あの痛ましい鉄道事故から、昨日で2年が過ぎた。
新聞紙上でも、あまり大きく取り上げられてはいなかった。
けれども、大ケガを負った人たちや、大切な人を失った人たちにとっては、心の中に一生かけても埋まらない大きな穴が開いてしまったのだろう…
以前にも書いたが、事故が発生したときにまず思ったのがあの路線の複雑なダイヤのことだった。そして、数々の報道から見えてきた勤務状況に、亡くなられた運転士に課せられたプレッシャーの重さを思った。
彼の責任がないという訳ではない。けれども、責任の所在をひとりの若者に集中させるのは、彼に電車を遅らせる権限を与えていたなら別だが、ひどすぎる話だと今でも思う。
追悼式で遺族の方のJR西日本に対する訴えをニュースで見ていたら、胸が詰まった。そして、事故から2ヶ月程過ぎてから現場に行き、花束を手向けた時に、そこで命を落とした人たちの無念さを思い、涙がこみ上げてきたこと思い出した。
僕らに出来ることは「忘れないこと」だと、改めて思う。
新聞紙上でも、あまり大きく取り上げられてはいなかった。
けれども、大ケガを負った人たちや、大切な人を失った人たちにとっては、心の中に一生かけても埋まらない大きな穴が開いてしまったのだろう…
以前にも書いたが、事故が発生したときにまず思ったのがあの路線の複雑なダイヤのことだった。そして、数々の報道から見えてきた勤務状況に、亡くなられた運転士に課せられたプレッシャーの重さを思った。
彼の責任がないという訳ではない。けれども、責任の所在をひとりの若者に集中させるのは、彼に電車を遅らせる権限を与えていたなら別だが、ひどすぎる話だと今でも思う。
追悼式で遺族の方のJR西日本に対する訴えをニュースで見ていたら、胸が詰まった。そして、事故から2ヶ月程過ぎてから現場に行き、花束を手向けた時に、そこで命を落とした人たちの無念さを思い、涙がこみ上げてきたこと思い出した。
僕らに出来ることは「忘れないこと」だと、改めて思う。