セイショウ坊のブログ

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派・円泉寺住職です。
円泉寺ホームページにもブログがございます。

日本庭園・星渓園と十王供養塔

2022-02-28 07:36:11 | いろいろ
名勝庭園で知られる埼玉県熊谷市の星渓園を見学しました。
竹井澹如により、慶応年間から明治初年に作庭されています。





係の方に聞くと、池に26羽カルガモが飛来しているすそうです。


珍しい石仏を見つけました。



十王供養塔です。
閻魔大王が死者の業の重みを図っています。


渋沢栄一の書や市内愛染堂の額がありました。



額には富岡製糸初代工場長・尾高惇忠(渋沢平九郎の兄・渋沢栄一の従兄弟)の号・尾高藍香の名もあります。


休園日は月曜日と12月27日から1月4日までの年末年始です。(月曜日が休日の場合は翌日)




下照姫の掛軸

2022-02-26 07:58:09 | 仏像
友人が諏訪信仰を研究していました。
私も資料を集めましたが、たいした物はありません。

下照姫(下照比賣命)は、諏訪大社祭神・建御名方神の姉です。
古事記では大国主命と多紀理毘売命の娘です。





高天原から遣わされた天若日子と結婚しました。


僅かですが出雲の神さまですので、京都府より西の地域に祀られています。

長野県では諏訪大社祭神・建御名方神の関係と思いますが、岡谷市の下照姫命神社に祀られているようです。



孤独死

2022-02-24 07:55:50 | 日記


内容が深刻ですので、気分が悪くなるかたたいるともます。
読まずにスルーして下さい。


近年孤独死の記事をよく目にします。
当寺にも毎年のように孤独死の知らせが来ます。
永代供養塔を申し込まれる方は、この割合がかなり多くなります。

お盆前に檀家さんから電話がありました。
分家の50歳台独身男性で、死後3日ほど経ています。身体を壊して求職中だったようです。
一人っ子でした。
病気であったことを知っている近在の方が、郵便物や新聞がたまっていたために警察に知らせて発見されたそうです。

親戚の本家とは再従兄弟となります。

すぐ近くの従兄弟達は、警察から電話があっても、ご遺体の受け取りを拒否したそうです。
実の子供でも引き取らないこともあります。
叔父さんが生きていれば、こんなことにはならなかったでしょう。

ご本家には電話にて、指定の葬儀屋さんなら当寺霊安室に預かれる旨話しました。
状況が状況ですので、霊安室に来て頂けるかと思いましたが、数人がお線香を手向けに来られました。

急遽、二日後の午前中に火葬に付したあと、御本堂で葬儀をして永代供養塔に納骨することになりました。
参列者は、ご本家など親戚の3人だけでした。



遺影、仮位牌、生花は、当寺で用意しています。
15年程前にデジカメで撮っておいた画像を印刷し、使用することに致しました。検索ですぐ見つかり、ホッとしました。

戒名は、ご両親の戒名の流れに合うように考えました。

施主がいるようでいない葬儀です。お布施などは頂けるような状態ではありませんでしたが、ご本家から気持ちを添えて頂きました。
ご本人・ご両親の戒名を永代供養塔に彫刻させて頂く費用とし、ご両親も引き墓をして、永代供養塔に納骨となりました。

お墓をどのようにするのか、まだまだ未定です。
取り壊し費用などは、寺で負担するしかないと思います。

故人の面影が浮かびます。
檀家さんの葬儀としては、ここ数年で一番つらい思いの葬儀でした。


レストランむつみ

2022-02-22 07:37:45 | いろいろ
たまたま見つけたレストランです。
スマホでGoogleマップを確認すると、落ち着いた上品なたたずまいの建物でした。

新鮮な手作り野菜を使用し、美味しそうな料理が表示されました。





食事の場所は二ヶ所に分かれています。





美味しい料理が運ばれてきました。
「かれいのあげおろし」です。





ロウバイが上品に生けられています。

私好みの味でした。

私以外にお客さんは他に女性ばかりです。
女性好みのお店のように思います。




入間市の社会福祉法人「創和」の経営していました。




民泊もしています。



営業日は木金土の三日間になります。
日曜日は予約がひつようです。

近くにムーミンバレーパーク「メッツァビレッジ」がありますので、寄られた時の昼食にいかがでしょうか。


レストラン&ゲストハウスむつみ 埼玉県飯能市小久保264−1 地図リンク

ホームページlink


前回ご紹介した「渋沢栄一の六男・田中巳六養母ふく墓」の近くにあります。

ブログlink





渋沢栄一の六男・田中巳六養母ふく墓

2022-02-20 07:59:50 | 他の寺社
私の住む隣の地区に、渋沢栄一六男・田中巳六養母・田中ふく墓があります。

田中巳六は大河ドラマで知られる渋沢栄一の見立養子・渋沢平九郎とは兄弟になります。実際には平九郎は叔父です。

渋沢平九郎ブログlink







ふくは幕末、高麗郡小久保村の青田家に生まれ、長じて浅野セメント・清水建設両社重役、田中忠義(自宅・東京都京橋区松屋町1丁目)と結婚するも子に恵まれず、明治近代化の元勲青淵翁こと渋沢栄一の六男巳六を養子に迎える。

ふくは大正5年1月28日、66歳で黄泉の国の旅にたったが、巳六は養母ふくのために「福昌院徳室壽榮大姉」の高位法名を捧げ、生家の墓地に手厚く葬った。

地元では村長をはじめとする多くの方々が、亡きふくを迎えたが、初めて見る霊柩車に人々大いに驚愕せしと伝う。



現在の埼玉県飯能市小久保になります。
ここに葬られたのは、ふくの生前からの希望だったのかも知れません。
田中家の墓には、ふくの供養塔を建立したのでしょうか。


20年以上前に散歩をしながら、偶然見つけた場所だったと思います。

今回は車でした。
前の通りが車一台しか通れません。少し広い場所に出て駐めさせていただきました。


飯能市の資料PDFリンク