今回「乾氏」を集中的に調べてみて、ふと気になる人物が「深栖氏」であった。
なぜなら、清和源氏・土岐氏と波多野氏をつなげる「波多野御曹司」の存在があるからである。
波多野御曹司は源光重であり、源光信(土岐光信)の息である。
その光重の兄弟には「光基、光重、光長、光義、国時、信保、石清水八幡宗清法印室」がいる。
この光長の妻は、橘道清女、宣能卿女白川局。
光長の息は、国長、光経、光衡。
その光衡が源光基の跡をつぐ。
光基の実の子に「頼基、光行、河内守藤原秀宗室」らがいる。
藤原秀宗室 - 藤原秀康・秀能の母となった女性である。
頼重は後白河院蔵人であり、伊賀氏を名乗る。
(どこかでwikipediaが間違っているのかもしれないと思う。
源氏物語研究者と言われている「源光行の息にも光重」がいる。
この光行は1163年に生まれているため、光重の兄は1185年生まれとされる。
こちらの光重は別人と思われるがクリックすると源光信の息の光重につながってしまう。
間違いと思われる。)
つまり
土岐光信の息光重=源仲政の養子
そう仮定し、進めていく。
光重の姉か妹に「石清水八幡宗清法印室」がいる。
つまり、土岐氏から石清水八幡に嫁いでいるひとがいる。
この人物とイコールかどうかは分からないが「美濃局」が文書に見えるのである。
美濃局紀家子(光清女) 道清自幼少為美濃局猶子
==*==
深栖光重の三男は、【堀三郎頼重】という。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E9%A0%BC%E9%87%8D
源義経と「東国旅人諸陵助重頼(頼重)を相語らい、約諾せしめ…」とあるように、この人物が案内をしたようである。
その頼重は諸陵頭、皇后宮侍長となっていたようで、3人の息がいた。
頼時(九条家勾当)、重胤らがある。
頼政の義理ではあるが甥となる頼重。
波多野御曹司光重の息。
web上では、「源頼政の甥深栖頼重は、下総国の荘園下河辺荘の高野館に帰るとき、 源義経をその行列に紛れこませて、奥州の藤原秀衡に送り届けている。」との記述もある。
下河辺荘の高野館! 何かのヒントになるかもしれない。
また、諸陵頭というのも、牧氏との関係につながっていくかもしれない。
深栖・牧氏・乾氏と深尾氏までもつながりそうなのである。
漢字当てちゃうと結構違うイメージを持ってしまう事が多いですので。
牧と言えば馬も関わりそうなのでとっても気になる所です。各地の牧も源氏との接点ありますからね。
津風呂湖を地図で確認していたら、「平尾」がありました。
これ、九里政直が担当していた地「平尾」のことかもしれません!
宇陀藩の頃ですので、きっとそうだと!
ありがとうございます。嬉しいデス!!
なんかいつか役立つ地元の方しかしらない英雄さんの関わる地なのでそれが久里さんと関係あるって結構必然ですよね!
やっぱこの湖危いですね。
それ以外のダムで縁がありそうなのが愛知県の安城(ちょっと縁あり)の橋が最近見えて話題になった所と私が縁がありそうなのが宮ヶ瀬ダムの底ですね。
そうそれと奈良でもう一個その地にあった神社が水の底に沈むんで移動したお社があったのが飛鳥います神社でした。確か丹生川上神社上社だったかな?ここは確実に父と縁ありそうなのでここも候補ですよ。
単純に個人的な縁だけなのですが、利用できそうな所だけ使って探求してみてください。
確率は結構高いと思いますので。