2009年7月14日
冤罪を生まないために ~17%(約80件)が無罪判決だったニッポンの陪審裁判
日曜の中日新聞の社説が「裁判員として自信を持って法廷に臨もう」と締めくくっています。中を読むと、裁判員が不安がることを和らげるには、まずは実際の裁判事情などをあらかじめ理解しておいた方がいいだろうという趣旨で書かれています。
で、もっとも強調していることは「冤罪を生まないこと」をあげています。
制度がすでに稼働しているのですから、批判ばかりというのも気が引け、このように肯定的、前向きに捉え、裁判員として臨むにはそれなりに裁判の現状を踏まえ、相当の注意をもって臨んでほしいという思いを感じます。
■ 中日新聞公式サイト --> こちら
具体的な事例をだしています。
ひとつは戦後の著名冤罪(えんざい)事件「徳島ラジオ商殺し」です。その事件の再審開始決定に陪席裁判官としてかかわった秋山賢三氏がこういっています。事件の詳細は秋山賢三著「裁判官はなぜ誤るのか」岩波新書に書かれています。
■ 秋山賢三氏を取り上げたエントリー --> こちら
中日新聞2009.7.12 社説 から一部引用
ラジオ商殺しの不可解
「被告の冨士茂子さんは夫と包丁を奪い合い十一カ所の傷を負わせて殺害したとして懲役十三年に処された。でもね、自分の顔や手、体の正面部に格闘傷がない。元海軍軍人の夫を相手に小柄な茂子さんが無傷ですむはずがない。ここに裁判官が疑問を持って検討したのなら結論は違ったでしょう。そういう常識的な事実認定こそが市民に期待されているのです」
では、当時の裁判所はどうして間違えたのか。あるいはわざと見なかったのか。そこには長く築かれてきた検察と裁判所の癒着のようなもの、すなわち構造的な欠陥すら推察されます。一般に検察官は自白調書とそれを裏付ける豊富な証拠をそろえて提出します。無理やりとった虚偽の自白だとしても、それを補完する形の証拠類をずらりと並べられれば誤りでも本当に見えてしまう。足利事件でうその自白が当時は新鋭のDNA型鑑定で補強された事例は記憶に新しいところです。
法廷で被告や弁護士がいくら無実を訴えても、職業裁判官は逆に「だまされないぞ」という観念にとらわれ、有罪の方へと傾斜しがちなのだそうです。すると被告はあきらめるしかありません。絶望の内に無実の叫びをのみ込むのです。
十人の真犯人を逃がすとも一人の無辜(むこ)の人を罰してはいけない。
米欧刑事裁判の哲学です。魔女裁判や幾多の誤判の歴史とそれに伴って培われてきた人権思想が到達した理念です。
秋山氏は「常識的な事実認定」で冤罪を防げるし、「長く築かれてきた検察と裁判所の癒着」の構造を理解してほしいと主張しています。えん罪が多発しているニッポンの裁判に対する警告だと読みました。ほんとうならもっと具体的に書いてほしいところですが、社説欄では文字数の制限があり、「特報ページ」で詳しく述べていただきいものです。
もうひとつ事例を出しています。戦時中まであったニッポンの陪審制度です。いまは1943年(昭和18年)4月1日に「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって陪審制が停止されています。
昭和三年大分傷害事件では、検察は殺人未遂で起訴したのに、陪審の評議は「殺意なし、懲役六月」となり、いわゆる傷害事件として裁かれました。この事例も典型ですが、現在の有罪率99.9%が示すように、ややもすると行き過ぎてしまうニッポンの裁判で、一定の成果をだした陪審制度であったと思うわけです。裁かれた約四百八十件の事件のうち、約八十件が無罪判決だったというのが物語っています。
この記事を読んで思うことは「高知白バイ事件」です。
もし、陪審裁判だったとしたら、間違いなく無罪だったであろうと思います。なぜなら評議の途中で検察の出した証拠写真・警官の証言に待ったが掛かり、「ネガをだせ」とそれをきっかけに証拠のねつ造と偽証が暴かれるはずだと思うからです。車を運転するひとも陪審員にいるでしょうし、人の目はそうそう節穴ではないからです。
はじめから答えありきの一審の片多康裁判官の判決、二審の柴田秀樹裁判長の判決には到底なり得なかったであろうと思います。
社説の最後で秋山著(「裁判官はなぜ誤るのか」岩波新書)に登場してくる「裁判官に対する十戒」を書いています。
(1)「『法壇の高さ』を意識せよ」
(2)「疑わしきは被告人の利益に」を実践する
(3)秩序維持的感覚(前科などへの予断)を事実認定の中に持ち込まない
(4)「人間知」「世間知」の不足を自覚する
(5)供述証拠を安易に信用せず、その誤謬(ごびゅう)可能性を洞察する
(6)公判廷における被告人の弁解を軽視しない
(7)鑑定を頭から信じこまない
(8)審理と合議を充実する
(9)有罪の認定理由は被告人が納得するように丁寧に書く
(10)常に「庶民の目」を持ち続ける。
この中で、特に(2)「疑わしきは被告人の利益に」はニッポンの裁判の中ではすでに死語となって久しいです。最高裁のページにも同じことを書いてますが、実際の裁判現場では絵空事になっています。空しい限りです。
で、ほかの先進国の裁判事情がどうなってるか。政府が紹介しているファイルがあります。--> こちら
ニッポンの裁判員制度は一般市民が有罪無罪を決めるだけではなく、量刑までを決めてしまうという制度です。
一般市民でもちゃんと確かな証拠・証言が与えられれば、有罪無罪の判断はできそうです。もっともその前提として、警察がいい加減な捜査をしないこと、ねつ造もナシね、検察も自白の強要をしない、調書を偽造しない、などと不正が行われてないという確かな担保があれば市民が裁判に参加することにも意義があると思えます。
ところが、ニッッポンでは裁判員制度という仕組みだけが先行してしまい、その前に片づけておかなかければならないそれら問題が手つかずのまま残されました。むしろ警察・司法の実態を覆い隠すかのように制度がスタートしたともみえます。
国民が刑事裁判に参加する主な国の制度について (PDFファイルから抜粋)
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日本 (裁判員) |
アメリカ (陪審) |
フランス (参審) |
イタリア (参審) |
ドイツ (参審) |
対象事件 (刑事事件について) |
地方裁判所で審理する死刑又は無期の懲役もしくは禁固にあたる罪にかかる事件 |
一定の軽微な犯罪を除き,被告人が否認している事件で陪審裁判を選択した場合 |
一定の重大犯罪(被告人の認否を問わず,被告人による選沢は認めない。) |
一定の重大犯罪(被告人の認否を問わず,被告人による選沢は認めない。) |
軽微な犯罪を除き,原則としてすべての事件(被告人の認否を問わず,被告人 による選択は認めない。) |
構 成 |
○裁判官3名 ○裁判員6名 |
○裁判官1名 ○陪審員12名 |
○裁判官3名 ○参審員9名 |
○裁判官2名 ○参審員6名 |
地方裁判所 ○裁判官3名 ○参審員2名 区裁判所 ○裁判官1名 ○参審員2名 |
選任方法 |
衆議院議員の選挙 人名簿から無作為に抽出された候補者の中から,裁判所での選任手続を経て選任される。 |
選挙人名簿等により無作為抽出された候補者の中から,当事者が質問手続(含,理由なし忌避)により選出。 |
選挙人名簿に基づき抽選で参審員候補者の開廷期名簿を作成。候補者は開廷期間中の出頭を義務付けられる。具体的な事件の参審員は,事件ごとに,理由なしの忌避手続等を経た上で,開廷期名簿から抽選で選出される。 |
各自治体が2年おきに作成する候補書名簿(無作為抽出された者に,少数の希望者を登載)の中から各開廷期ごとに無作為抽出。任期中に開始されるすべての事件の審理に当たる。 |
市町村が作成した候補者名簿に基づき,区裁判所の選考委員会が選任。 |
任 期 |
事件ごと |
事件ごと |
開廷期(数週間) |
3か月間 |
5年間 |
評決方法 |
多数決 ただし,裁判官,裁判員のそれぞれ1人以上の賛成が必要 |
全員一致が必要 |
被告人に不利益な判断をするためには,裁判官と参審員を合わせた3分の2以上の特別多数決。 |
有罪無罪については多数決で決する。 量刑については過半数になるまで最も重い意見の数を順次軽い意見の数に加えて決める。 |
被告人に不利益な判断をするためには,裁判官と参審員を合わせた3分の2以上の特別多数決。 |
評議・権限 |
裁判官と裁判員は,共に評議し,有罪・無罪の決定及び量刑を行う。 |
陪審員のみで評議し,有罪・無罪の評決を行う。 |
裁判官と参審員は,共に評議し,有罪無罪の決定及び量刑を行う。 |
裁判官と参審員は,共に評議し,有罪・無罪の決定及び量刑を行う。 |
裁判官と参審員は,共に評議し,有罪・無罪の決定及び量刑を行う。 |