セイショウ坊のブログ

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派・円泉寺住職です。
円泉寺ホームページにもブログがございます。

小高諏訪神社双体道祖神

2021-09-12 07:37:03 | 他の寺社
みなかみ町の小高諏訪神社には、二度参拝しています。
他の場所ですが、近くまで行きながら見つけられなかった石仏を探して、二度目は数日後に近くを通った折でした。

今から15年前になります。
最初の日は雨でした。




かつては月夜野町でした。

2度目は曇りです。

愛らしい双体道祖神が祀られていました。





安永八年の建立です。






目的の石仏は資料にはあるのですが、後閑の神社をアチコチ探し結局見つかりませんでした。

群馬県は石仏の宝庫です。
双体道祖神は、各地に祀られています。


小高諏訪神社 群馬県利根郡みなかみ町後閑


三峯神社の龍神樣御姿と氣守

2021-09-10 07:51:47 | 他の寺社
三峯神社は何度か訪れています。
初めて行ったのは、高校2年の頃です。50年以上経っています。
最近では3年前と4年前になります。

拝殿 など極彩色の建築物が見所ですが、今回のブログは龍神様のお姿と氣守です。
です。



拝殿の配石に龍神の文様が現れています。



加工された文様ではありません。




一時期 白いお守り「氣守」がブームになり、3年前仲間と出かけたことがあります。
フィギュアスケートの浅田真央選手がブームに火を付けました。
ヤフオク!でも出品する人が何人もいました。罰当たりの人です。



氣守配布の日は、当時毎月1日でした。
あまりの混雑振りに、道路も長い距離大渋滞になりました。
4年前の平日はガラ空きだったのです。

途中に車を駐めて歩く人が大勢います。
なにしろ歩く方が早いのですから。





当日は行き着く前に暗くなっていました。
下の龍神様は当日の龍神様写真です。




救急車、消防車も満足に走れない状態でしたので、2018年6月からは配布が中止となってしまったのです。
仕方がありません。


諏訪神社の北辰石

2021-09-08 07:52:44 | 他の寺社
諏訪神社は神流町でも奥の方にある神社です。
今から15年前の参拝です。






地図を手に不安になりながら行き着くことができました。
しかし、現在のGoogleマップには記されていません。
最近発売されている地図にも記載がありませんでした。

北辰とは北辰妙見菩薩のことです。ここにも妙見信仰があったのでしょう。



文久元年の建立です。

庚申塔もありました。




内容が変わりますが、神流町に着いて意外だったのは、多くの民家があることでした。
秩父太平洋セメントの叶山石灰石鉱山から産出される石灰石が、重要な産業になっているのを知りました。
石灰石は全長23キロメートルのトンネルにあるベルトコンベアで、秩父市大野原の工場まで運ばれます。


叶山 比企の丘さんのブログlink

秩父市の武甲山より、日高市の太平洋セメント工場までも、トンネル内のベルトコンベアで運ばれています。link


諏訪神社 群馬県多野郡神流町大字神ケ原


摩利支天

2021-09-06 07:55:13 | 仏像


摩利支天と言っても知らない方が多いと思います。摩利支天Wikipediaリンク
以前のブログに、かなり手を加えましたので、再度掲載致します。
地元の飯能市では、八ヵ所祀られています。

摩利支天ウィキペディアlink


当寺摩利支天像




以前摩利支天の掛軸を求めました。葛飾北斎の北斎漫画を模写した絵です。



スマホに使用すると言っていた人が何人かいました。護身と蓄財のお守りです。
宝くじが当たったら、少し分けてねと言ってあるのですが、当たったと言う話しはなさそうです。
私もスマホで使用しています。

摩利支天は陽炎を神格化した天部の仏様です。戦国の武将など、武士階級で信仰されました。
猪に乗ったお姿が知られています。
各地の摩利支天をお参りすると、現在でも木刀が奉納されているのを見かけます。剣道を習う人が奉納しているのでしょう。

群馬県玉村町 八千矛神社(摩利支天宮)の古い掛軸


知人に差し上げた掛軸です。


おそらく江戸時代に高野山常喜院で発行された古い掛軸。


最近手に入れました。



下は陽炎をイメージしたイラストです。


本来摩利支天は本来女性の姿をしていました。



何年かかけて摩利支天を祀る寺社を参拝致しました。
当寺ホームページのブログです。

埼玉県 東京都 群馬県 の摩利支天を祀る寺社 エンセンジブログlink



飛鳥時代の山王廃寺跡とユネスコ世界の記憶・山ノ上碑

2021-09-04 07:34:13 | いろいろ
山王廃寺跡(放光寺)

群馬県前橋市総社町の山王廃寺跡です。群馬県山王廃寺跡PDFlink
山王廃寺跡ウィキペディアlink
今までに二度ほど訪れています。



上野三碑の内、山上碑を残した放光寺の僧侶・長利がいたところです。
発掘時に放光寺の文字がある瓦が出土しました。
飛鳥時代の遺跡ですから、東国では最も古い時代の寺院であることが分かります。

車は神社の前を西に行った駐輪場に駐めさせていただきました。
駐車場はありません。






東西80メートル、奈良県斑鳩の法起寺と共通した配置なのだそうです。

日枝神社には、遺構の石製鴟尾(しび)や心礎などが残されていました。





塔心礎



山王神社には、いろいろな石仏が祀られています。




おそらく養蚕神と思います。
手に持つ枝の葉が、緑色に塗られていました。



向かって左には霊符神、右は秋葉権現の文字が彫られています。
他にも大日如来、不動明王、庚申、日枝神社に因み猿の石像などが祀られていました。


知られていませんが、鴟尾は近在の民家にもあります。





民家ですから、場所は明らかにしませんが、こちらの方が良い姿をしています。
近在の方に案内していただき、ここにもあることを知りました。

今はコロナのため閉館していますが、前橋市総社歴史資料館には、山王廃寺の出土品などが展示されています。
前橋市総社歴史資料館 link


山ノ上碑

放光寺にいた長利が、天武天皇10年(681年)に母の黒売刀自(くろめとじ)のために墓誌を建てました。
その墓碑が山ノ上碑です。
山ノ上碑ウィキペディアlink





『辛巳歳集月[かのとみ(しんし)としじゅうがつ]三日に記す。佐野三家[さののみやけ]を定め賜える健守命[たけもりのみこと]の孫の黒売刀自[くろめとじ]、此れ新川臣[にいかわのおみ]の児の斯多々弥足尼[したたみのすくね]の孫の大児臣[おおごのおみ]に娶[とつ]ぎて生める児の長利僧[ちょうりのほうし]が、母の為に記し定むる文也。 放光寺[ほうこうじ]僧』(上野三碑ホームページより)

漢字を使用し、日本語の語順出書かれた最古の石碑です。




この古墳が長利の父と母・黒売刀自の墓とされているようです。

三古碑の他の二ヵ所も見学に行きました。上野三碑link