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ジャズエイジのジャズ(附録1)
モボ・モガだけじゃない ニッポン児童だってジャズ♪したい
ジャズの歴史について書いてあるサイトなどをつらつらと眺めますと、
1917年に行われた「オリジナル デキシーランド ジャズ バンド」、
略して「ODJB」という白人ジャズバンドによる録音が、
ジャズと呼ばれる音楽の最初のレコーディング、ということになっているようです。
僕の持っている戦前の日本のジャズを集めたCDのライナーによると、
1925年には日本でも最初のジャズのレコーディングが行われた、
という風に書いてあったと思うのだけれども・・・いまちょっと確証が無い(笑)
ないんですけれども、1920~30年代のモボ・モガの時代、
海外の流行は日本にもタイムラグなく次々と入ってきていたのだ~、
ということは言っちゃって大丈夫な気がしています。
さて、先日、orochonさんから、
戦前(1931年前後)の日本には「ジャズ喰い」という言葉があった、
との書き込みを頂きました。
ジャズ愛好家の方には眉をしかめられてしまいそうですが、
これはあまりお上品な食べ方のことではなく、音を立てて食べることを言ったらしい。
わはははは。
なんか賑やかで元気が良いものは、み~んなジャズにされてしまったのでしょうか。
いずれにせよ、この時期、かな~り(浅いかも知れんけど)広く
「ジャズ」という言葉がニッポンの津々浦々まで浸透していた
というのは、やはりなかなか凄い事なのではないかと。
いや別に津々浦々かどうか調べたわけじゃ無いんですけど、気持ちの勢い的に。
で、こんなサイトを発見いたしました。
→ 「昔のレコードを聴こう!」
戦前のSPレコードを紹介した、なかなか興味深いサイトなのですが、
このサイトの「鞠ちゃんはお茶目?:平井英子」というコーナーで
児童ジャズ「黒ニャゴ」という音楽を聞く事が出来ます。録音は1929年。
しかし何ゆえこれが「児童ジャズ」と銘打たれる必要があったのか、
今となっては知る由もございません。
<追記>
家に帰って確認してみました。
件のCDは10年位前に買った「日本ジャズ大系セレクト~新編SP時代のジャズ」というCD。

黒地にすっごいいかしたイラストの昔のキングレコードのレーベルが配されているという
なかなかに洒落たジャケットデザインで、明らかにジャケ買したことがわかります。
収録曲の中に大正14(1925)年7月録音の「ワラー・ワラー/日東ジャズバンド」と、
ほぼ同時期の吹込み、と書かれている「印度の歌/松竹ジャズバンド」があり、
瀬川昌久さんによるライナーノーツには、
「恐らく(録音として残されている)日本最古のジャズ演奏と思われる」とありました。
因みにレーベル面には「NITTO JASS BAND」と印刷されているそうで、
この辺りの表記の揺れもまさに同時代的でありますね。
ジャズの歴史について書いてあるサイトなどをつらつらと眺めますと、
1917年に行われた「オリジナル デキシーランド ジャズ バンド」、
略して「ODJB」という白人ジャズバンドによる録音が、
ジャズと呼ばれる音楽の最初のレコーディング、ということになっているようです。
僕の持っている戦前の日本のジャズを集めたCDのライナーによると、
1925年には日本でも最初のジャズのレコーディングが行われた、
という風に書いてあったと思うのだけれども・・・いまちょっと確証が無い(笑)
ないんですけれども、1920~30年代のモボ・モガの時代、
海外の流行は日本にもタイムラグなく次々と入ってきていたのだ~、
ということは言っちゃって大丈夫な気がしています。
さて、先日、orochonさんから、
戦前(1931年前後)の日本には「ジャズ喰い」という言葉があった、
との書き込みを頂きました。
ジャズ愛好家の方には眉をしかめられてしまいそうですが、
これはあまりお上品な食べ方のことではなく、音を立てて食べることを言ったらしい。
わはははは。
なんか賑やかで元気が良いものは、み~んなジャズにされてしまったのでしょうか。
いずれにせよ、この時期、かな~り(浅いかも知れんけど)広く
「ジャズ」という言葉がニッポンの津々浦々まで浸透していた
というのは、やはりなかなか凄い事なのではないかと。
いや別に津々浦々かどうか調べたわけじゃ無いんですけど、気持ちの勢い的に。
で、こんなサイトを発見いたしました。
→ 「昔のレコードを聴こう!」
戦前のSPレコードを紹介した、なかなか興味深いサイトなのですが、
このサイトの「鞠ちゃんはお茶目?:平井英子」というコーナーで
児童ジャズ「黒ニャゴ」という音楽を聞く事が出来ます。録音は1929年。
しかし何ゆえこれが「児童ジャズ」と銘打たれる必要があったのか、
今となっては知る由もございません。
<追記>
家に帰って確認してみました。
件のCDは10年位前に買った「日本ジャズ大系セレクト~新編SP時代のジャズ」というCD。

黒地にすっごいいかしたイラストの昔のキングレコードのレーベルが配されているという
なかなかに洒落たジャケットデザインで、明らかにジャケ買したことがわかります。
収録曲の中に大正14(1925)年7月録音の「ワラー・ワラー/日東ジャズバンド」と、
ほぼ同時期の吹込み、と書かれている「印度の歌/松竹ジャズバンド」があり、
瀬川昌久さんによるライナーノーツには、
「恐らく(録音として残されている)日本最古のジャズ演奏と思われる」とありました。
因みにレーベル面には「NITTO JASS BAND」と印刷されているそうで、
この辺りの表記の揺れもまさに同時代的でありますね。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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大好きな二村定一の美声を楽しませて頂きました♪「アラビアの唄」は良いですねぇ
海野弘さんってなんとなく喰わず(読まず)嫌いなんですが、さすが嗅覚鋭いですね>ジャズ笛
当時のポピュラー音楽、全然知らなくて、平井英子さんの紹介のところから広がって、わっと色々知りました。瀬川昌久さんの著作や、監修されたCDにも面白いものがありそうなのですが、既に絶版のようで残念。
何故かネットではこの「新編」の方はあまり検索に引っかかりませんですね。ニューオリンズ、心配です。シンス・イエスタディという本によりますと、1930年代にもアメリカは大洪水や砂嵐などの大規模な災害に見舞われていたようですが、ある面人災だったとか。自然への怖れは忘れてはいけないですね。これ以上災害が広がらない事を祈るのみです。