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九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

昨年の記事を読むと久多庄が書かれていた。ふと佐伯氏を思い出す。改訂

2020-03-26 | 岡田氏 バラバラ情報


久多庄は山城国。近江国の朽木の奥になるそうである。
山城国と湖西は繋がっていて、そうなると、湖西から若狭や湖北に抜けていくこともあったのかもしれない。
今までは湖東を中心に見ていたが、湖西と若狭・湖北と越前というつながりでは見たことがなかった。



ポイントの所に久多漁協がある。不思議だ。
漁協というのは海にあるものとばかり…鰻かな? 残念!(ブラタモリで、海とつながっている汽水域にのみ鰻がいると学んだはずだった。…ここは汽水域ではない。)

「あまご・いわな・鮎」だそうである。その魚たちのための荘園に違いない!
北海道では「あまご」は聞いたことがない、と思って調べてみると「ヤマメ」の仲間のことだった。




福井県史より↓





https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/35aa34a63240a02a909fbe22260e005c

「藤原良方の子の元方が、糟屋の地で土着して糟屋氏の祖になったという。」
佐伯元方のことである。

佐伯元方の裔かと思われる人物=仁和年中(885‐889年)に上総介盛久という人物が久多荘に来住、それ以来久多荘の公文職をつとめたと伝える。

久多川流域国境=長承2中原明兼勘注状初見 とある。勘注とは調査記録することだそうだ。
この地は相論にもなっており、山城国と近江国で、どちらが川の利権を取るかでもめていたらしい。

それで、河童伝説に至ったのではないだろうか。
つまり川に入ると足をつかまれて溺れるぞ~という脅しを、お互いにかけていたのかもしれない。

山城国の久多庄でもあり、文書によっては近江国の久多庄でもある。
「鎌倉遺文は近江国高島郡とするが、現京都市左京区久多の山城国久多庄であろう、山間部の荘園で近江国と接する」歴博DB



===*===

佐々木氏に関係する「藤原元方」も同世代に佐伯氏とは別にいる。
藤原菅根の息「藤原元方」 源扶義の母「藤原元方の娘」

そして、藤原元方(888‐953年)の娘が源雅信の妻となり「源扶義」を産む。
源扶義の息「成頼」が近江国佐々木庄に居住し佐々木氏の祖となった、と言われているが、同姓同名の人物がいたという説もある。

私は、ココ藤原元方とつながっていると思う。
成頼か経頼かが近江国と関係していると思う。
そこで熊野とも繋がる縁ができて…と思っている。

それが熊野別当の行範につながる事になる。(藤原実方、息長快。長快の孫が行範)
佐々木行範は「乾氏の祖」と言われている人物である。
佐々木行範と熊野別当行範とは同一人物では?…と疑っているのは、たぶん私の他にはいない。
それほど突拍子もない荒唐無稽説と思う。

土岐氏と佐々木氏のつながりはこの辺りからであったか?

頼政の兄弟には土岐氏から来た養子もいた。
その頼政は熊野にいた源行家(源為義十男=義盛=新宮十郎)に源氏再興の話を持ち掛けに行くことになる。

為義の郎党に近江国佐々木行実の息が何名かなっているほか、佐々木秀義が為義の婿養子となっている。

この辺りが繋がるきっかけであったのではないだろうか?






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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (りひと)
2020-03-27 19:16:54
地図とても興味深いです。
若狭に出られるんですね。
昔この辺りで鎌倉って地名見つけた気がします、久々探してみます。
それからマキノって竹生島行くのに通ったんですけどこの辺りから小浜へもまた若狭方面はとても興味深々です。地図の地名では大杉と保坂もあったかな?俳優の大杉さんも保坂さんも好きだったからかしら?

あとブラタモで琵琶湖が動いたような解説がありましたけど地図みると淡海湖もありました。今ネアンデルタール人にハマってしまってるんですけどドイツ語の谷のタールもこの辺りもないのか?気になります。
和邇氏ってネアンデルタール人かな?なんてちょっと妄想中。石枕の古墳とかも探してみたいなあとかも。

朽木だとしこぶちさんだったかな?これも調べてみます。河童関係っぽいですよね。水神さんでもあるはず。県境も入り組んでいるのがまたとても個人的に興味あります。鞍馬や貴船も近いですし、大原や小野って地名もありますね。

今ドイツのネアンデルタールの地図みて喜んでましたけど湖西もワクワク。どちらもお水の流れとか溜まりが現状でありますが過去動いている可能性もありそうに思います。そしてお水が地形を作った事実も明確ですよね。そうするとお水に関わる知識と時に人間と自然の間を取り持つべき民族が必要になる需要と供給で考えてもお水に関わる民族がいないわけはないでしょう。私欲よりもその地の安全やその地に満遍なくお水からの恩恵を得られるような行動が風習やしきたりが生きているといいのですよね。奈良には多分まだ生きてそうです。
水道がない時代、お水の恩恵に感謝出来ていたでしょうね。今東京はコロナで食料も一気になくなってしまいました。手洗いが今出来るなら安心ですし、水神さんにも感謝したいなあと思ってます。

また記事に直関係ない事ですけど探求のヒントになるといいですがヒントにならないなら読んだら消しちゃっていいですからね。
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