2代目クラウンのデザインをそのままにホイールベースを50mm、全幅を150mm拡大し、国産初のV8エンジンを搭載した1964年発売のトヨタ クラウン エイトです。
3枚目以降の写真は翌年にベースのクラウンと共にマイナーチェンジされた後期モデルです。
2代目トヨペット クラウンはこちらをご覧ください。→Toyopet Crown 1962-
Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Wakayama 1966年撮影

Toyota Crown Eight Wakayama 1966年撮影

Toyota Crown Eight Wakayama 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Tokyo The 13th Tokyo Motor Show 1966年撮影 <2014年10月画像追加>

3枚目以降の写真は翌年にベースのクラウンと共にマイナーチェンジされた後期モデルです。
2代目トヨペット クラウンはこちらをご覧ください。→Toyopet Crown 1962-
Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Wakayama 1966年撮影

Toyota Crown Eight Wakayama 1966年撮影

Toyota Crown Eight Wakayama 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Tokyo 1966年撮影 <2010年9月画像追加>

Toyota Crown Eight Tokyo The 13th Tokyo Motor Show 1966年撮影 <2014年10月画像追加>

普通のMSを唐竹割りみたいに分断して伸ばして作ったと言われるのは、本当でしょうか。
でも本邦初のV8搭載車ですよね。
この車のアピール度の低さに国産初の御料車はプリンスロイヤルに決まり、その後30数年トヨタは後継の日産に後塵を拝し、臥薪嘗胆、やっとその位置に納まったのですね。
でもトヨタってがつがつしたサラリーマンみたいでヤダ。
フェンダーとフロントドアは共用してそうですが、他の部分は新設したんでしょうから、見た目が変わらない割には結構大変だったんでしょうね~
セドリック スペシャルやグランド グロリアに対抗するためにはエンジンだけでなくボディを大きくしたかったんでしょう。
この車が受注競争に一枚かんでいたとは初めて知りました。
プリンス ロイヤルのスケールモデルと概要の発表が65年秋なので時期的にはギリギリでありえない話ではない気もしますが・・・
センチュリーロイヤルが2005年に後継に決まるまでの40年間に、確執もあったかもしれません。
日産はどんどん古い財産を捨てて、危惧されることが多いです。
前身のプリンス自動車は今の天皇陛下が若い頃、よく乗っておられた、その縁のようですね。
です
「その縁」は巷間言われている内容に近いように思います。
たぶんそうなんでしょうね~
近いうちに68年に撮影したセンチュリーをアップしますね~今のモデルとほとんど変わりませんが・・・
普通のクラウンから乗り換えると妙に違和感があったのかもしれませんね。
思わずポールを立てたくなったりして。