1851年生まれのようである。

• 馬場武義「協力商店創立ノ議」(複製)
『郵便報知新聞』1878年7月5日、6日、8 日、9日
日本人によるイギリス消費組合の紹介は、1878(明治11)年『郵便報知新聞』に掲載された馬場武義の「協力商店創立ノ議」が最初である。小城藩(佐賀県)出身の馬場は、1873(明治6)年旧藩主鍋島直虎に随行して、2年間イギリスで学んだ。消費組合の発達を目の当たりにし、ロッチデールへも訪れたようである。イギリスでは労働者消費組合が発達していたが、明治政府の政策であった殖産興業の一方策として日本に紹介したことが馬場の協同組合論の特徴である。
我が家の馬場武義氏は長崎藩士と書かれている。でも近い。柏原藩士の曽祖父の父(九里敬三)の記憶違いか?それとも小城藩でも長崎藩士と言えるのか?
そこが、気になる。
そして、1844年生まれの敬三の兄弟は
次男 政邦(雄蔵)別爲支家 明治10年分家
三男 三郎 播州福本藩 片部謹九郎養子
長女 静 長崎藩士族 馬場武義 妻
四男 頣吉 若くして没
五男 復吉 静岡県伊豆河津佐ケ野 明治36年分家
だいたい、静は1851年の義武と同じ年代である。

• 馬場武義「協力商店創立ノ議」(複製)
『郵便報知新聞』1878年7月5日、6日、8 日、9日
日本人によるイギリス消費組合の紹介は、1878(明治11)年『郵便報知新聞』に掲載された馬場武義の「協力商店創立ノ議」が最初である。小城藩(佐賀県)出身の馬場は、1873(明治6)年旧藩主鍋島直虎に随行して、2年間イギリスで学んだ。消費組合の発達を目の当たりにし、ロッチデールへも訪れたようである。イギリスでは労働者消費組合が発達していたが、明治政府の政策であった殖産興業の一方策として日本に紹介したことが馬場の協同組合論の特徴である。
我が家の馬場武義氏は長崎藩士と書かれている。でも近い。柏原藩士の曽祖父の父(九里敬三)の記憶違いか?それとも小城藩でも長崎藩士と言えるのか?
そこが、気になる。
そして、1844年生まれの敬三の兄弟は
次男 政邦(雄蔵)別爲支家 明治10年分家
三男 三郎 播州福本藩 片部謹九郎養子
長女 静 長崎藩士族 馬場武義 妻
四男 頣吉 若くして没
五男 復吉 静岡県伊豆河津佐ケ野 明治36年分家
だいたい、静は1851年の義武と同じ年代である。
肥前は、佐賀と長崎の両県に股がりますので、鍋島潘であれば両県に領地を持っていました。
小城潘は、鍋島潘の小藩なので分家と本家の関係だったからかも。分家から本家に、本家から分家へ養子はよくある話です。
おっしゃる通りに、佐賀藩の支藩だったそうです。
もう幕末~明治なので、九里静が結婚したころは「藩」がぎりぎりあったかな?という感じでしょうか。長崎の英語学校(広運館)に行っていたことから長崎藩主の付き添いのチャンスに恵まれたのかもしれません。