消火栓
さっさと帰ればよかった。宿題なんて忘れても命まで取られることなんてないのに――
リコは校舎を出たところで課題プリントを机の中に忘れていたことを思い出して教室に戻ることにした。
校舎にはもう誰も残っていない。二階に上がると廊下の壁に設置されている消火栓の扉が半開きなのに気付いた。それだけでなく、開いた隙間からホースの一部が垂れ下がり床に落ちている。
馬鹿男子のいたずらだなと思い、片づけようかと近づいたがなんだか様子がおかしい。
見えているホースの一部が白くて平たい布状のものではなく、細くてぬめっていて、今まで実際に見たことはなかったが腸のような生々しさを感じた。
扉の手前まで来るとそれがずるずると音を立て中に戻り始めた。
え、なにこれ?
この学校に怪談や都市伝説の類があっただろうか。
リコは入学してから今までそんなものを聞いたことがなかった。もちろん過去に噂になるような事件や事故があったという話も聞いた事がない。
じゃ、これは今現在起きている事件? 中になんかいるの? え、ヤバいじゃん。に、逃げなきゃ。
だが、いまだ信じられない。
だって、この中になんも入れないよね。動物とかましてや人間なんて――
動けずじっとしている間に扉がゆっくりと開き、中から異常に長いねじくれた灰色の指が出て扉の縁をつかむ。
びたりと音を立てて床についた足も手と同様不気味な形状で、それを見た時、リコはスカートをひるがえし、階段に向かって廊下を駆け出していた。
やだやだやだやだ――
だが、足がもつれ一段目から踊り場まで転げ落ちてしまった。後頭部を打ち付けて一瞬気が遠くなる。
だめ。早く逃げないと。
気力を奪い立たせるが、打ち所が悪かったのだろうか身体はぴくりとも動かない。気分も悪いし、だんだん頭もぼうっとしてくる。
びたりびたりと足音が聞こえ、だんだん霞む視界の中に灰色をした得体の知れないものたちが入って来た。
覗き込んでくる顔が恐ろしく醜い。
腹に衝撃が走った。鋭い刃物で裂かれ、内臓をいじくられているような激痛がリコを襲う。
だがどうすることもできず涙が溢れるばかりだった。
ギィギィッ
激しい鳴き声が聞こえ腹の中の動きが止まり、足首を持って引きずられ始めた。
背中と頭を打ちつけられながら階段を引っ張られていく。踊り場に這いつくばって床に溜まった血を一心不乱に舐め取っているやつらが逆さまに見えた。
さっさと帰ればよかった。宿題なんて忘れても命まで取られることなんてないのに――
廊下を消火栓のほうへと引きずられ、中に引っ張り込まれていく。
この中はどうなってるの。
せめてそれを確かめたかったが、頭の先まで入ったとたん扉が閉まって真っ暗闇になった。
その時リコは思い出した。
確かにこの学校には怪談や都市伝説はない。
だが、理由もなく家出する生徒がたまにあるということを。