本来は連続殺人のはずだったこの事件。真犯人を当局も知っているはずだ――
初夏の風がそよぎ始めた渡良瀬川。日没の時刻は過ぎたものの河川敷にはまだ十分な明るさが残っていた。低く垂れ込める雲を背に、細身の男が歩いてくる。どこかすばしっこそうに見えるその男は、赤いスカートをはいた幼女と手をつないでいた。
雑草が茂る土手をゆっくりと下りると、今度は芝のグラウンドの上を大股で川の方に向かった。女の子はお遊戯の“ちょうちょ”を舞うように、両手を広げながら男の前後を付いていく。やがて二人は、流れの脇に横たわるコンクリート護岸の上に、並んで立っていた。
翌朝、すぐ近くの中洲で幼女は全裸の遺体となって発見される。赤いスカートは川に捨てられていたが、かろうじてネコヤナギの枝にひっかかり漂っていた。その中にくるまれた幼女の半袖シャツ。それが全ての始まりだった。
現場から消えた男の風貌は、細身で漫画の「ルパン三世」にそっくりだった――。
これは、私が目撃者からの取材で再現した「足利事件」の犯行場面だ。この“ルパン”こそが、私が追い続ける足利事件の“真犯人”であり、実は、捜査当局もこの男の存在を把握している。だが、この男は今も罪に問われることなく、のうのうと暮らし続けているのだ……。
■「連続事件なのではないか?」
今年三月、再審により菅家利和氏の無罪が確定した足利事件。その発生は今から二十年も前に遡る。一九九〇年五月、栃木県足利市のパチンコ店に、父親に連れられて来た四歳の松田真実ちゃんが、誘拐され殺害された。一年半後、犯人として栃木県警に逮捕されたのが菅家さんだった。
発見された幼女の半袖シャツには、犯人の精液が残され、DNA型鑑定により菅家さんの型と一致したとされた。それを根拠に行なわれた強引な取り調べで菅家さんは自供に追い込まれた。裁判では無実を訴えたものの、DNA鑑定は“絶対の証拠”と判断され、二〇〇〇年、最高裁で無期懲役が確定した。
私がこの事件の取材を始めたのは〇七年の夏のことだ。獄中の菅家さんは無実を訴えていたものの、確定判決の事件に注目する記者は皆無だった。なぜそんなタイミングで興味を持ったのか。実は、取材の入り口は別の事件だった。
九六年、足利事件とまったく同じように、パチンコ店から四歳の女の子が姿を消した。十四年たった今も依然として行方は知れない。群馬県太田市で起きた「横山ゆかりちゃん事件」だ。防犯ビデオには、サングラス姿でゆかりちゃんに話しかける、怪しげな男の姿が捉えられていた。この事件の取材中に、私は足利事件を知ったのだ。
地図を広げてみると県境をまたいで太田市と足利市は隣接し、二つの誘拐現場は十一キロしか離れていない。
しかも周辺で起きた事件はそれだけではなかった。
七九年以降、足利市で三人、太田市で二人と、わずか二十キロ圏内で合計五件もの幼女誘拐・殺害事件が起きていた。そのうち、パチンコ店での誘拐が三件。河川敷での遺体発見が三件。発生は週末や祝日に集中しているなど類似点も多い。長く事件取材をしてきたが、こんな場所を他に知らない。
「同一犯による連続事件なのではないか?」
そう睨んではみたものの、現実には菅家さんの有罪確定で足利事件だけは解決済。どうにも納得がいかない構図だった。
菅家さんは冤罪で、真犯人は別にいるのではないのか。私はどうしても、この連続事件の謎を解いてみたくなり、足利事件の取材にのめり込んだ。
私は、足利事件の調書を暗記する程読み込み、独自に検証を始めた。菅家さんは「自転車の荷台に真実ちゃんを乗せて誘拐した」と自供していた。そこで、支援者が保管していた菅家さんの自転車を、さびを落として修理をし、それを使って自供を再現、時間経過などの検証を行なった。だがその供述は矛楯点ばかりが目立った。
また、被害者・真実ちゃんの遺族を探して取材もお願いした。すると「娘はかごのない自転車の荷台に、そのまま乗ることはできないと思う」と言う。警察はそんな基本的なことすら確認を取っていなかった。
そもそも、当日の現場周辺で、菅家さんも、自転車に幼女を乗せた男の姿も、目撃されていなかった。また、菅家さんは事件後にスーパーに立ち寄り、買い物をしたとされているが、そのスーパーで警察は裏付けが取れていない。また、自供全体をどれだけ見回しても、真犯人だけが知る秘密の暴露もない。
これらの検証やロケを行なうために、私が現場に通った回数は百回を越えた。そして下した結論は「自供は創作」というものだった。
だが依然として、物証・DNAは大きな壁として立ちはだかったままだ。菅家さんの弁護団は、独自鑑定などを根拠に再審請求を行っていたが、絶対の証拠に支えられた最高裁確定判決は揺るがない。
私は菅家さんと直接話してみたかったが、既決囚として千葉刑務所にいるため面会の許可も下りず、取材は文通だけだった。その中で氏は「もう一度DNA鑑定をしてくれればわかります」と訴えてきた。時代とともに精度の上がったDNA鑑定で真実が明白になる。それを切に望んでいたのである。
〇八年一月、私は日本テレビの報道特番「ACTION」で菅家さん冤罪のキャンペーン報道を開始した。さらにニュース特集でも連続的に放送。「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」と命名した調査報道で、冤罪の可能性をさまざまな角度から指摘。真相を明らかにするために“DNA再鑑定をすべし”と報じ続けた。
他社の追従もないままの孤立無援の放送だったが、およそ一年後の〇八年十二月、再審請求の即時抗告を受けていた東京高裁は、日本で初めてのDNA再鑑定を決定した。
その結果が「犯人と菅家さんのDNA型は不一致」だ。
これによって昨年六月、菅家さんの刑は執行停止され十七年目の釈放となった。私は千葉刑務所に菅家さんを迎えに行き、帰路の車内で初めて会うことが出来た。菅家さんが一躍時の人となったのは周知のとおりだ。
絶対の証拠だったはずのDNA鑑定は脆くも崩壊した。だが、冷静に考えれば、たとえ“DNA”は絶対でも、そこに“鑑定”という人為が付帯した瞬間から、絶対であるはずなどなかったのだ。そんな単純なことに気がつかず、右から左に警察発表を信じ、菅家さんの訴えに耳を貸さなかった司法やマスコミの責任もまた重い。
今年三月、宇都宮地裁では裁判官が菅家さんに謝罪した。法衣を纏った三人が、壇上から深々と菅家さんに頭を下げる姿は、まさにこの事件の象徴に見えた。
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■突然消された証言
では真犯人はいったい誰なのか? 今はそれこそが最大の問題だ。菅家さんが無実ならば、五つの幼女誘拐・殺人事件はやはり同一犯ではないか。
私が追い続けてきたルパン。その男は真実ちゃんがパチンコ店から姿を消した直後に店のすぐ裏手から河川敷に下りてきていた。その目撃者から直接聞き取りを行い、再現したのが冒頭のシーンである。二人を目撃したのは、私が把握しているだけで計四人。
事件直後、警察もこの男を犯人と考え、目撃者たちの調書も作成し捜査を続けていた。だが、この証言はある日を境に突然消されてしまったのだ。
DNAの一致により、“犯人でなければならない”菅家さんが「自転車で誘拐した」と自供したのである。その瞬間から「(犯人らしき男が)歩いていた」という目撃証言は、邪魔なものでしかなくなった。以後、調書は封印されたのである。
三年前、事件当時の県警捜査幹部に、私はこの目撃証言の矛楯をぶつけた。すると「あぁ、あれね。そりゃあ赤いスカートの子供なんて、いくらでもいるわ、別人でしょ」と簡単に切り捨てた。だが現場に百回通った私は、これまで赤いスカート姿の幼女と会えたことは一度もない。事件同日、同時刻に同じ服装の幼女が二人いた可能性は限りなく低い。
私は、目撃者達に足利事件の現場に同行してもらい、様々な角度から検証を続けた。すると目撃者の一人から、衝撃的な証言が飛び出した。太田市「横山ゆかりちゃん事件」の特集番組を見た目撃者が、突然気づいたのだ。
「大股で、すっと足を前に運ぶ雰囲気が、良く似ている」
ゆかりちゃん事件で、防犯ビデオに残されたサングラス姿の男の歩き方と、足利事件のルパンの歩き方が、そっくりだというのだ……。
北関東連続幼女誘拐・殺人事件は、これまで個別のものと考えられ、両県警の捜査協力は形ばかりだった。だが、それでは解決への扉は開かない。鍵はやはり“同一犯”。その視点で複数の事件を重ね合わせれば、犯人像がおのずと浮かび上ってくるのだ。
今年四月になって、最高検察庁は足利事件捜査の問題点について報告をまとめた。その中で「同一犯人による連続犯行である可能性もうかがわれる状況にあった」と、ようやく認めたのである。遅すぎた感は否めないが、今からでもその視点で捜査すればこの事件は紐解けるのだ。
私が取材で絞り込んだ犯人像はこうだ。週末にパチンコ店に通い続ける人物。年齢層は四〇代後半から五〇代前半か。これは五つの事件の該当年齢から推察できる。足利事件の物証から血液型はB。足利と太田の二つの町に土地勘があり、おそらく居住者。もちろんロリコン癖があり、手口から、騒がれずに幼女と会話することができる人物。
この全てに一致する男が存在する。
ちなみに私は、同じような手法で警察より先に「桶川ストーカー殺人事件」の犯人を特定した。また、静岡県から逃亡した強盗殺人犯を地球の裏まで追跡し、ブラジルの片田舎で発見もした。報道直前に、これらの情報を警察当局に提供し、どちらも逮捕となった。いずれも一昔前の足で稼ぐ刑事の手法を徹底したに過ぎない。
だが足利事件には犯人を特定できる物証がある。被害者の半袖シャツには、今も犯人の多量のDNAが残されており、最新の鑑定を行なえば、今度こそ犯人を特定する重大な証拠になる。
ところが現在、事件の積極的な捜査は行なわれていない。表向きの理由は「時効」。とはいえ、司法が揃って全面的に非を認め、頭を下げたこの事件。菅家さんを間違って逮捕して以降、捜査は行われておらず「その間に時効になりました」では遺族も納得できるわけがない。しかも、ルパンが五つの事件の犯人ならば、最後に起こった横山ゆかりちゃん事件は、時効ではない。そもそも、起訴の当否など、真相判明の後の司法の問題ではないか。野に放たれたままの連続殺人犯の存在に怯える市民も多い中、捜査へのこの及び腰はどういうことなのか。
ここに司法が抱え込んでいる重大な闇がある。
■開いてしまった玉手箱
DNA鑑定が、捜査に導入され始めたのは八九年頃からだという。そして、菅家さんの鑑定が行われたのは九一年。まだ試運転に近い段階だった。
科学警察研究所(科警研)で行なわれたその鑑定方法は「MCT118法」と呼ばれるもの。血液型鑑定と組み合わせて「千人に一、二人」を特定できるレベルと言われている。現在のように最新のコンピューターを駆使するものとは程遠く、ゲルと呼ばれる寒天のようなものの中に現れるバンドの位置を、目視で読み取るものだ。鑑定人の技術により差異が出る可能性もあるうえ、そのバンドを読み取るためのマーカー(ものさしの一種)にも問題があると指摘も受けた。その後、急遽マーカーを変更するなどの危うさを見せながら、九〇年代半ばごろには、次第に使われなくなった鑑定方法だ。だが、その間にいくつもの事件で証拠採用され、有罪判決が下っている。
昨年の再鑑定では、最新のSTR法によって菅家さんと犯人のDNA型が不一致だったことがはっきりした。ならば、当時の鑑定に疑問の声が上がるのは当然のことだろう。しかし、検察と科警研は、現在の精度の高いSTR法(数兆に一人まで特定できると言われている)で菅家さんと犯人のDNA型の不一致は認めたものの、科警研の福島弘文所長は当時の鑑定について「精度は今よりも高くないが、大きなミスは見あたらない」と懸命に繕い続けた。
そもそも再鑑定が始まる前から、きな臭い雰囲気はあった。MCT118法で行なわれた鑑定の真実性を問うものならば、まずMCT118法によって確認を行なうのが常識だろう。そのうえで最新のSTR法などを併用し、徹底的に試していけば良い。ところが検察はそれを避けたのである。
再鑑定前に、検察官はこんな意見書を書いていた。「(申立人の)MCT118部位のDNA型鑑定だけを行う鑑定は、無意味であるばかりか有害であるとすら言えるので実施することは反対である……」。そして、実際に検察側が推薦した鑑定人の鑑定書には、MCT118法の結果は記載されていない。
ところが当の鑑定人は、再審の法廷で、実はMCT118法も試みたと吐露した。だが結果は明らかにしていない。
一方、弁護側の鑑定人である筑波大学・本田克也教授は、真っ正面からMCT118法による鑑定を実施した。ただし、これは解析には最新のコンピューターを用いたものだ。すると、驚くべき結果が出た。これまで科警研の鑑定では、犯人のDNA型は「18-30」となっていた。ところが本田鑑定では「18-24」と出たのである。これはつまり、当時の足利事件のDNA鑑定は「精度が低かった」のではなく、「完全な誤り」であることを示す。
だが、検察はそれを認めようとせず、この結果を出した本田鑑定に対し、猛然と反論を始めた。科警研は専門用語を羅列した難解な意見書を書き上げ、検察はそれに「(本田氏の)検査の方法等に疑問があり、全体的に信用性に欠ける」とした表紙を付加し、本田鑑定そのものを葬ろうとしたのである。
事件当時、自信たっぷりだったはずのMCT118法。なのに、なぜ今はここまで避けるのか。それは、もし当時の鑑定間違いが証明されてしまった場合、その影響が足利事件に留まらなくなるからではないか。極端な話、同じMCT118法で下された他の裁判を、やり直す必要が出てくる可能性がある。先にあるのは再審請求の山ということだ。
しかも、その中には不可逆の刑まで含まれている。福岡県飯塚市で起きた通称「飯塚事件」。一九九四年に女児二人を誘拐し殺したとして福岡県警に逮捕された男が、犯行を否認したまま〇八年秋に死刑が執行されたのだ。これもまたMCT118法によるDNA鑑定が物証とされているのである――。
そもそも、足利事件の再審では、検察は最初から菅家さんの無罪を求刑していた。にも拘わらず「不一致」という同じ結果の本田鑑定を徹底的に潰そうとする検察の姿は、私の目には異様としか映らなかった。それは、MCT118法という開いてしまった玉手箱のフタを、必死に閉めようとする浦島太郎の姿なのか……。
こうなると当局が恐れるものがもう一つあるようだ。それがあろうことか真犯人らしい。もし真犯人が特定され、そのMCT118法のDNA鑑定結果が「18-24」だった場合、これまで犯人のDNA型は「18-30」としてきたすべてが覆ってしまうからだ。同種の多くの事件の再審に火が付く事実の露呈だけは、絶対に避けたいということか。だから、事件捜査に及び腰なのか。これが邪推だと言うならば、当局はすぐに再捜査を行なって、真犯人を特定してもらいたい。それこそが正義ではないか。
■私が特定したルパンの正体
目撃された男はいったい誰なのか。私がそれを特定したのは、実は、取材を始めて二カ月後の〇七年の秋のことだ。あらゆる角度からその男を調べ、行動確認を続け、そして確信した。
つまり私は、真犯人の存在を知っていたからこそ、〇八年から「菅家さん冤罪」を報じ続け“DNA再鑑定をすべし”と訴えてきたのである。だから不一致は当然の結果とも言える。一連の報道の真の目的は真犯人の告発だ。
冤罪が証明された今こそ、もう一度声をあげたい。半袖シャツのDNAを再々鑑定すべし。それは昨年実施した「菅家さんの不一致」の観点からではない。「真犯人特定」の目的でだ。古く劣化しているDNAだが、高度な技術で、徹底的な鑑定を行なえば、真相は明らかになる。
一方で、私はこれまでルパンのことを安易に報道することを避けてきた。逃亡や証拠隠滅をされたくないからだ。そこでルパンが誰なのか、その情報を二年以上も前から複数のルートを経て当局に提供してきた。すでに霞が関界隈でもかなりの数の関係者に届いている。つまり、「ルパンの氏名」と「半袖シャツ」という物証の両方は当局にある。
だが、当局は全く動かない。そして、ルパンは今も安穏と北関東でパチンコを打っている。時効を盾にした、まるで共犯関係のような不正義がいつまで放置されるのか。
この夏、さらに不可解なことも起きている。真相解明への重大な鍵、「半袖シャツ」の行方だ。
菅家さん無罪確定の後、警察庁と栃木県警は、遺族に対し「もう公訴時効を迎えてしまったので……」とはっきりと説明した。
http://bunshun.jp/bungeishunju/ashikaga/201010.html