1967年にスモールフェラーリとして誕生したディーノ 206GTですが、69年にはフィアット ディーノシリーズと共に2.4リッターエンジンを搭載し246GTとなりました。
フィアット ディーノ スパイダーはこちらをご覧ください。→Fiat Dino Spider 1966-
フィアット ディーノ クーペはこちらをご覧ください。→Fiat Dino Coupe 1967-
ディーノ 308GT4はこちらをご覧ください。→Dino 308GT4 1973-
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
フィアット ディーノ スパイダーはこちらをご覧ください。→Fiat Dino Spider 1966-
フィアット ディーノ クーペはこちらをご覧ください。→Fiat Dino Coupe 1967-
ディーノ 308GT4はこちらをご覧ください。→Dino 308GT4 1973-
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
Dino 246GT Tokyo The 17th Tokyo Motor Show 1970年撮影
ところでkoyapopさん、Ro80の写真はお持ちですか(^^?
「サーキットの狼」で有名ですね。
昔の「毎日グラフ」でも紹介されていて
小学生のときからフェラーリを知っていましたが
あまり関心ありませんでした。
でも、今見るとカッコ良く見えます。
2000GTで書いたように
とても小さくて、低くて明快で。
RRの2シーターって贅沢そのものですよね。
荷物も運べない、家族も乗れない。
ただただ速く走る為のみのコンセプトなんですから。
サイドのエアダクト形がフェラーリのアイデンティティに感じました。
ルノー・ドーフィンやA110なんかと
全然違う形でした。
顔は・・・ヒゲが生えているように見えました(笑)
丸テールランプが特にカッコ良く
今でも丸テールランプのクルマが好きです。
この個体は70年の東京モーターショーでの撮影ですが、246になってからおそらく初めて日本に入った車と思われます。
206と246とはボディサイズが違いますが、246の中に前期、後期があったかどうかは寡聞にして知りません。
ご存知でしたらお教えいただきたいのですが。
実はこの年のモーターショーで一番多くフィルムを消費したのはEX7だった気がします!
当時のCGを見ても巻頭カラーは国産のショーカーオンパレードですし、世間の風潮もそうだったのではないでしょうか。
今個人的にどうかと聞かれるとちょっと口ごもってしまいそうですが・・・
ブログ拝見しました。残念ながらRo80のネガは現在行方不明でして・・・鋭意捜索中であります。
サイドのエアダクト形状はおっしゃるとおりフェラーリ=ピニンファリーナのアイデンティティそのものでしたね。
308にも引き継がれましたし。
顔はたしかにヒゲ、それもナマズのヒゲにも見えます。
バンパーが横に長く伸びているからでしょうね~
私はテストドライバーでもありませんし、すでにプレミアがついていて「絶対壊せない」状況下、夢に見たディーノでドライブさせて頂きました。
ドアノブからして繊細でドキドキし、高めのサイドシルを跨いだ運転席は外で見ていた以上にウインドウとインパネが回り込んでいて何だか遊園地の乗り物のようでした。
このスタイルって同社のP4っていうレーシングカーの流れだったのでしょうか。私が手でコツコツと叩いた感じではスチール製のボディだと思いましたがよくまああんな複雑な形状にサイドのダクトやフェンダー、リアクオーターなどを造ったもんだなあと関心。殆どハンドメイドだったのでしょうね。
でも軽々とレスポンスよく回るV6エンジンはびっくりするほどのパワーは感じませんでしたが、ステアリングの切れ方もキビキビとして乗り心地も決してハードではなく快適。「ああ、これは本当に運転していて楽しい!名車と言われるだけあるなあ」といたく感動した覚えがあります。
その時知人の運転する(これも同時に借り出した)デイトナと一緒でして帰路は交代したのですが、少なくとも横浜の山手のワインディングっぽい道路ではディーノの方が楽しかったです。後ろで聞く限りデイトナのサウンドはもちろん最高でしたが。
当時のオーナーさんもあの後手放されクルマの行方はどうなったのか知る由もありません。
バブルの恩恵といえばそうなんでしょうけれどあんな夢のような体験は最近全くご縁がなくなってしまい淋しい限りですね。
きっと夢のような時間をすごされたのでしょうね。
ディーノばかりでなくデイトナまで運転するなんて。うらやましい限りです。
今思えばバブル絶頂期は異常そのものでしたね。
買ったフェラーリが半年で数百万値上がりしたとワイドショーが報道し、それを見た普通のおばさんまでが私も投資で買おうかしら、なんて言ってた時代でしたからね~
実はこの夢の様な体験も最後の最後に大変なオチ(私にとっては)があったのでした。
当日の夜オーナーさんのご自宅に無事到着し、バックしながらシャッターガレージに12気筒エンジンを積んだ重~いノーズをノンパワーのステアリングで必死で切って車庫入れしていたその時でした。
「ガキツ!ポロリツ?」といういや~な音。
ひざに何かが落ちた感覚を感じ、慌ててサイドを引いて足元を見ると・・そこには折れたウインカーレバーが!!
どうやら私が一張羅のスーツの袖口を引っ掛けたらしく、デ、デイトナのウインカーレバーを壊してしまったらしいのです。
根元を見るとなにやらアロンアルファで補修したような形跡が見当たりましたが、その場にいた方は豪邸の使用人の方で言い訳がましい話ができるわけもなく、とにかく「申し訳ありません。すぐディーラーに連絡して修理させます!社長様にその旨お伝え下さい。詳しくはあす上司からお電話で」といってその場を離れましたが、正規ものと若干違うらしくコーンズさんもお手上げ。結局同行した英語の達者な知人にアメリカのディーラーから取り寄せてもらい解決となったのですが、その在庫と値段、納期が判明するまでの一週間というもの、まるで地獄で閻魔大王のお沙汰を待つ拷問のような日々でした。
結局部品代そのものは300ドルほどで想像していたほどでもなく胸をなでおろしたのですが、でもよくよく考えたらとんでもなく高価なドライブでした。ガックリ・・(苦笑)。
あれ以来、レンタカーも含め他人様からクルマだけは借りなくなりました。
語るも涙、聞くも涙の後日談ですね。
興味深く読ませてもらいました。
それにしても元自動車少年さんはいろんなエピソードをお持ちですね~