい。
わたしから連絡を受けた時に異変を感じた警備員がすでに通報していたんでしょうね。
あーあ、あいつが死んでいく姿わたしも見たかった」
かおるが広げっ放しにしていたカルテを閉じて棚に戻しながらため息をつく。
「その時まだ僕には意識があってね、薬で興奮した男が警官に襲いかかって撃たれたんだ。医者がこういうのも何だけど、ざまぁって思ったよ」
隣で机に尻をもたれさせた松橋が力なく笑う。
「それがもうちょっと早かったらよかったのに――って、言っても仕方ないことだけど」
かおるが半信半疑で聞いている智子の前に戻って来た。
「じ、じゃ先輩たちはこの世の者ではないと――」
「そういうことになるわね。
ちなみにあなたが聞いた地下の声はあいつよ」
「ここは呪われた病院ってことですか――」
「やだなぁ智ちゃん。呪われてるのはあいつだけよ。あいつはあそこでずっと地獄を見てるの。
わたしたちは結構楽しく夜勤しているわ。
でもね、わたしたちだけじゃ寂しいでしょ。だから彷徨える霊を呼び込んで患者として迎えてるってわけ。
だいぶ増えて賑やかになって来たでしょ?」
瞳の動かないかおるの笑顔に、ここから逃げなければと智子は思った。
でもどうやって。
「うわぁ、まさしく心霊スポットだな」
開いた窓の下から若い男たちの騒ぎ声がした。
「こんな森の奥に廃病院があるなんて知らなかったよ」
「昔はまだこんな森じゃなかったっていうぜ」
「へえ、そんだけ放置されて長いってことか」
「早く中に入ろうぜ」
智子は急いで窓に駆け寄り覗き込んだ。
懐中電灯を持った三人の若者が丈高く多い茂った雑草をかき分け建物に近づいて来る。
「あら、今夜は久しぶりに生きた人が来たわ」
隣に立ったかおるが楽し気な声を上げた。
逃げるなら今しかない。
「助けてくださいっ」
智子は窓から身を乗り出し下に向かって手を振った。
若者たちの足がぴたりと止まり、懐中電灯をあちこち動かして辺りを見回している。
「ここですっ早く助けてください」
智子は力の限り大声を出し、手を大きく振った。
懐中電灯の一つが二階の窓に届き、眩しい光が智子の目を射る。
「うわあっ、で出たぁぁぁ」
若者の一人が悲鳴を上げると雑草に足を取られながらも逃げ出した。残りの若者たちも悲鳴を上げて逃げていく。
「待って、置いてかないで。
違うっ、わたしは違うのっ、助けてよぉ」
若者たちの姿はすぐ森の闇にまぎれて見えなくなった。
智子は窓にもたれて泣いた。
これからわたしはどうなってしまうんだろう。
「ちょっと智ちゃん。逃がしちゃってどうすんのよ」
「え――」
「あなた、わたしたちの話聞いて、こんな状況になって、まだ気づかないの?
鈍感にもほどがあるわ。気づくまでそっとしとこうってみんなで言ってたけど、もういい加減気づいてよ」
かおるが呆れた顔で笑う。
松橋も「智ちゃんらしいね」と楽しそうに笑った。
どういう意味?――
二人は黙ってただにこにこと智子の顔を眺めている。
そう言えば、ここに来て日勤した覚えがまったくないことに気付く。
ああ、そうだ。
わたし、この森に自殺しに来たんだ。
木の枝にロープをかけて――
そこまでしか記憶はなかったが、ここに呼び込まれたということは成功したということなのだろう。
外で悲鳴がした。
「元に戻って来ちまった。どうすりゃいいんだぁ」
「森の出口どこだよ」
「わかんねーよ」
窓を覗くと若者たちがまた草をかき分け森の中へと入っていく。
「ふふふ。ここからはもう出れないのよねぇ――
さっ、智ちゃん。今夜の勤務は忙しくなるわよ。がんばってね」
かおるが智子の肩をぽんと叩いた。