文治3(1187)年9月27日に畠山重忠が召し捕られ、従兄弟の千葉胤正が預かることとなった。
千葉常胤の妻が秩父重弘の娘である。千葉胤正の母である。
その胤正の母方の叔父にあたるのが秩父・畠山重能。その息が畠山重忠である。
本当に胤正と重忠は従兄弟同士になっている!
という事は、日蓮の母と富木常忍の母とは旧知の間柄で、常忍の母は日蓮を支援していたのは、この辺りの関係からかもしれない。
一応、常忍の母は千葉胤正の娘という事になっている。
日蓮の母は、畠山重忠の娘という事になっている。
つまり、従兄弟同士の娘なのである。
また、足立遠元の娘も畠山重忠に嫁いでいる。その姉妹に藤原光能に嫁いでいる者もいる。
藤原光能はひょっとすると中原親能と大江広元の父か養父か?という存在である。年齢的に見て?なのだが…
中原広季のwikipediaにも親能(子)と広元(養子)と記載がある。
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九里の視点におきかえて、この畠山氏を加えてみると、波多野氏と横山氏が見えてきたのである。
横山孝兼(孝兼) 父は経兼(横山野大夫経兼)・・・孝兼は為義の被官 多くの娘がおり、波多野氏にも嫁がせている。娘の中には秩父重弘に嫁いでいた者もいた。(秩父重弘は重能の父なので、重能の母が横山氏となる。重忠の祖母にあたる)
同じ姉妹には、梶原の妻になった者もいて、景時の母となっている。
家譜集成 横山氏さんのページ
http://www.digistats.net/clan/yo/yokoyama.htm
さて、この名前の経兼の「経」はどこからきた「経」なのだろうか?
ここが、近江国の出身の中原氏とつながるのではないかと思っている。
中原久経よりも、もっと古くからからかもしれない?
中原と小野は近いと思う。
鎌倉時代での三左衛門事件では 一条家の家司として、中原政経のそばに小野氏もいたではないか!
児玉党の有道経行という人物も周辺にいる。(平安時代)
伊香シコオが有道氏の始祖とある。このシコオとは「シコオは強い男、強い霊力を持つ男、という意味。」だそうである。物部連(モノノベノムラジ)の祖先の伊香色雄(イカガシコオ)。
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1124105100/1124105100100010/ht030190
日本史疑さんのページ
https://blog.goo.ne.jp/kazurahara_001/e/7adc223d450f77bce2becec98e0cde06
重忠の姉妹には小野氏流岡部氏に嫁いだ「玉の井」がいた。(畠山重能娘)(岡部忠澄)
この岡部氏は「飛鳥時代の小野妹子の子孫で小野篁の末裔、猪俣党の猪俣忠兼から始まる。 」そうである。(wikipedia)
岡部忠澄(岡部忠綱の孫)が源頼朝に従い、平家滅亡後は御家人として奥州藤原氏征伐(奥州合戦)に従軍した。
室町時代では足利氏に仕え、足利基氏以降は鎌倉公方の配下にあり、永享の乱の際には岡部景澄が足利持氏とともに自害している。
戦国時代には、岡部忠秀と子の岡部忠吉、孫の岡部吉正は、後北条氏の家臣、松田康秀の配下になる。
前後するが、伊香のこと。
所縁の史跡さんのページ
https://mononobe-muraji.blogspot.com/2021/09/ikago.html
伊香氏については、物部氏の祖の伊香色雄命に名称が類似する点や、伊香郡内に物部の地名が残る点などから、物部氏との近縁性を指摘する説があります。
吉田東伍氏は、伊香の地名を河内国茨田郡伊香郷に由来する、物部氏の勢力扶植の結果と見ました。
また、太田亮氏も本来は物部氏の同族だったものが、中臣氏へ変化したものとしています。
中原氏も物部の範疇に入っているはず。
更に大中臣・中臣も時には同じ族となる。