【ネットタウン誌】
僕たちの故郷 春夏秋冬 ...きてきて久慈市事務局...
きてきて久慈市 今・久慈市
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事務局宛
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お天気 晴れ 気温 16℃
それなりのいいお天気です
我が家の草刈りした後の刈草を一輪車で少し片づけてきました。青ガエルがたくさん跳ねています。近所の石垣です、最近はこのような石垣は目にすることは少ないでしょう。
今日ジョイスで、震災後事務局が会いたい思っていた方と出会いました。震災後、事務局取材画像整理していたら、3、4年前の野田祭りの時、自宅前で写真撮ってあげた方の写真が出てきました。この方の自宅は津波で流失した商店街のど真ん中の方です。たとえ自宅が流失してもアルバムなどは見つかったかと思いますが、事務局の写真は愛犬と一緒に撮ったとても素敵な写真です。その後写真は見つかっているかと思いましたが、是非彼にあげたいと思い、震災あと役場などで避難場所を探してもらったのですが、これまで出会うことが出来ませんでした。今日偶然スーパーで奥さんと買い物中を会いました。もちろん彼は事務局を知っており、奥さんは「お祭りで見たことあるような・・?」と話していましたが奥さんとは直接出会ったことはありません。今日は笑顔で当時のお話をしてくれました。まず、事務局が撮ってあげた写真を見て当時を思い出してくれたようです、あのころ愛犬はだいぶ老犬で、日々元気がなくなっていると話していました。今日の話では、病院費はかなりの金額をかけたそうです。でもそのあと亡くなって、室内に祭壇を作りお経で送り、火葬してその灰は自宅の庭に埋めたそうです。その様な状況なので愛犬との写真もたくさん撮ったのでしょう、そして今回の津波で全て流され、愛犬との写真はべっこのアルバムにして置いたそうです。ところが偶然震災後この愛犬とのアルバムだけは見つかったそうです。事務局の写真を見て、「店舗前で撮った写真はなかった」喜んでいました。事務局の写真は良く撮れた写真でしたよ。愛犬の首を抱きお父さんは笑顔で写ってます(^_^)。津波当時のお話お伺いしました。地震後「直ぐ避難をしなきゃ」と思ったそうです。「なんで?、あそこまで津波は来るわけはないと思いませんでしたか?」と、訪ねたら、なんか動物の感のようなものが「これは危ないぞ」と感じたそうです。直ぐ、金庫内の土地権利書とか、お金(金額も私たちが想像出来ないような高額なお金が入っていたそうです(笑)。その時期に何かに使う予定の大金だったそうです。秘密だったかな(笑)ま~書いてもいいよね(笑))をカバンに入れ、奥さんは二階から自分の大切な物を探して・・でも奥さんがなかなか下りてこないので、怒鳴りつけて急がせたそうです。そして車で、現在国道沿いのガレキ置き場になっているところ(元製材所)に避難したそうです。岩手銀行付近では、避難するに一番早かったそうで、道路には誰も避難するような人は見えなかったそうです。コメリさんの所で、やはり避難してきた知り合いの方と車から降りて街の方を見ていたら、最初ドドドド~ンと風圧がある強い空気が寄せてきたそうです。その後、防潮林に津波がぶつかり高く舞い上がる白い波が見えたそうです。夕方になり落ち着いてから、歩いて街に入り愛宕さんに上って街の方を見たそうです。そのとき、自宅も流されたことを目にしたそうです。もちろん街中には入れなかったそうですが。自宅が流失したようなので、車に戻り夜になり車内に奥さんと泊まったそうです。その時間、街中では津波も収まり、役場職員等による避難場所の確保、避難場所に入った住民名簿作り、住民本人安全確認などが行われたそうです。ところが、どこの避難場所にもこのご夫婦は見あたらないと言うことで、行方不明者人として名簿に載り、近所の方々も避難するとき誰もご夫婦を見てないと大騒ぎなっていたそうです。次の日の12日、昼頃、役場?海蔵院?の避難場所に行ったら、やはり役場職員等が避難している方々の名簿確認が続けられていたそうです。確認取れてない方々の名前が読まれ、そしたら自分の名前が呼ばれたそうです。返事したら役場の女の子が「無事でした~?昨日から誰も姿を見ていないというもので・・」とビックリしていたそうです(笑)。要するに避難したのが一番早く、町内の誰にも姿を見られてなかったので逃げ遅れたじゃないか、となったようです。悲しいことを言っていましたが、地震後表で近くのお父さんと立ち話で「避難しなきゃダメだな」言い合っていたそうです。自分らはその後直ぐ車で避難したそうですが、その方の奥さんが数日後、自分(今事務局が話をしている本人)の全壊宅下で亡くなって見つかったそうです。彼は普段から、防災については考えており、ある程度は持ち逃げる物とか用意してあったそうです。金庫以外の30万余り(細かいお金とか合わせて)のお金は、藻くずと消えてしまったそうです。事務局は13日午前中はその付近のガレキ住宅街を歩いて取材したんですが、お金類は見えなかったですね。ご夫婦は現在長内に仮設としてお住まいになられているそうです。
全ては「運が良かった・・運が悪かった・・」の、運だそうです