ちびちび日記

りんごっち(ひろはるママ)の普通の日常をつづった日記です。最近またちょっとだけ更新頻度上がりました。読書リストなど

父のこと

2019年02月24日 | LIFE
またまた久しぶりの更新です。

実は

2/18午前10:22に父(73歳)が亡くなりました。

年末に緩和ケア病院に転院し、50日目の朝でした。

正直言って、この50日間は長かったです。

入院当初は一時安定して食事も少量ながらとれていました。
(素麺を小鉢にほんの少し、牛乳、果物程度)
面会に行くと「病院食は嫌だ。アレが食べたい、コレが食べたい」と言っていました。
1月中旬には私が持って行ったナポリタンを食べたり
母が握った昆布の佃煮が入ったおにぎりなどを食べていました。
が、ちょっとだけ食べたつもりでも結局あとで物凄い吐き気に襲われるようになり、
途中からは希望の物を持って行っても「持って帰って」と言ったり、
置いていっても次行った時まで手付かずで残っていたりと
食べられなくなりました。
1月の中旬からは食欲がガクンと落ちました。

基本的に毎週末、兄の車で面会に行ってましたが、
1/27〜はるがインフルエンザ、
2日後にひろがインフルエンザとほぼ1週間引きこもりを体験し、
面会に行けない週もありました。

2/2〜父が薬を拒否し(吐き気が酷過ぎて、薬すら飲みこめない)
ほぼ何も食べない状態になってしまいました。
水分だけは辛うじて取っていましたが、
ペットボトルから直接飲めていたのが、
ペットボトルの蓋が開けられなくなり、
蓋つきコップにストローをさして飲むようになり、
吸い口で飲むようになり、最後は自力では飲めなくなりました。


2/12シャワーを浴びたら、具合が悪くなり、CT画像と血液検査を受けたと父本人から母へ連絡。
検査結果を家族にお話したい旨、兄の携帯へ一方があり。兄が会社帰りに面会へ。
この頃から坂道を下るように一気に病状が悪化。
2/15の朝、血圧が80台までしか上がらなくなって来たと病院から兄の携帯に連絡あり。
2/16 ひろの学校のPTA役員打ち合わせの後、面会へ。
医師との面談で血液検査の結果を聞き、「明日、明後日くらいかも」と。
腫瘍マーカーの値が1000000で医師もこれほどは見たことはないと。

夕方までずっと病院にいて、その夜は兄が病室に泊まることにし、
私と母は帰宅。
翌日(2/17)も面会へ。夕方16時に、今夜は落ち着いてますねと言われ、帰宅。

夜中に呼ばれることも想定して寝ましたが、夜中は何事もなく、
2/18 朝、とりあえずダンナ普通に出勤、6:45に普通に起き、ひろを起こし、
朝食の準備をしていたら「危篤状態です」と電話(7:15)が。

慌ててまだ寝ていたはるを叩き起こし、母と合流しタクシーで病院へ。
(ひろの欠席連絡の連絡帳をお友達の家に届けたり)

なんとか道が空いていたので8時には病院に着けました。
通勤途中から病院へ来た兄は私達よりちょっとだけ遅れて到着。

家族みんなで見守ることができました。
ひろは父の手を握ったり、「ジィジ、ひろだよ」と声を掛けてました。
はるは怖がって遠巻きに見ていましたね。
最後はひろは号泣してましたが。



コメント
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