柏原織田家臣系譜には載っていないことだが、我が家の文書の系図(下書きの方)には書いてある【九里静:長崎藩士族 馬場武義 妻】
今までは気に留めていなかったのだが、今の気持ちが幕末~明治なので、調べてみた。
この方なのではないだろうか?
pdfの「お伽の国」日本とちりめん本 より https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/tmp/88.pdf
馬場武義:佐賀生まれ。長崎広運館出身。明治6年(1873年)、イギリスに私費留学。帰国後「馬場学校」を開業。
この長崎広運館というのは、後の「長崎英語学校」である。
wikipediaによると「長崎英語学校の源流は、幕末期の1858年(安政5年)7月、英語通詞速成のため設置された英語伝習所である。」そうである。
馬場武義は、イギリスのケンブリッジ大学に留学し、日本人によるイギリス消費組合の紹介をする。
1878(明治11)年『郵便報知新聞』に掲載された馬場武義の「協力商店創立ノ議」がそれである。
この翌年、共立商社その他の日本初の消費組合が設立された。(webページ 平成17年度一橋大学附属図書館企画展示 より)
今でも一橋大学図書館にに「 協力商店創立ノ議 : 馬場武義研究ノート 」があるようだ。
蛇足ではあるが、この馬場武義の父親、または祖父はもしかすると「馬場佐十郎」(馬場千之助)であるのかもしれない。【蘭学事始】にその名前が出てくる。
馬場佐十郎 (1787-1822) は名を貞由といい、 語学の才に恵まれ、 蘭語学書やロシア語学書を著述しており、 本書のまえがきを蘭文で書いている。 尚、 中津藩の家臣神谷弘孝が大いに協力している。
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/50/rango.htm
馬場佐十郎撰 『蘭語訳撰 (Rango yakusen)』文化7年 (1810)
もしも上記の人と九里静の夫が同一人物であるならば、私の曽祖父の叔母(静)は東京暮らしであったかもしれない。
しかも、長崎では、五代友厚とも知り合いであった可能性も大である。
馬場武義・静の子どもは、武一・アイ・次郎の三人である。(系図をつくった時点では)
このあたり、急に面白くなってきた!
何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメントをいただけますと大変に嬉しいです。
由緒ある家系なんですね
うちはそんなスゴイ家系ではありませんので
羨ましいです
コメントをいただきまして、ありがとうございます。
馬場氏は嫁ぎ先になるのでは…と思われる人物ですが、本当にそうなのかどうかはまだわかりません。
この明治初期にイギリスに留学、しかも鍋島直虎藩主のおつきの人として行っているので、英語力が抜群で、しかも藩主を守るための方もできた人であったのかもしれません。(刀かピストル)
私も、調べてみて驚きました。