秋の佳日
昨日は、素敵な秋の日でした。
改修中の北海道庁。日頃気が付かないデザインが見える。
チカホ(地下歩道空間)の巨大ポスター
美術館到着。
飛鳥時代の作品に魅了された!
そして聖徳太子はいろいろな時代にブームになって現れていたらしいこともわかってきた。
解説パネルがガラスの中の作品の横に有。
文字が小さめ且つ遠いため何処からともなく「小さくて良く見えない」が聞こえてくる。
学芸員様 どうか解説パネルの文字を大きくはっきりとした文字に、何かはっきりと見える工夫をお願いいたします!
久々に楽しい展覧会~~~後期も行こうと思います。
最近怖い夢を見ていたので「夢違観音様」に悪夢が良い夢となるようにお願いしてきました!
買ってきたグッズも私にしては多い。ツボにはまってしまって‥‥
聖徳太子伝暦. 巻上,下 / 平氏 撰
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/nu02/nu02_04583/index.html
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/nu02/nu02_04612/nu02_04612_0002/nu02_04612_0002.pdf
上記は江戸時代の印刷だが、
国宝法隆寺展では南北朝時代の物であった。読みやすい文字であった。
何故か後半に中大兄皇子のことについて、書かれていた。
大内氏と内藤氏 同じ周防国。
内藤氏は大内氏に仕えていたようなのだ。
鎌倉で知り合ったのだろうか?
この大内氏は本当に平賀氏からの裔では「ない」のだろうか?
では、なぜ内藤氏は大内氏の配下に入ったのだろうか?
などなど調べているうちに【周防久利家文書】を見つけた。
久利も石見国ばかりではなく、周防にも居たのだ。
大内・内藤・久利 一見バラバラに見えるが、周防では密に繋がっているようである。
大内義隆のwikipediaに「第15代当主・大内義興の嫡男。母は正室の内藤弘矩の娘」とある。
では「内藤弘矩」とは?(wikipedia)
内藤 弘矩(ないとう ひろのり)は、日本の室町時代後期の武将で、周防長門の守護大名大内氏の家老として、代々長門守護代を務める内藤氏の当主。
内藤と久利では東大DBには出てこないのだが、大内義興と久利は出てくる。
久利清兵衛尉 宛 大内義興 永正八年 船岡山合戦の感状 とある。
久利の敵方に九里がいたことになる「船岡山合戦」
細川高国・大内義興の方に久利がいて、
細川政元・澄之(聡明丸)の方に九里がいた。
ヤレヤレ…の展開。
九月九日は重陽
9月9日の節供。陽数(奇数)の極である9が月と日に重なることからいい,重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので,邪気を避け,寒さに向かっての無病息災,防寒の意味もあった。菊花宴ともいい,685年(天武14)を起源とするが,嵯峨天皇のときには,神泉苑に文人を召して詩を作り,宴が行われていることが見え,淳和天皇のときから紫宸殿で行われた。菊は霊薬といわれ,延寿の効があると信じられ,この日,菊酒を飲むことも行われた。また,茱萸(しゆゆ)(カワハジカミ)の袋を柱に菊とともにつけ,悪気を払う風習もあった。5月5日の薬玉を,この日に茱萸袋ととりかえるのが平安時代の後宮で行われている。また,宇多天皇のときをはじめとする菊綿(きくわた)と称する風流な慣習がある。8日の夜に綿を菊花にかぶせ,その露にぬれた菊の香のする綿で9日の朝,肌をぬぐうと,老をすてるといわれ,これを贈物としたことが《紫式部日記》などにくわしい。平安末期には,天皇の出席もなく,平座(ひらざ)が多くなった。
黄色は、お月さまには内緒だが‥‥カレー粉とシークヮーサーのエキスで。柔らかな色になって気に入っているが、少々カレーの香りが‥‥(笑)
大きな梨は、従姉妹から送られてきた稲城の梨です。ジューシーで美味しいです。
北海道で売っているお月見団子は三角錐。
15個のお月見団子は四角錘。
日本のどこかに、三角錐のルーツもあるはずです。ご存知の方、教えていただけますと嬉しいデス。
いびつ…
毎日、親子を観察に行っている。
この時期は紫外線もきついらしく、背中もヒリヒリ・ジリジリするのだが、そのようなことは忘れてしまうくらいにカワイイ!
あっという間に一人前に一羽で行動している雛もいて、微笑ましい。
昨年のバンは非常に警戒心が強く出てくることは稀であったが、今年のは、かなり前面にまで出てくるので写真にも収めることができた。
親の号令に集まる雛たち、遅れてくる雛があわてて追いつこうとする様、大きくなるまで見届けたいなぁ~~♪と思っているこの頃である。
今年は、鈴蘭が一か月近く早いです!(北側にあるので、いつも6月の声を聴いてから咲くのです。)
五つ花弁を見つけることができましたら、幸せになれるのなのだそうですよ~~♫