九里 【九里】を探して三千里

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再び片岡氏を考える。

2021-01-25 | 片岡氏

片岡氏が藤原秀郷流という情報を得た。讃岐の地方史さんのページ
https://tokyox.sakura.ne.jp/pukiwiki/index.php?%E8%AE%83%E5%B2%90%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%8F%B2

きたっ!という感じなのだが、見ることのできる系図には出ていていない。見落としかも知れないが…

「(塚墓) 墓二 片岡伊賀守の墓とその馬の墓   
伊賀氏系図に書かれている事であるが、鎮守府将軍秀郷の末裔に八郎経春という人物がおり、伊勢國片岡に居住していたので片岡氏と称した。               
経春の弟七郎高村は伊賀國に移って氏を伊賀と改め、高村から五代目大炊頭村信になって備前国邑久郡豊原莊へと住まいした。」

この伊勢国片岡を調べると、【片岡温泉】と出てきて、なんと菰野である。





この位置を考えると充分にあり得る場所。有り得るとは、片岡氏=九里氏だったのではないかという事なのだが…員弁にも近く、近江にも行ける場所。しかも近江八幡へまっしぐら。

そしてもう一つ、北条義時で思い出したのが「片岡経久」北条義時召して…云々



名前の経春は、経治とも書ける。さらに治は任と崩し字が似ている。




共に左の文字を見ると、治なのか任なのかが、判別しがたい。(と思っているのは私だけかもしれない。)

===*===
他に得たweb情報では…
多部氏
千葉一族という。片岡常春とともに下総藤原氏に従った多部師時(次郎)があって西田部城(香取市西田部字御城)を築いた。しかし、片岡常春が千葉介常胤に攻撃されると討死にした。

この庄(三崎)の庄司片岡八郎常春文治五年、再びその知行をとどめ、千葉氏に与えられ、以後、千葉氏の地頭請所となった。





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