
好きな人と別れた翌朝、世
界は見事に色あせて見え
る。
恋人の言葉、そして表情。
思い出すたびに深い谷底
へと突き落とされるような
気持ちになるのに、
ふと気づくとまた思い出して
いる。
好きな人と別れた翌朝、世
界は見事に色あせて見え
る。
恋人の言葉、そして表情。
思い出すたびに深い谷底
へと突き落とされるような
気持ちになるのに、
ふと気づくとまた思い出して
いる。
『私、彼がいるのよ』
当たり前だ。
彼がいると言われたく
らいで、ひるんでいては、
彼がいる女がかわいそうだ。
幸せになりたい
と思ったときから
しあわせは始まっている
「何人いる?」
いい女なら彼が複数いても、
罪じゃない。
一人くらい、
増えたって、
かまわないよね。
茜色の朝焼け雲 ひとつ千切
れて
ほころんだ空に夢が紡がれる
愛や恋心は、人類不変、
永遠のテーマに違いない。
みんな惑い、迷っているから
こそ、語られていくものだと
思う。
ふと思いついた感じの
シャンパンの
気泡のような口づけが
好き
小川洋子さんの「博士
の愛した数式」を読んで、
驚いた箇所がある。博士
が、数学者の仕事につい
て「私」に語る場面。
「そう、まさに発見だ。
発明じゃない。自分が
生まれる以前から、誰
にも気づかれずそこに
存在している定理を、
掘り起こすんだ。神の
手帳にだけ記されてい
る真理を、一行ずつ、
書き写してゆくような
ものだ(後略)」
数学になぞらえることに
気おくれするのだが、こ
れは、僕が文章の書き方
について考えていたこと
と同じだった。すなわち、
「文章はつくるものでは
ない、見つけるものだ」と、
もちろん、言葉に、数学の
世界の「定理」などという、
絶対的で唯一無二の解答は
ない。見る角度を変えれば、
いくつもの答えが出てくる
はずである。それでも、そ
のいくつもの答えの中で、
何人もの人が心の底から、
「そうだ、その通りだ」と
うなづけるものはそんなに
多くはない。むしろ希少で
ある。
この空中のそここに、人知
れずにひっそり浮遊してい
る「ほんとうのことたち」を、
ひょいとつかまえ、誰の心
にも入りやすいカタチにし
て人々の前に呈示する。
それが、僕の考えることば
たちである。
時々
君にだけわかる言葉で
合図を送ろう
ひとりぼっちを我慢でき
ない夜
水平線を見つめて
立てる灯台の光りては
消えゆくもの思い
女の人が、男の人と肩を
ならべてがんばる時代は、
いい時代だと思う。
お年寄りが、若い人とも
っと気軽に話せるように
なったら、
今よりも住みやすい世の
中になると思う。
きれいなものや、楽しい
ことや、あこがれや、幸せ
に、誰もが同じように。
手の届く距離でいられます
ように。
ならんでいきたい
後になって「あれはこうなる
べくしてなったんだ」
と思えるような“偶然”と
いうのがあります。
偶然の力を信じていると、そ
のような意味のある偶然が
次々と身の回りで起こり始め、
その偶然がまた新たな偶然を
呼ぶようになります。
それを「偶然力」と呼ぶので
すが、この力を身につけるに
は、なんでもいいから、
とにかく行動を起こすこと
です。
家でじっとしていても
偶然の神さまはやってきません。
あなたにとっての
唯一の“優しいひと”も・・・・。
人は誰もが、愛する人に巡り
合いたいと思って生きています。
そして愛する人に巡り合ったと
きは、たとえその人に妻子があ
ったとしても自分のものにした
いと思うでしょう。
そうすると、そこに欲が出る。
永久にこの人を離したくにと思う。
“愛すれば執(しゅう)す、執
すれば着(ちゃく)す“のです。
人はいつでも、自分の都合のいい
ことや快いものが永遠につづくこ
とを願うし、永遠につづくと思い
たがります。
愛の芽生えのころ、燃えさかって
いるところの愛人同士はこの愛が
冷めるなど予想することもできま
せん。
自分の情熱は永遠につづくように
思うし、相手の愛も、自分以上に
長つづきすると信じこんでいます。
世の中のことは諸行無情。人の
心も人の愛も一時もじっとひとと
ころにとどまっているものではあ
りません。
愛は必ずおとろえ、やがて冷める。
情熱は燃えたら灰になります。
二人の愛が度合いや時間で歩調を
あわせてうつろえばいいのですが、
時間にどちらかが先にうつろうと、
とり残されたほうが“失恋”した
ことになります。
失恋というのは、恋の成就しない
ときの片想いだけをいうのでは
なく、恋の成就したあとの破局
のときにもいいます。
愛したとたん、人は苦しむという
覚悟を持つべきです。