セイショウ坊のブログ

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派・円泉寺住職です。
円泉寺ホームページにもブログがございます。

コロナ患者の葬儀

2021-10-30 07:35:33 | 法要
低価格で、負担の少ない葬儀をするために、寺院葬を十数年行っています。
ただし指定の葬儀社のみです。
無料の霊安室もあります。

以前、コロナで亡くなった方の葬儀が、当寺御本堂で行われました。
お酒が好きだったようで、どこかの飲み屋でうつされたのかも知れません。

以前通夜の後席でアルコールが入り、つばの飛ばしあいを経験したことがあります。
私の料理にも唾が飛んできました。
それ以来、儀式終了後は帰るようにしています。

コロナ患者の場合は火葬だけ済ませ、骨壺の前での儀式となります。
入院後亡くなると、お骨になってからしか会うことが出来ないのです。




若かったために、家族親族以外にも、友人や仕事仲間など参列者が数十人来られました。
お寺で行う場合は、多くて参列者を含めて30名程度です。
今回は倍以上来られていたようです。
それでも参列を遠慮していただくように電話したのだそうです。
親族以外は、外でのお焼香となりました。


葬儀のみは、私が紹介している葬儀屋さんが施工しました。
しかし、火葬のみの葬儀社は、火葬料金を当寺での葬儀の倍以上を請求したそうです。
最初から私に相談があれば、火葬費用以下で全てが可能でした。

以前ならば葬儀社も対応が大変だったそうです。
一着数万円もする使い捨て防護服を着て、さらにご遺体や周囲を消毒をし、特殊な袋に入れたのち病院から搬送したようです。
必然的に火葬までの料金が、この葬儀屋さんでさえ数十万掛かりました。

現在は病院から搬送するだけのことで済むようになっています。
同じようにコロナであるから別料金と言われれば、仕方がないと思う親族もいるのでしょう。
このような葬儀社もいるのです。
唖然とします。
さらには、その倍の料金を請求する大手葬儀社もいるそうです。



それより以前ですが、葬儀社がお骨と御布施を持ってきたことがありました。
喪主や家族親族は、一人も来ません。
私だけの葬儀でした。
その後も寺に来た形跡はありません。
葬儀社はコロナではないと言っていましたが、コロナで家族も罹患したのかも知れません。

ある寺の住職は、罹患しましたがどうにか無事でした。
しかし、一年近くになりますが、会うことがありません。
当分無理かも知れません。

某寺住職は、コロナでなくなったとの噂があります。
他にも数ヶ寺の寺で、御住職やご家族が罹患したり、亡くなったとの情報があります。

コロナ患者が少なくなりましたが、若い人の率が増えています。
ワクチン接種が終わり安心していると、再びかかる人もいます。

なるべく人の少ない所ばかり出かけていますが、都内の博物館などは、我慢するしかありません。

もうしばらくは慎重にしてようと思っています。
早くコロナが収束することを願うばかりです。


曹洞宗 長光寺

2021-10-28 07:41:53 | 他の寺社
曹洞宗の長光寺は市内でも格式ある寺院です。
門柱には檀林格とありました。
元檀林としては中山の智観寺だけだったと思います。

寺宝の雲版は国の重要文化財になっており、全国で3番目に古いものだそうです。現在は埼玉県立博物館に寄託されてます。
本堂は埼玉県内にある曹洞宗最古であり、三門と惣門と共に有形文化財となっています。



7年前の10月に撮した写真です。

惣門前には馬頭観音の大きな石仏が祀られていました。




地蔵堂です。
初めて見る風習です。
新盆用の提灯が下げてありました。



ふつう新盆の盆提灯は、お墓の塔婆にくくりつけて置いてきますが、ここでは地蔵堂に吊してありました。
10月の末で、まだ新しかったので、何かの行事が行われたように思います。



毘沙門天掛軸と御尊像

2021-10-27 07:41:45 | 仏像
二年前に書いたブログですが、新たに御尊像と文章などを追加しました。

当寺(円泉寺)は武蔵野七福神・福禄寿様の札所になっており、別に七福神の御尊像と掛軸を全部そろえたことがあります。
以前お招きした毘沙門天様の掛軸です。



七福神掛軸の中では、一番のお気に入りです。
肉筆ですが、作者は書かれていません。



以前、お正月の福禄寿様御開帳期間中に御本堂に祀りました。
スマホの画面にすると言った参拝者が何人もいます。
友人などは、うまく写せなかったので、画像をmailで送れとの依頼もありました。
後に他の仏像などをA4にカラー印刷をして、お分けしたこともあります。

ほとんどが立派な像でなく、寿老人様以外は、どこの骨董屋さんにもあるような七福神です。





この毘沙門天御尊像には、光背や手に持つ仏具がありませんでしたので、新たに致しました。
実際のお姿より、写真の方がズッと立派に見えます。


下のお姿は鞍馬山の毘沙門天お姿です。



毘沙門天の信仰で、最も盛んなのは鞍馬山です。
七福神の中に毘沙門天が入っているのは、室町時代に鞍馬の信仰が大流行したからだそうです。


他の寺ですが、武蔵野七福神・毘沙門天様札所の浄心寺です。



浄心寺 埼玉県飯能市矢颪222





弁財天十六童子像と全国の十五・十六童子御尊像

2021-10-25 08:08:25 | 仏像
弁財天十六童子像

当寺には弁財天と十六童子が一緒の珍しい御尊像が祀られています。



印錀童子、官帯童子、筆硯童子、金財童子、稲籾童子、計升童子、飯櫃童子、衣裳童子、蚕養童子、酒泉童子、愛敬童子、生命童子、従者童子、牛馬童子、船車童子、大黒天善財童子の十六童子を従えています。

まっ黒で十四童子しかなく、二童子を新たにしていただきました。
持ち物も不足していましたので、追加しました。

修復して、お顔が銀箔であったことを知りました。



普通の肌色にしていただければ良かったと思っていましたが、4年経ってみると少し落ち着きが出ています。


明るい照明の下では、お顔が銀色で異常な色合いでした。
ふと昔だったら、どのように祀られているのだろうと思い、ロウソクだけにしてみました。
さらに夕方になると、不思議な雰囲気になります。



穏やかなお顔です。
一体一体は小さな像ですが、威厳を感じます。
お顔を銀箔にしたのは、暗いお堂の中で拝むことを計算しての方法のようです。


天井部分




中央




下部




全国の弁財天十五・十六童子像

暇にあかせてネットで検索しました。
実際には祀られていない場合もあるかも知れません。悪しからず。

最初は一体でしたが、十五童子が現れ、更に十六童子となりました。

阿吽寺 十五童子 北海道松前郡松前町松城371
嶺梅院 十五童子 秋田市土崎港2-8-22
中尊寺・弁財天堂 十五童子 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
達谷窟毘沙門堂西光寺 十五童子 岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢16
昌伝庵 護摩灰弁財天十五童子 山形県米沢市本町3丁目1−39
金華山黄金山神社 頂上奥の院遙拝所・弁天堂 十五童子 宮城県石巻市鮎川浜金華山5
寿福寺 宮城県石巻市羽黒町1丁目4−19
笹谷熊野神社境内 弁財天 十五童子 福島県福島市笹谷字前田53

雨引観音楽法寺 絹本著色 弁財天画像 十五童子 茨城県桜川市本木1
守徳寺 護摩灰弁財天十五童子 茨城県つくば市 下岩崎1468
清瀧寺 十五童子画像 茨城県守谷市板戸井1921

長蓮寺 十五童子 栃木県真岡市荒町1037 日本一大きな弁財天
磯山弁財天 佐野七福神 栃木県佐野市出流原町2125)
冠稲荷神社内 厳島神社 群馬県太田市細谷町1

円泉寺 十六童子 埼玉県飯能市平松376
弁天橋脇 十六童子石仏 埼玉県飯能市上直竹下分973
惣円寺弁天堂(秩父七福神) 十五童子 埼玉県秩父市東町17-19
養平寺 十六童子 埼玉県熊谷市原島1192

光福院 三郷七福神 十六童子 埼玉県三郷市早稲田8丁目15−13
小剣神社 弁天宮石祠 埼玉県東松山市早俣 423−1
中瀬神社 十五童子 埼玉県深谷市中瀬650
護摩灰弁財天十五童子 埼玉県 ※友人の修行道場

興禅院 十五童子 埼玉県川口市安行領家401
東泉寺 十五童子 埼玉県さいたま市浦和区瀬ヶ崎2-15-3
安楽寺 十五童子 埼玉県川越市今成3-18-6
黒沼家 護摩灰弁財天十五童子 埼玉県鴻巣市

嶺南寺(佐倉七福神) 千葉県佐倉市新町74)
無量院 弁財天十五童子図 千葉県我孫子市青山132
西輪寺 十五童子 千葉県白井市富塚905
来迎寺 十六童子 千葉県白井市折立266
    
東京国立博物館 弁財天十五童子軸 東京都台東区上野公園13−9
松本弁天 寿昌院 東京都江戸川区松本1丁目9−14
高幡不動尊金剛寺 絹本着色弁才天十五童子像 東京都日野市 高幡733

大泉寺弁天堂 十五童子 町田市下小山田町332-2
宝泉寺 板絵弁財天十五童子図 東久留米市神宝町2-13-9
明照院 十五童子 調布市入間町2-19-12
禅林寺弁天堂 東京都三鷹市下連雀4-18-20
宗建寺 東京都青梅市千ヶ瀬町6丁目734
威光寺本堂の脇を抜けた竹林の中 弁天洞窟 板絵十五童子 東京都稲城市矢野口2411

宝珠院 十五童子 東京都港区芝公園4丁目8−55
玉姫稲荷神社 東京都台東区清川2丁目13−20
瀧泉寺(目黒不動) 十五童子 目黒区下目黒三丁目20番26号
永安寺 十五童子 東京都世田谷区大蔵6-4-14
本智院 十五童子 東京都北区滝野川1-58-2 ※無いかもしれない。

玉川弁財天 護摩灰弁財天十五童子? 大田区羽田6-13-8
成宗弁財天社 護摩灰弁財天十五童子 東京都杉並区成田東5-29-4
市杵島神社 十五童子 東京都小金井市梶野町4-13-23
月州寺 十五童子 東京都台東区龍泉2-15-11

延命寺・逗子弁財天(湘南七福神) 十六童子 神奈川県逗子市逗子3-1-17
福泉寺・満願弁財尊天(小田原七福神) 十五童子 神奈川県小田原市城山1-19-1
長谷観音弁天窟 十六童子 神奈川県鎌倉市長谷3丁目11−2
鎌倉宮宝物殿 十五童子 鎌倉市二階堂154

江ノ島奉安殿 神奈川県藤沢市江の島2-3-8 十五童子




江の島 岩本楼 十五童子 神奈川県藤沢市江の島2−2−7
弘明寺 十五童子 神奈川県横浜市南区弘明寺町267
妙円寺 十五童子 神奈川県平塚市土屋1949


光前寺弁天堂 十五童子 長野県駒ヶ根市赤穂29
戸隠神社旧本坊・勧修院 久山館 十五童子 長野県長野市戸隠3515-1
宇賀社葛山弁財天 十五童子 長野市茂菅
善光寺常行院 15童子 長野市長野元善町447

平林観音 弁天堂 平林山津金寺千手院 長野県南佐久郡佐久穂町平林263
宇賀神社 琵琶島(通称:弁天島) 野尻湖 十五童子 長野県上水内郡信濃町野尻琵琶島246
等覚寺 十五童子像(円空仏)長野県木曽郡南木曽町読書3857
池田家(赤岩弁天) 十六童子 長野県佐久市塚原
西岸寺弁天堂 長野県上伊那郡飯島町本郷1724

個人蔵 絹本着色弁財天十五童子像図 山梨県甲州市上萩原


石川県七尾美術館 八臂弁財天十五童子図(個人蔵)石川県七尾市小丸山台1丁目1個人蔵 富山県出水市
天徳院鎮守堂 十五童子 石川県金沢市小立野4-4-4

美江寺 十五童子 岐阜県岐阜市美江寺町2丁目3
円明寺 十五童子 岐阜県可児市久々利1135

慈光寺 円空の作 十五童子 愛知県知多郡南知多町内海南側63
弁財天の祠 十六童子  愛知県新城市作手菅沼
八百富神社 十五童子画像 愛知県蒲郡市竹島町3−15

佐久島弁財天 十五童子 愛知県西尾市一色町佐久島(筒島)
桃厳寺 十五童子 愛知県名古屋市千種区四谷通2-16
三明寺(豊川弁財天) 十五童子 愛知県豊川市豊川町波通37


竹生島神社 十五童子 滋賀県長浜市早崎町1821
宝厳寺 弁財天十五童子画 滋賀県長浜市早崎町1664
西江寺 滋賀県高島市今津町藺生592
長寿院弁天堂(大洞弁財天) 十五童子 滋賀県彦根市古沢町1139

天河神社(天川大弁財天社) 2組の弁財天像および十五童子像 奈良県吉野郡天川村坪内107
當麻寺 十五童子 奈良県葛城市當麻1263
當麻寺中之坊 弁財天十五童子図 奈良県葛城市當麻225−3−1263

興福寺 三重塔 十五童子 奈良県奈良市登大路町
法隆寺 十五童神 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1
能満院 琳賢筆 天川弁才天曼陀羅図 十五童子 奈良県桜井市初瀬 長谷寺塔頭

安倍文殊院 十五童子 奈良県桜井市安倍山
櫛玉比女命神社境内厳島神社 十五童子 奈良県北葛城郡広陵町弁財天399


神童寺 十五童子 京都府木津川市山城町神童子不晴谷112
志賀家 絹本着色弁財天像図(市指定)( 旧志賀家所蔵)絹本著色 京都府福知山市
香雪院弁天堂(東山聖天尊・弁財天) 十五童子 京都市東山区上馬町449
九頭竜大社 脇神 弁財天十五童子 京都市左京区八瀬近衛町681

大悲閣千光寺 十五童子 京都市西京区嵐山中尾下町62
玉台寺 十五童子 京都府木津川市山城町椿井天敷堂37
九頭竜大社 十五童子 京都市左京区八瀬近衛町68
玉台寺 十五童子 京都市木津川市山城町椿井天敷堂37

土師弁財天 十六童子 大阪府松原市立部1丁目
善龍寺 弁財天十五童子図 堺市長曽根町66
河内国分寺 弁財天十五童子図 大阪府柏原市国分東条町29番1号
西江寺 大阪府箕面市箕面2-5-27

大神宮社弁財天宮 十五童子 大阪市高槻市 中畑垣ノ下
荘厳浄土寺 十五童子 大阪府大阪市住吉区帝塚山東5-11-4
冥應寺 十五童子 大阪府茨木市西穂積町7-41

明法寺 十六童子 兵庫県洲本市五色町鳥飼浦1942
圓教寺食堂内 十五童子 兵庫県姫路市書写2968
大圓山徳光院 十五童子 神戸市中央区葺合町布引山2-3
神積寺弁天堂 十五童子 兵庫県神崎郡福崎町東田原1891

牟婁大弁財天 十六童子 和歌山県西牟婁郡白浜町2927-52 三段壁洞窟
根来寺 弁財天十五童子 和歌山県岩出市根来2286
風吹山弁財天 和歌山県岩出市根来字洞尾2276−2
高野山霊宝館 十五童子 和歌山県伊都郡高野町高野山306
西南院祓川弁天 十五童子 和歌山県伊都郡高野町大字高野山249 付近


広島市立大学芸術資料館 十五童子画 広島市安佐南区大塚東三丁目4番1号

金毘羅宮 絹本著色弁財天十五童子像 香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1
弘憲寺 十五童子 香川県高松市錦町2-4-29

宗栄寺 別本尊 弁才天(弁財天)十五童子 福岡市東区名島1丁目25付近
東光院 十五童子図 福岡県福岡市博多区吉塚3-20-37

長寿寺 十五童子 長崎県北松浦郡小値賀町前方郷871
本光寺常盤歴史資料館 弁財天十五童子像 長崎県島原市本光寺町3380
延命院 十五童子 長崎県五島市黄島町51

小湊厳島神社 十六童子 鹿児島県奄美市名瀬小湊

※「全国の弁財天十五・十六童子像」は、あくまでもネットで調べた資料です。
出かけて調べたわけではありません。間違いもあると思います。

あくまでも調べた限りですが、かなり少ないですね。
ただし、ネットで調べた限りですので、実際にはもっと多く祀られているはずです。



三途川 臨死体験 奪衣婆

2021-10-23 07:48:43 | 日記
以前書いたブログに資料と文章を追加しています。

かつて一ヶ月の入院をしました。
よくお寺に来られる婦長さんが、この時の数値を見て「良く死ななかったわね!」と家内に言ったそうです。

退院後、十名以上の女性からから「三途の川を見ましたか?」と聞かれ、その中には5人が三途の川を見たと言っています。



私はそこまで行き着かなかったようです。
立ち話でしたので、詳しくは聞くことが出来ませんでしたが、3人が「回り中が光りに満ち、川の向こうは花が咲き乱れていました。」と話していました。

「子供の姿になっており、川の向こうには死んだはずのおばあちゃんが、こっちに来てはだめだと言い、行きたかったのに帰ってきた」と話していた方もました。

臨死体験は薬剤などの幻覚と異なり、冴えきった意識と記憶が残るのが特色のようです。
もっと聞きたかったのですが、お寺の行事で大勢人のいる場所でしたので残念でした。




宝勝寺姥子堂(うばごどう)の奪衣婆(だつえば)
場所

30年以上前にも二人の女性が三途の川を見たと話していたことを思い出します。
聞いた限りでは、奪衣婆に会った人は一人もいませんでした。




真言宗豊山派 宝勝寺 群馬県甘楽町大字金井375

20年以上前に聞いたことですが、ある男性は病院のベットで、自分が身体から離れ上から家族が嘆いている姿を見ていた。子供の身体に手を触れすてもすり抜けてしまったと言っていました。


立花隆著「臨死体験」シリーズ

立花隆氏の「臨死体験」を読むと、いろいろな体験が書かれています。

また、脳科学で解明しようとする立場の方々や、それでも説明できない多くの例も掲載されています。

私が聞いた三途の川を見たと言っている女性の内、3人が死が怖くないと話していました。
このような気持ちのを持てた方々は、病後の大変さがあったとしても、安らかに旅立つことができるのでしょう。

あまりにも不思議な経験に、誰にも言わずにいる方もいると思います。
異なった体験をした方もいるでしょう。

インドでは閻魔様の使いが迎えに来たと話す人が多いそうです。

夢と異なり、実際に見たように鮮明な世界と話している人が多いのです。
生還した人は、夢ではないと感じています。

脳科学で解明しようとする立場の方々や、それでも説明できない多くの例も掲載されています。
科学者は何が何でも脳科学の立場で説明できると研究している人もいるようです。

日経ナショナルジオグラフィック 科学的に説明 臨死体験で見る世界、背後に立つ幽霊

しかし、鮮明に見た世界を覚えているほど、脳が働いていると言えないなど、全てを説明できる訳ではないようです。
科学者の中にも臨死体験の研究を通して、死後の世界を信じるようになった人もいます。

私も来世は、お花畑と思うようになりました。
天国、極楽、浄土は同じ世界だと思っています。


観経曼荼羅巧芸品

私は信仰により自分たちだけが、そのような世界に行くとする考えはありません。
宗教、宗旨により異なる世界に行くのでなく、行ってみたら異なる信仰の知り合いが、同じ世界にいると話しています。

ある禅宗の僧侶は、檀家さんに骨となるだけで来世はないと言っていたそうです。
亡くなったご主人が、天国であるか極楽に行っていて欲しいとの思いがあったのでしょう。
当寺檀家さんの四十九日忌に参列した奧さんが、私の来世観を聞き涙を流していました。

色々な考えがありますが、相手を思いやる気持ちも大事だと思います。

しかし、まだあの世に行ったことがあるわけではありません。
行ったと話していた方の記事を読んだことがありますが、これも臨死体験だったのでしょう。


※追記

平成11年11月に「さいたま川の博物館」へ行きました。
「三途の川展」が開催されていました。

さいたま川の博物館 ホームページlink




まだ入院するズッと前になります。



何と三途の川は縄文時代にもあったのです。



今はダムの底になっている「奥三面遺跡群」があります。
三面川(みおもてがわ)の近くに住居域と配石遺跡群・墓地があり、三面川から人工の川を掘っていたのです。
この人工の川が三途の川の意識を知る大事な遺跡であることを知りました。

※伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の説話が、日本書紀に書かれています。

伊弉冉が亡くなり、伊弉諾が黄泉の国まで追いかけていったのですが、伊弉冉の醜くなった姿を恐れ逃げ帰りました。
ここでも三途の川を彷彿させる描写があります。
帰りに禊ぎをした場所が、三途の川だったのかも知れません。
違うと言われるかも知れませんが。


病後の体力・記憶力の低下は、隠しようがありません。
ぼけがあまり進まないように、ブログも続けたいと思っています。