恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
たまにグロ等閲覧注意あり

恐怖日和『一本又峠』

2023-04-01 17:04:33 | 山路譚
  
  
               1

「これからお前の歓迎会開くから」
 パソコンに向かう充明の肩を浜西が勢いよく叩いた。
「えっ、これからっすか? 僕まだ仕事残ってるんすよ、っていうか、なんで? もう三か月経ってますよ。いいっすよ。今さら」
「バーカ。課長が奢《おご》ってくれるからだよ。俺はな、お前の歓迎会を開こうと課長に三か月粘りに粘って頼み込んだんだよ。どうだ、この先輩の愛情」
「いやいや課長にたかって愛情もくそもないですよ。先輩がただ酒飲みたいだけっしょ」
「がはは。そうかもな。
 ってわけで、仕事が終わったらすぐ来なさい。はい、これ」
 浜西が社用車のキーを差し出した。ストラップにしては大きすぎる編みぐるみのクマがぶらぶらと揺れている。
「仕事終わってからって――あのう、僕の歓迎会なんすよね? みんな先に行くって、僕も終わっちゃあいけないんすか? しかも車で来い? じゃお酒飲めないじゃないっすか。それとも帰りは誰かの運転で送ってくれるんすか?」
「うん。アルコールだめのてっくんとふうちゃんが自車でそれぞれ俺らを送迎してくれることになってる。
 あ、でも君はこのおんぼろ軽のバンちゃんで来て、帰りもバンちゃんに乗って帰る」
 浜西が目の前で、再度キーを揺らす。クマの呑気な顔が腹立たしい。
「で、車は明日の朝会社に乗って来れば万事OK! ちゃんと課長に話つけてるから、無断借用じゃないよ、安心して!
 ってことで、じゃっお先!」
 開いた口が塞がらない充明と社用車のキーを置いて、浜西はさっさと行ってしまった。
「何が先輩の愛情だぁ」
 叫んでいると浜西が戻ってきた。
「あっ、そうそう、はいこれ、居酒屋の地図。お前まだここにきて日が浅いから道も店もわからないだろ? 
 安くておいしいお店って隣町にしかないから、ちょっと遠いんだよね。だから最短の近道描いといたから」
 折りたたんだ紙を机に置くと今度こそ本当に行ってしまった。
「もーっっ」
 頭をぐしゃぐしゃと掻いて充明はキーボードを乱暴に打ち始めた。

 小林充明が勤務する総合アパレルメーカーの支社は山間部の小さな町、鬼志谷町にあった。
 本社はビルの立ち並ぶ県庁所在地にある。
 充明は難関を突破しそこに籍を置いていたが、上司の失敗を押し付けられ、夏休み明けに支社に飛ばされた。
 怒りに任せ辞表を叩きつけてやろうかと思ったが、仕事がなければ生活ができない。苦労して入った会社だ。やめさせられないだけマシだと思うことにした。
 軋《きし》んだ心はなかなか元に戻らず、しばらく人間不信に陥っていたが、鬼志谷町にきて心の平穏を少しずつ取り戻した。
 この町の人はみな親切だった。初対面でも気さくに声をかけてくれ、困った時はお互いさまとすぐに助けてくれる。
 支社の社員たちも浜西を筆頭に、多少口さがないところもあるが、アットホームな雰囲気で出世争いや派閥などもここにはない。
 無駄なストレスがないだけでこんなにも仕事が楽しいとは、本社で過ごした日々は何だったのか。
 ここにきてよかった。
 心からそう思っていた。

               2

 業務をすべて終え、戸締りをし、バンちゃんと呼んでいる社用車に乗ってキーを回す。クマが揺れて膝に当たる。
「もう邪魔だな」
 素朴な顔をした編みぐるみは手芸が得意なみんなからふうちゃんと呼ばれている事務員の岩城楓子の手作りだった。五台ある社用車のキーにすべてつけられ、ほかにはタコ、イヌ、ネコ、カッパがあってどれもそこそこ大きい。
 以前キーの紛失者がいたので、防止のために大きなストラップを作ったらしい。車を利用する者みな口に出さないが、きっと全員がこれを邪魔だと思っているに違いない。
 好意でしてくれているのだから文句は言えないが――
 充明は苦笑いを浮かべ、バンちゃんを発進させた。
 浜西にもらった紙を片手で広げる。A5のコピー用紙にフリーハンドで大雑把な地図が描かれていた。
 会社前の二車線の道を左に折れ、二つ目の信号までの赤ラインを確認すると助手席に地図を置き、スピードを上げた。
 一つ目の赤信号で止まると再び地図をチェックした。
 次の信号を右か――
 赤ラインは簡素な山の絵に続いていた。くねくねの山道に赤色が走っている。てっぺんあたりに一本又峠と記されていた。
 信号が変わり、次の信号まで進む。対向車どころか先行車も後続車もない。
 時計の表示を見ると午後七時を過ぎたところだった。
 まだこんな時間なのに空いてるなんて――さすが田舎道だな。
 次の信号は赤にかからず、ウインカーを出して順調に右に曲がった。
 ヘッドライトに浮かぶ紅葉の隙間から案内標識が見える。
『一本又峠
  本路町 ↑』
 その下に一車線の道がまっすぐ伸びていた。

               3

 峠道の幅員は対向できるぎりぎりの広さしかなく、街灯も少なくてとても暗かった。
 点在する民家の明かりも山に上がるにつれ見えなくなった。
 いったん路肩に止め、室内灯で地図を確認する。
 山の左横には本路町と書かれ、山を抜けた赤ラインはそこに向かう直線の道に重なっていた。
 信号マークを二つ越え、三つ目の信号で左折、そこから『500mぐらい走る』と走り書きされ、店の名前とそれを囲む赤い二重丸にたどり着く。
 山のカーブきついだろうな。おんぼろバンちゃんで辿り着けるかな。
 充明は急に不安になった。運転は得意なほうではないし、暗い山道を走ったこともない。
「まっ、注意しながら行けばいいか。道筋はわかりやすいし、こんな峠じきに越えるだろ。
 よしっ」
 ぱんっと太ももを叩いて気合を入れ、バンちゃんを発進させた。
 暗い道を慎重に走らせながら、そう言えば一本又峠にはなにやら謂れがあったなと、てっくんこと鉄井が話していたことを思い出す。
 この町に伝わる都市伝説らしく、その手の話が大好物な鉄井に、ここに来たばかりの頃、怖い話を知らないかしつこく訊かれた。そういうものに興味がないことを告げると残念そうな顔をしたが「じゃ、聞いて」と、得意げに地元の都市伝説を話し出した。それが一本又峠の怪だった。


 町が鬼志谷村と呼ばれていたはるか昔、流れ者が村に入り込んだ。
 よそ者を受け入れない村人たちが男を追い払い、村を出て行くまで監視していたのだが一本又峠で姿を見失ったという。峠を越えた様子もなく、村に戻ってもいない。峠には化け物が出るという噂があったので、みな男は喰われたのだと思った。
 だがその後、村の某が峠で男を見かけた。何となく不気味に感じ、距離が離れていることをいいことに黙ってその場を離れた。帰ってそのことを伝えると、村一の豪傑が自分たちの目をごまかして山に住み着いていると怒りだし、鉈をもって峠に向かった。
 だが、いつまで経っても帰ってこない。心配して探しに行った身内の者が峠の入り口でよだれを垂らしぼんやりしている豪傑を発見した。何があったか問うと、峠であの男らしき姿を見かけ、こっちへ来いと怒鳴りつけたらしい。
「あいつはえらい速さで走り寄ってきて、ほっかむりした顔をぱっと上げたんじゃ。その顔が、その顔がああああ――」
 そのまま発狂したという。


「――っていう都市伝なんだけど。
 だから、峠に誰かいても声をかけちゃいけない、気づかれないようにそっと逃げろって、今でも伝えられてるんだよ。
 この町では誰か精神病んだりすると『峠で呼びかけてきた男の顔を見た』って言われる。狐憑きとかと同じ系統なんだろうね」
 と、鉄井は締めくくった。
 どこにでもあるよな。そんな話。
 だんだんきつくなるカーブにうんざりしながら、ふんと鼻を鳴らす。
 ヘッドライトに浮かぶ赤や黄色の紅葉が少なくなり、蔦の絡まる荒れた雑木林が徐々に広がってきた。

               4

 カーブはさっきから上りばかりでいっこうに下りにならない。
 とうとう街灯が一基もなくなり、真っ暗な山道はバンちゃんのヘッドライトだけが頼りになった。
「おいおいおい。先輩の地図、間違ってないよな」
 地図には一本道しか描かれていなかった。実際に脇道なども見ていないし、本道から逸れたという覚えもない。
 これで正しいのだ。
 そう思うことにしてしばらく走ったが、峠を抜けるどころかどんどん上がっていくばかりで、周囲の雑木林はますます深くなってくる。
 適度な感覚で配置されていた小さな案内標識も今は全く見かけなくなっていた。
 やっぱり自分が気づかなかっただけで脇道に迷い込んだに違いない。
 充明は車を止めた。
「いったいどこでどうなったんだよ。もうっ」
 こんなところで嘆いても仕方がなく道を戻るしかないが、余裕でUターンできる広い場所もない。
 この先にあるとも思えず、よしっここでやってみようと決心した。やってやれない幅員ではない――自信はないが慎重に切り返しを繰り返せばきっとできる。
 充明はゆっくりハンドルを操作し始めた。
 だが、真っ暗なうえにガードレールのない道での切り返しはやはり怖かった。何度も右へ左へハンドルを切り返すも、結局、焦るばかりで方向転換できず、さらに道と雑木林との間の側溝に脱輪させてしまった。
「うそだろっ」
 ばんっとハンドルを叩いて項垂れる。
 ちょっとぐらい遠回りでもいいから、峠越え以外の道教えて欲しかったよ――
 浜西の顔を思い浮かべ恨みに思った。
「もう帰りたい」
 連絡を取ろうにもスマホは圏外で使用できない。
「今時使えない場所なんてあんの? ここどんだけ山奥なんだよ。おかしいだろぉ」
 鼻をすすりながらダッシュボードを探り、小さな懐中電灯を取り出す。
 車から降りても電波の状況は変わらなかった。とりあえず光を当てて車を調べる。
「あーあ」
 左前輪が側溝にがっちりはまっていて一人ではどうにもできそうにない。
 車が通らないか数分待ってみたが、一台も来ることはなかった。
「寒っ」
 冷気がスーツにしみこんでくる。
 とんでもない道に迷い込んでしまったな。ずっとここにいたら凍死? 
「はは、まさか」
 ぞくりとした。
 通勤に使用しているオレンジ色のマウンテンパーカーを取り出すと着用し、しっかりファスナーを締めた。
 歩いて戻るつもりだった。
 ポケットに財布とスマホを入れる。歩行の負担になるのでバッグは置いておく。
 車にキーをかけてから、このまま放置して通行の妨げにならないかふと不安になった。だが、懐中電灯に照らされた道に積もる古い枯葉の上には轍《わだち》は見えない。頻繁に車が通らないということだ。
 まだ、もう少しここで待機しているべきかと迷いもあったが、これで吹っ切れた。
「おお寒っ――」
 すっぽりフードを被り、充明は来た道を下り始めた。

               5

 ポケットからはみ出したストラップのクマが歩調に合わせぶらぶらと揺れる。
 やっぱ邪魔だな。
 だが、ただの編みぐるみでも今は共に歩く心の支えだった――
 もと来た道を引き返しているはずだった。間違えないように注意して歩いていたのだ、少しのアップダウンはあっても基本下っていないとおかしい。なのに、いつの間にか道は上《のぼ》りばかりになっていた。
 何度かスマホの電波を確認したがいまだ届く場所に出ない。なので助けも呼べない。
 充明は自分が登山の上級者コースに迷い込んだハイカーのように思えた。
「ここってそんなに高い山じゃないよな。何でこんなことになるんだろう」
 そう独り言ちたあと、急に鉄井の都市伝説が頭に浮かんだ。
 うわ、こんなところでやなこと思い出した。
 もし不審な男がいたらどうしよう――って、そんなバカなことないか――いやわからんぞ。あり得るかもしれない――
 あーだめだ、だめだ、こんなこと思ってちゃだめだ。もう忘れよう――はい、全部忘れた。 
 真っ暗い山中は時間の感覚がおかしくなるのか、スマホを確認してもまだ八時台なのにまるで深夜のようだった。とりあえず時間が時間なので、ひとまず安心したが迷った道からいつ出られるのかさっぱりわからない。
 先輩たち、遅いんで心配してるかな。今頃飲んだり食ったりして僕のことなんか忘れてるんじゃないの? 
「僕の歓迎会でしょぉ。誰か気づいて助けに来てよぉ」
 充明は白い息と一緒に泣き言を吐いた。
 前方を照らしていた懐中電灯の光の環が突然闇に吸い込まれた。
「な、なんだ?」
 慌ててぐるりを懐中電灯で確かめる。レンガが囲んでいるのが見え、その闇がトンネルの入り口だとわかった。
 扁額には右側から『一本又峠隧道』と書かれていた。
「やっと峠に来た? ってことは、地図通りに戻ったってことか? じゃ、ここから隣町まで歩けばいいのか。よかった――って、いったいどんだけ時間がかかるんだよっ」
 膝が崩れ落ちそうになるのを踏ん張って充明は頬を叩き、深呼吸すると「仕方ないっ。もう少しだ、がんばろっ」と、暗い穴に踏み込んだ。

               6

 暗く湿ったトンネルは山の中よりも薄気味悪かったが、それほど長くはなく、上りから下りに変わると出口が見えてきた。半円の向こうがきらきらと光っている。
 それを見て出口に向かって走った。
 トンネルを抜けると宝石をちりばめたような光輝く町が左側の眼下に広がっていた。
 これほどきれいな夜景を今まで見たことがなかった。
「よっしゃぁぁぁ」
 光を目印に坂道を下る。
 だが、町の光は下っていくにつれ木々に隠れ始め、完全に見えなくなってしまった。
 それでもこの道を下り続ければ地図に記された道に出るはずだ。きっと目印の信号もあるに違いない。
 そう信じ、充明は雑木林に挟まれた道をひたすら下った。

 ところが気が付くと再び山中に迷い込んでいた。
 アスファルトの車道を下っていたはずなのに、今は樹海のような深い雑木林を彷徨っている。もう町の方向がどっちだったのかさっぱりわからなくなっていた。
「なんなんだよぉ――なんなんだよぉ――」
 折れた枝や飛び出た根っこに足を取られ転びながらも、充明は懸命に歩いた。
 電池が切れて懐中電灯の光が消えた。暗闇の中を一歩も進めなくなりしゃがみ込んだ。スマホのライトを使いたいが、電波が届く場所に来るまでバッテリーを消耗させたくなかった。
 あまりの寒さにフードの紐を締められるだけ締めて顔を隠し、時々服の上から腕や腿を激しく擦った。両手の平で鼻と口を囲み、はあと息を溜めて冷たくてもげそうな鼻も温めた。
 暗闇に目が慣れてくると、思いのほか周囲が見えることに気づいた。ぼんやりとだが歩けないことはない。
 立ち上がった充明はゆっくりと歩を進めた。
「あっ」
 走行音が聞こえる。
 少し先の木々の向こうからちらちらと光が近寄って来た。
 車だっ。あのあたりが車道なんだ。
 枝を散らし、枯れた倒木につまずきながらヘッドライトを目指して走った。
 間に合ってくれっ。
 車道に飛び出すと大きく両手を振った。
 目の前で車が停止する。
 急いで運転席側に近づき、不審者に思われないよう笑みを浮かべて会釈し、
「すみません。道に迷った者ですが――」
 開けてくれるのを待たず、息を弾ませて窓を覗き込んだ。
 ドライバーが身動きもせずにこちらを見つめている。その顔が浜西に似ていた。
「あれっ先輩? 探しに来てくれたんですかぁ」
 充明の目に涙が浮かんだ。
 やっぱり浜西さんはいい人だ。
 だが雰囲気が少し違う気がする。なんとなく老けているような――兄弟か親戚なのか?
 確かめるためガラスに張り付いた。
 するとドライバーの顔がみるみる歪み、裂けるほど大きな口を開けて悲鳴を上げた。
「あ、やば。やっぱり先輩じゃなかった――
 すみません、怪しいものじゃないです。道に迷ったんです。乗せてって下さい」
 懸命にガラスを叩く。
 しかし車はいきなり発進すると、止める間もなく猛スピードで道を下っていった。
 充明は再び暗闇に取り残された。
「なんでだよぉ」
 肩を落としてふらふらと車の跡を追いかける。
 子供のように声を上げて泣きながら、そのまましばらく歩き続けた。
 我に返るとまたもや暗い雑木林に迷い込んでいた。

               7

 浜西が精神を患って入院してからひと月が経った。
 鉄井は不謹慎だと思いつつも心が弾むのを抑えられなかった。発病が峠を通った後だと知ったからだ。
「絶対、一本又峠の怪だよな」
 ふうちゃんと噂話をしていると、横を通った課長に頭を小突かれた。
「馬鹿なこと言うな」
「でも課長。きっと峠は関係してますよ。小林さんもあそこでいなくなったし」
 小林はトンネルの少し手前でバンちゃんを側溝に脱輪させていなくなっていた。
「あのな、鉄井。小林は左遷させられた悩みから失踪したんだ。あいつがミスしたわけじゃなかったのに――
 本社で問題になってたろ。自分の失敗を部下に擦《なす》りつけたやつのこと。小林ももうちょっと我慢していれば本社に戻れたかもしれんのに――
 しかし、いなくなって何年経つんだ。五年か、六年か――」
「七年ですよ、課長。わたしのクマちゃん持ったまま」
 ふうちゃんがデスクに緑茶の入った湯呑を置く。
「そうか。もうそんなに経つか――」
 課長が深いため息をつき、茶をすすった。
 だが、鉄井はいまだに充明が自ら失踪したのではないと思っている。
 小林さんには身辺を整理した様子も書置きもなかった。支社に来た当初ならともかく、あの頃にはもうみんなと仲良くやっていたから思い悩んでいたとは思えない。
 バンちゃんが脱輪したんで歩いて峠を越えようとしただけだ。きっとそこで何かが起こったんだ。
 そう課長に何度も言ってみたが聞いてくれなかった。鉄井の説が都市伝説に由来しているので子供じみた話だと相手にしてくれないのだ。
 どこかで自殺している。はっきりと口にしないが課長はそう思っているのだろう。
 だが、鉄井は自分の説を信じていた。
 今現在ネットで飛び交う『一本又峠の男』の目撃情報。
 クマの人形をポケットからぶら下げたオレンジ色の男が雑木林の中に立っているという。
 小林さんは同じ色のパーカーを持っていた。人形はふうちゃんのだろう。
 きっと浜西さんは一本又峠の男になった小林さんの顔を見てしまったんだ。

               *

「いったいここはどこなんだ? 早く行かなきゃ、僕の歓迎会だ。先輩たちきっと待ってる」
 充明は膝まで埋まる下草を踏み分けてますます深くなる雑木林を歩き続けていた。
 立ち止まってスマホを確認する。相変わらず電波は入ってこない。
 時間の表示はさっき先輩に似た人の車に逃げられてから数分しか経っていなかった。
「あれからずいぶん歩いたと思うけど――山の中はやっぱり時間の感覚がへんだな」
 なんだかおかしくてくすくす笑っていたが、微かな走行音が聞こえてきて顔を上げた。
 ヘッドライトの光が木々の間から見え隠れしながら近づいてくる。
「おーい。おーい」
 充明は大声を上げ、車に向かって走り出した。

山路譚【山の案山子】

2021-11-25 15:11:30 | 山路譚



 山道のドライブを始めて何年になるのだろうか。
 毎回ほぼ同じコースで新鮮味や面白みがなくなり、緊張感も欠けてくるが、日帰りのドライブではそう遠出もできず、楽しみの限界を感じていた。
 そこで私はルートの拡大を止め、いつものルートから横道に逸れることを思いついた。遠く広げていくのではなく近距離で深くというわけだ。
 実行に移すと思いのほか楽しめた。同じ山中でこうも違うのかというぐらい新しい面が見られ、迷い込まないように注意さえすれば日帰りでも十分堪能できた。なぜ今まで思いつかなかったのかとおかしくなるほどだった。

 あの日もいつものコースから大きく外れて車を走らせていた。複雑に入り組んでいても、ちゃんと町に繋がっているか地図で確認済みの安心できる道だ。
 集落はないが、山道とそれに並行し蛇行する川を挟んだ山々は整備されていて、山深いとはいっても不安を感じるようなことはまったくない。
 ずいぶん奥まで来た時、左手にある山の斜面に黒っぽい丸太を組んだ伏せ込みが見えた。この道に入る手前にあった産直の店でシイタケが販売されていた。肉厚でおいしそうだったので購入したのだが、そのシイタケのホダ場なのかもしれないと思った。
 すぐ通り過ぎてしまうほどの規模かと思いきや、緩やかな山の斜面の木立の下にホダ場がずっと続いている。かなり大きな規模なので、シイタケはこの土地推しの特産物に違いない。
 そう思いながら進んでいると、薄暗い木立の影に一瞬明るい色が映えた。
「今のなんだ?」
 家電量販店の店員が着るようなオレンジ色の法被を着た人のように見えたが、人にしては真っ黒で細すぎた。
 確かめようかと迷っている間にずいぶん先まで進んでしまった。
 たぶん案山子だ。
 確認に戻るのも馬鹿らしいのでそう思うことにした。
 だが帰宅し、日が経つにつれ、あれが本当は何だったのか気になって仕方なくなった。
 思い起こすと派手な色の法被を着て両手を前に突き出したやけに細くてまっ黒な人が瞼の裏に浮かんでくる。法被はともかく、実際にそんな細くて黒い人間がいるわけがないので、だったらやはり案山子じゃないかとなるわけだが、どうも気になる。
 よし、もう一度行って確かめてみよう。
 こういうものは、どんなに探しても二度と見つけることは叶わなかったという結末になりがちだが、それはそれで構わない。
 そういうわけで、きょう私はあの日と同じルートを辿っている。
 細部まで確認できるよう双眼鏡まで用意してきた。
 それで案山子なら納得がいく。派手な色の服――たまたまあったのが法被だったのだろう――を着せ害獣からシイタケを守っているのだ。
 もしきょう、それが見えなかったら、たぶんそれはホダ場を見回りしていた人間だったのだろう。異常な黒さや細さは気になるものの、ほんの一瞬だったから木立の影のせいでそう見えたのかもしれないし。
 もしどちらでもなかったなら、霜除けのビニールシート――オレンジ色なんてあるのか知らないが――などが風で舞い上がり、法被を着た人の立ち姿に偶然見えただけかもしれない――などなど様々な可能性に思いを巡らせる。
 こんなことくらいでここまで来るなんて、友人に知られたら思いきり笑われるだろう。だが、私は確かめたくて仕方なかった。
 果たして――山の斜面のホダ場にオレンジ色の法被を着たものが立っていた。
 車を止めて車外に出る。あの日もそうだったが、他に走行する車もなく、人目を気にしないで双眼鏡を覗けた。
 やはり案山子だった。
 法被から出ている首から上の頭の部分や腕、腰から下は人型にうまく組まれた古い丸太で、用を終えたホダ木を使っているのか、真っ黒く萎んでかさかさに朽ちかけている。
 派手な法被との対比でなかなか不気味だ。害獣に効くというよりシイタケ泥棒に効きそうだ。
「うまく作ったもんだな」
 独り言ちながら、なおも双眼鏡を覗き込んでいると、法被から伸びる手足が微かに動いたように見えた。
 いやまさかな。
 いったん双眼鏡から目を離し、裸眼を細め眺めてみたが何もわからない。
 じっと眺めているからそう見えただけだ。錯視ってやつ? きっとそれだ。
 そう自分に言い聞かせ、再び双眼鏡を覗く。
 案山子は動かなかったが、さっきと立ち姿が微妙に変化しているように思えた。
 これも錯覚だ――再びそう納得しようとした時、
「なにしてるんや」
 突然背後から声をかけられ飛び上がった。
 食い入るように覗き込んでいたので、人の来た気配にまったく気づかなかった。悪いことをしているわけではないがどぎまぎして、シイタケ泥棒の偵察に間違われているかもしれないと後ろめたさを感じた。
「いや、あの――そのぉ――バードウオッチングしてまして――」
 へらへらと言いわけしながら振り向いた。
「ここらにおまんが見るよな鳥らおらんで」
 麦藁帽を被った百姓姿の老人が三人立っている。下手な言い訳などお見通しだという眼つきで睨んでいた。
 一瞬ひるんだが、それは睨まれているからではなく、老人たちの顔一面に出た吹出物が不気味だったからだ。
「す、すみません。実はあの案山子が気になったもので」
 食い入るように見ては失礼だと、私はすぐ老人たちの顔から目を逸らし、ホダ場を指さして正直に白状した。
 老人の一人が笑った。
「ありゃトメさん言うてな、案山子やないで」
「いやゲンさん、ありゃもう案山子やで」
 隣の老人も笑い、もう一人も「そやそや」とうなずく。
「あー、別にシイタケを盗みに来たわけじゃないんで――ご心配かけました。じゃ」
 老人たちの会話が意味不明な上に、なぜか背筋がぞっとしたので、私は会釈して早々と車に乗り込もうとした。
「ちょ、待ちない。ここで会うたんも何かの縁やで」
 ドアにかけた手をつかまれた。その手にも顔と同じようなできものが無数にできている。それは小さなシイタケの形をしていた。
「おまんもきょうからわしらの仲間や。人に植菌したシイタケは特別うまいで」
「値も張るしな」
「そやそや、案山子になるまで、まあ頑張ろうや」

山路譚【中継】

2021-04-30 17:13:43 | 山路譚




 こちらヘリからの中継、リポーターの川瀬冬美です。
 先ほどから国道R号線を逃走し続ける武谷容疑者の車両を追跡しております。見えますでしょうか。
 はいそうです。あの青い車両が前科六犯の武谷容疑者が乗っている車です。再び強盗、今回は殺人まで犯して逃走しています。
 ついさっきまでパトカーが追跡していたのですが、他の車両への安全面を配慮し、いったん離れたもようです。
 いえ。見失っているわけではありません。
 はいそうです。我々の協力で追跡は続けられております。
 はいっ、がんばります。
 この国道R号線の先はW県との県境なんですが、峠の手前で他のパトカーが待機しているという情報も入っております。
 あ、林道で三台のパトカーが待機しているのが見えました。竹谷容疑者の車両をブロックする手筈でしょうか。
 うまくいくといいのですが――
 ああっ、先走ったのでしょうか――一台のパトカーが発進してしまいました。竹谷容疑者の車両はまだだいぶ手前です。この山道にはいくつか横道がありますが、パトカーに気付かれたらそちらのほうに逃げてしまう可能性があります。
 あっ気付かれたかもしれません。見えますでしょうか――竹谷容疑者の車両がバックし始め――よ、横道に逃走しましたっ。
 雑木林の陰が邪魔で、わたしたちからはこの道がどこに続いているのかまったくわかりません。
 竹谷容疑者の車両も隠れてしまって確認することができなくなりました。後を追ったパトカーも見えません。
 あ、一瞬ですが木々の隙間から容疑者の車両と追いかけるパトカーが見えまし――あ、もう見えなくなりました。
 山道を上っているようですが、いったいどこへ続いているのでしょうか。
 それにしても深い山です。どこまでも木、木、木しかありません。
 はい。はい、そうです。今はまったく何も――どこにいるのかさえわかりません。
 え? あ、はい。いったんスタジオへ――はい、わかりました。新しい状況がわかり次第連絡します。

「スクープが撮れると思ったんだけど、一体どこに行っちゃったのかしら。マジでまったく見えないわね」
 冬美は舌打ちしながら旋回するヘリの窓から木々に覆われる山へと目を凝らした。
「あ、ちょっと待って。ね、あれパトカーじゃない?」
 視線を外さず、カメラマンの安原に手で合図を送る。
「下りて来てるよね? 行き止まりだったのかしら? 竹谷容疑者の車は見える?」
「見えないな」
 安原の返事に「まさかパトカーだけ? もしかして、もう確保したってこと? うそでしょ、決定的瞬間取りたかったのにぃ」
 傍受している警察無線からノイズ混じりに声が流れて来る。途切れながらも「危険」「撤収」は聞こえたが、「逮捕」や「確保」は聞こえない。
「まさか山中が危険だからって見逃したわけじゃないわよね?」
 眉をしかめる冬美に「さあ」と安原が首を傾げた。
「せっかくここまで追い詰めといて? ウソよね? 懲りずに犯罪繰り返すやつよ。逃したらまた何しでかすか――
 ねえ、もうちょっと先まで飛んで。もしかして行く先わかるかも」
 パイロットに指示を出す。
「もうちょっと高度下げられる? 
 あっ、いた。いたわっ。ほら、あそこ。全然追いかけられるじゃない。なんで逃したのよ」
 青い車が木々の間から見えた。道がどこに続いているのかは不明だが、すぐ先は雑木林の陰が途切れ、大きな岩の飛び出た山肌が見えている。
 その岩にかけられた注連縄の白紙垂が風になびいていた。
「警察の失態もスクープできそうだわ。スタジオ呼ぶ?」
 安原に問うたその時、大岩が動いた。崩落かと思ったがそうではなく、まるで生き物のように身震いし、ぱかっと岩面が赤く縦に裂けた。
 竹谷容疑者の青い車が雑木林の陰から出て来た。
 大岩が首を伸ばすようにぬうっと動いて、赤い裂け目が車の前に立ち塞がる。
 瞬間ブレーキランプが灯ったが、時すでに遅し、あっという間もなく車は裂け目に呑みこまれていった。
 冬美は安原の顔を見た。
 彼は信じられないという表情を浮かべていたが、きっと自分の顔もそうだろう。
 警察無線からノイズに紛れて「任務完了」という声が聞こえた。
「おい、あれ見ろ」
 安原が山の中腹にカメラを向けた。視線を向けると木々の陰にパトカーの潜んでいるのが見える。なにをしているのかわからないが、ヘリの動きを窺っているような気がして冬美の背すじに悪寒が走った。
「そっちは映さないでっ。今撮ったものも消去して。竹谷は山に入り込んでそのまま逃げてしまったのよ。スタジオには今からそう報告するわ」
「いやでも――」
「それでいいのよ。わたしたちはスクープをものにできなかったの。さっさと局に帰って謝罪しましょう」
 納得できない表情の安原を無視して、冬美はパイロットに帰還の指示を出す。
 このことは忘れよう。いや忘れなければいけない。
 警察が何かの力で犯罪者の『始末』をしていることもスクープには違いないが命あっての物種だ。
 どうせやられたのはどうしようもないクズなのだ。これで平和が保てるならいいことではないか。
 遠く下界に広がる街には沈んでいく夕日がビルを眩しく照らしていた。

山路譚【きょうも山道を走るのだ・4】

2021-03-08 11:47:03 | 山路譚




 山道をよくドライブする。
 トンネル内を走っていた時、歩道用通路にそこそこ大きな黒い塊が置かれているのを目にした。
 それが何なのかはすぐ通り過ぎてしまったのではっきり見えなかった。黒い布をかぶせていたように思えるが、それもはっきりわからない。
 誰かが置き捨てたゴミなのか、それとも凍結防止剤なのか。
 まったく何かはわからないが、誰かがうずくまっているように見えなくもなかった。
 んなことないか。
 進む道にはトンネルがいくつもあり、次のトンネルに入っても同じような塊があった。次もその次も。
 いやこれもう、真冬に向けて準備された凍結防止剤に決まりでしょ。
 そう独り言ちるも、気になるのが、その黒い塊の高さが見る度に伸びていることだ。まるでうずくまる人が立ち上がっていくかのように。
 最後のトンネルに入る。
 ずっと先にいる黒い布を被る人のようなものが遠目に見え、思わずスピードを緩めてしまった。
 激しくクラクションを鳴らしながら追い越す後続車に瞬間気を取られ、視線を戻した時にはトンネル内にもう何もいなかった。


山路譚【きょうも山道を走るのだ・3】

2021-03-08 11:39:28 | 山路譚




 山道をよくドライブする。
 昼間でも深夜でも、どこの山道を通っていても今まで怪異に出会ったことはない。
 だが、「ん?」というようなことは多々ある。気のせい、目の錯覚、そう言ってしまえばそれまでだが、さっきのは何だったのだろうと後々まで気になって仕方ない。あの時あの場で確かめておけばよかったと後悔するが、もしそうしていたら無事では済まない怪異に出会っていたかもしれない。
 ドライブコースのほとんどが心霊スポットと呼ばれる場所のある地域を通る。知って通っていたわけでなく、後になってそこがそう呼ばれていると知るのだが、すぐそばを通っていたと思うと感慨深い。
 だからと言って、明らかな怪異に出会うことはないだろうが。

               *

 山中には殺人事件の遺体遺棄現場もあり――後に心霊スポットになっている――やはりこれも知っていて走るわけでなく、こちらのほうのドライブコースに遺体を遺棄する事件が発生するのだ。山中はいろんな意味で怖い場所だと痛感する。
 だが、ドライブし始めた頃は狭く険しかった山道も今や広くきれいに整備されずいぶん走りやすくなった。その分、怪しさは薄れた。
 最近、家の近くで今までいなかったカラスを見かける。付近の自然が開発され消えてなくなったからだろう。
 深い山も開発され、畏怖が消えた時、追われた怪異が街に流出するのはもうすぐかもしれない。