爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

自分に必要か

2022-03-06 20:04:11 | 日記
電化製品も車も、あまりに安いと、そんなに欲しくなくなる。

家や土地は手が届きにくい値段になると、返って何とか手に入れ様と、執着し始める。

物の値段というものは、とても上手く付けてある。

今の自分の収入では、とても買えないがローンを利用すれば、まったく買えなくはない。

そうなると、あまり必要の無いものにも、強い執着心を抱く様になり、その物から心が離れなくなってしまう。

その執着心に心を惑わされ、人生の道筋を狂わされてしまう。

いつの間にか、とても出来ないのに、出来ると思わせてしまう魔法の杖を持たせられ、無理の上に無理を重ね、ものの奴隷になる。

孔子は子路というお弟子さんに「鳥たちの動きを見ていると、その時その場に応じた、執着のない行動をしているね」と言った。

子路はそこへ飛んできた、キジに餌を投げた。

キジは三回餌の匂いを嗅いだだけで、さっと飛び去った。

孔子は「せっかく目の前に投げられた餌でも、必要が無ければそれを食べないね」と。

春爛漫の桜の花。ああ、美しい。花の舞いもたまらない。雲に隠れたり現れたりする名月。ああ、いつまでも眺めていたい…。

私たちは、花にも月にも執着する。

執着心があるから、人生は成り立つ。

仏を思い経を読むのも、執着である。

執着すべき事に、執着の気持ちを起こさなくては、一体何の人生ぞ。

孔子が忠告するのは、自分に必要のないものには、執着してはならぬ、という事なのだ。

「三たび嗅ぎて作つ」ーーちょっと嗅いで、自分に不必要なものからは、さっと去る。

進むべきか去るべきか、執着すべきか捨てるべきか。

人生はそれが一番難しい。





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