耕福米

【耕福米】を通して美しいふるさとの建設に寄与したい・・・団塊世代の第2ステージ。四季折々のできごとをここに綴ります。

耕福米耕作人は、津軽の研修旅行に行きました。

2016年11月12日 20時58分49秒 | 

津軽は、前日の猛吹雪で一足早い厳冬期の様子と話していました。昨夜、新宿バスタを10時半過ぎに出ました。約10時間のバスの旅になりました。2時間弱走りSAでの休憩を取り、自分の車で行くよりもこまめに休んで行きました。

 10日の朝予定通り、8時05分に弘前駅城東口に着きました。弘前は、お城を中心に町名が振り分けています。O先輩も駅東に広がる、田んぼ地帯であったであろう地域に建てられた住宅街です。駅には、元気な先輩が立って出迎えていただきました。

 弘前も田んぼ地帯に温泉を掘り当てて、あちこちに日帰り温泉が点在しています。その一つに、宿泊施設を持った温泉に連れて行ってくれました。少しぬるぬる肌にまとわりつく、温泉ですごく温まります。

 そこで先輩は、胸を見せてくれて大手術の縫合あとを見せてくれました。電話やメールは時々交わしていましたが、こんな状況は話していただけませんでした。ただただびっくりして、元気になられた先輩を見てホットしました。良かった!

  弘前城の〇〇門です。撮影ポイントです。

  お濠の紅葉です。毎度来るたびに、お城の中をくまなく案内していただいています。

 お城の紅葉を堪能して、今宵の研修会場に行くために弘前城東口に集まりました。懐かしい面々、やはり大病したYさんと奥様、同級生の芸能人おまわりさんです。主賓の3月に県庁を退職した、アニィータ千田さん、やまふみの山仲間Tさん、山の上で何時もお茶入れてくれました。一人私は、わからない方がいました。Yさんご夫妻の卓球仲間のSさん、県農業委員会にいたKさん、ビール大好きのNさん、残りお二人が現地直行しています。再会を喜び、数年前を思い出しました。まだ、皆さん現役でご活躍でした。あれから10数年、古希を迎えて少し初老を感じた時でした。

 黒石の伝統芸能伝承館隣に、過去は高級ホテルのようでいたが現在はそこそこのホテルのなったいました。昔はここからまだしばらく走り青荷温泉でしたが、やはり年を重ねてより近くになりました。青荷には、名物の支配人さんがいて長年のよしみで囲炉裏の端の宴会場でやりましたが、なかなか、融通が効かなくなったようでした。総勢12名になりました。ただ一人、大鰐のTさんがいません。Tさんは、ソフトボールでアキレスけんを切ってしまったということでした。

 青荷で経験していましたが、ただただ、ひたすら飲む飲むの皆さんでした。皆さんが、一斉にしゃべりだすとフランス語世界は、7割方わかりません。今回も飲みだしましたら、飲む飲む皆さん飲む!飲み放題で、二次会まで飲む飲むの夜でした。三次会、四次会と飲む飲むで、本当に久しぶりの宴会でした。

 同室の先輩たちの話を、ウトウト聞いていると「まげの恋」中学生から高校生時代の厩の二階で青春を語り合う仲間でした。石坂洋次郎の「まぎの恋」短編小説で記しているそうですが、北国の次男坊達が集まり青春を語り合う場面があるそうです。そのものでした。「まぎ」だか「まげ」だかわかりません。蕎麦屋さんの奥さんもこの仲間です。

 楽しい宴会は、日にちが変わり1時過ぎまで先輩達は討論していました。私は、少し前に寝てしまいました。バス旅の疲れでした。

 

 

 

 

 

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