皆様おはようございます!!
今日は、日本全国、快晴と雨の両方でしょうか?
島国とは言え、横長の国なのに、めずらしいことだ。
心の問題は、本当に根深いのだろうと思う。
あちらこちらで、高校生の自殺をニュースで見る。
日本だけではないのかもしれないけれど、少なくとも今の日本の教育内容では、
決して、解決できないのは、私には、分かる。
とは言え、このところ盛んにお勧めしている私の心理分析方法など、大変な時間と学習研究量がいる上に、そのような教育を行っているところも無い。
私も自分自身自分を歳だと思わないで、日々時間を見つけては、総合的にまとめる努力をしないといけないだろう。
しかし、確かにUSAのような環境で、さらに知識と学習研究量を増やさないとフロイトのように影響力と公式な権威を持たせることは出来ないかもしれない。
しかも、フロイトのように精神医学を基調とすべきか?キリスト教神学的な見方を基調とすべきか?教育学的な見方を基調とすべきか?悩む。
しかし、最終的には、精神医学を基調とすれば、今までの学位での自分で培った思考から、神学的・教育学的なものは後からもついてこれる。
すなわち、時間が赦されるならば、総合的な内容にまとめ上げられる。
なるべくは、「絵に書いた餅」や単なる空想であったと思われないようにしたい。
私自身が大人になって、生活の中で神学的な努力もまた大きな役割を持ち、そうしないと逆に、
その時の社会の次元の低い主流に飲まれることを痛感している。
こう書くと、日本的には、生意気だと思われ、潰される様な表現になる。このジレンマは、せめて、相互の国際理解に役立っていてほしいものだと切に思う。
アルバイトはいけない。こんな日本社会ではやはり、「豚に真珠」以上に恐ろしい結果になる。
私も、明らかに、神から与えられたような今の立場を大事にしたい。世界に神の祝福がありますように祈りたい。
また、私の父である神、主よ、私の正しい生活のために必要な結婚を出来るだけ早くいただきますよう祈り求めます。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti
***************************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き**********************************************
これまで、ヨブが神に問い続けた神は、自己中心的で、地を這うような、次元の低い神でしたが、
しかし、今ヨブに与えられる神の答えは、永遠で、宇宙的視点からのそれでした。『ヨブ記』の著者は、
このようなアンバランスな両者の立場を設定することによって、絶対者である神の前で
繰り返されるヨブの問いの空しさ強調しようとしているのではないでしょうか。
そもそも神は、わたしたち人間が、勝手に想像するような、「想像的な神」ではありません。
神はまた、わたしたちが願うことは何でも、無条件に叶えてくださり、いかなる災害や危機の
恐れも無い、いわば「無菌状態」の世界にわたしたちを置くことを望まれませんでした。神は、
子供たちの願いと期待通りになる、いわば過保護な親のような神でもありません。
神は、人間の願い事、あるいは人間の望みは何でも聞きいれ、そのためには世界を勝手気ままに
操作するような方でもありません。
***********************************************本日の転記はこれまで**************************************************
今日は、日本全国、快晴と雨の両方でしょうか?
島国とは言え、横長の国なのに、めずらしいことだ。
心の問題は、本当に根深いのだろうと思う。
あちらこちらで、高校生の自殺をニュースで見る。
日本だけではないのかもしれないけれど、少なくとも今の日本の教育内容では、
決して、解決できないのは、私には、分かる。
とは言え、このところ盛んにお勧めしている私の心理分析方法など、大変な時間と学習研究量がいる上に、そのような教育を行っているところも無い。
私も自分自身自分を歳だと思わないで、日々時間を見つけては、総合的にまとめる努力をしないといけないだろう。
しかし、確かにUSAのような環境で、さらに知識と学習研究量を増やさないとフロイトのように影響力と公式な権威を持たせることは出来ないかもしれない。
しかも、フロイトのように精神医学を基調とすべきか?キリスト教神学的な見方を基調とすべきか?教育学的な見方を基調とすべきか?悩む。
しかし、最終的には、精神医学を基調とすれば、今までの学位での自分で培った思考から、神学的・教育学的なものは後からもついてこれる。
すなわち、時間が赦されるならば、総合的な内容にまとめ上げられる。
なるべくは、「絵に書いた餅」や単なる空想であったと思われないようにしたい。
私自身が大人になって、生活の中で神学的な努力もまた大きな役割を持ち、そうしないと逆に、
その時の社会の次元の低い主流に飲まれることを痛感している。
こう書くと、日本的には、生意気だと思われ、潰される様な表現になる。このジレンマは、せめて、相互の国際理解に役立っていてほしいものだと切に思う。
アルバイトはいけない。こんな日本社会ではやはり、「豚に真珠」以上に恐ろしい結果になる。
私も、明らかに、神から与えられたような今の立場を大事にしたい。世界に神の祝福がありますように祈りたい。
また、私の父である神、主よ、私の正しい生活のために必要な結婚を出来るだけ早くいただきますよう祈り求めます。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti
***************************************「『ヨブ記』を読みなおす」から続き**********************************************
これまで、ヨブが神に問い続けた神は、自己中心的で、地を這うような、次元の低い神でしたが、
しかし、今ヨブに与えられる神の答えは、永遠で、宇宙的視点からのそれでした。『ヨブ記』の著者は、
このようなアンバランスな両者の立場を設定することによって、絶対者である神の前で
繰り返されるヨブの問いの空しさ強調しようとしているのではないでしょうか。
そもそも神は、わたしたち人間が、勝手に想像するような、「想像的な神」ではありません。
神はまた、わたしたちが願うことは何でも、無条件に叶えてくださり、いかなる災害や危機の
恐れも無い、いわば「無菌状態」の世界にわたしたちを置くことを望まれませんでした。神は、
子供たちの願いと期待通りになる、いわば過保護な親のような神でもありません。
神は、人間の願い事、あるいは人間の望みは何でも聞きいれ、そのためには世界を勝手気ままに
操作するような方でもありません。
***********************************************本日の転記はこれまで**************************************************