佐味神社のある伊香郡、(鉄や丹生に関係していたと思われる)佐味神社が三つある 余呉町2つと高月町柏原にもある。
佐目氏のいた佐目館のある東近江市(旧:神崎郡永源寺町)永源寺佐目町
さらに多賀氏の多賀大社の近くの佐目 犬上郡多賀町大字佐目
この佐目館の佐目も金や銀がとれたそうである。
さらにここが得珍保と関係があったとは。。。驚き。でも納得。
城郭探訪さんのページからだが
「中世には、八風街道が伊勢への間道として、保内商人や得珍保の商人は、僧兵の警護で伊勢との交易に使用している。
(得珍保(とくちんのほ)は中世、遅くとも鎌倉時代頃から戦国時代まで近江国蒲生郡(現・東近江市)に存在した延暦寺東塔東谷仏頂尾衆徒領の荘園である。保内の今堀日吉神社に保蔵されていた文書によって座商人たちの商業活動が判明している数少ない例であり、後の近江商人につながる中世後期商人たちの拠点となった荘園でもある。また惣結合(郷村の自治結合)が発達した地)」
まさに、その得珍保で働いていた(管理していた)のが九里氏であり、九里員定である。
近江愛智郡誌、八日市史、中世地域史の研究など様々な得珍保の商業関係の記録に名前が挙がっている。
九里の中でも有名人である。(室町時代)
https://www.google.com/search?q=%E4%B9%9D%E9%87%8C%E5%93%A1%E5%AE%9A&client=firefox-b-d&sxsrf=ACYBGNQUU8YXTCJbk67udXD67dG5bBWXbA:1572008300491&source=lnms&tbm=bks&sa=X&ved=0ahUKEwiPtdaiu7flAhXyx4sBHRU9CoQQ_AUIFygB&biw=1232&bih=676
https://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/410aa8800f8be1f58ab4cbde7f4d21a8
多賀の佐目
多賀の佐目と灰色マークがいなべの相場(饗庭)である。深尾氏が潜んでいた。
九居瀬と佐目館があったあたり
(昔の伊香郡)長浜市の佐味神社3つ (そのうち余呉町2つ)一つは青〇
長浜市高月町の佐味神社
東京では阿豆佐味天神ってありますよ。そこと奈良で探索していましたけど他もいっぱいありそうでワクワクします。佐味は美味しいって意味に思うんですよね。でお水の神様とは思うんですけど、どうも水運の方にも思います。なのでうさぎを乗せたワニザメでも良さそうに思うんで、和邇氏と鮫なら鮎(と書いてなまずと読む?日下部氏)あたりも関係してくると奈良と山梨と武蔵国なので多賀の辺りの近江も個人的には入れたいです。あと地図で治田って字を見ちゃったせいか飛鳥も関係するように思うんですよね。
一言で言えば食べ物にまつわる水神さんが佐味っぽく思ってます。なので当然関わる一族も決まってきそうですよね。佐美も結構昔から気になってますけど、後輩で宇佐美って名字の子がいたんで、宇佐ってのは苦手だけど宇佐美ならいいんだよなあ?ってずっと思ってました。サッカーの方も応援してます。紀古佐美って古代のお名前ありますけど、紀氏は関係してくるんではないかな?紀貫之とかも昔調べましたね。少なくても近くにいる目印になりますよね。
今後が楽しみです。カモっぽいですね。