岐阜の音楽館(石井式リスニングルーム)

音楽関係の記事とリスニングルームの紹介

The Beatles 5Days in JAPAN 1966

2018年08月07日 | ロック

本日は久しぶりに「ロック」ザ・ビートルズ

MUSIC LIFE
「ザ・ビートルズ日本公演1966 特別版」を購入した。

 

2016年6月に刊行したものに
「発掘! ザ・ビートルズ来日写真集」の小冊子が付録について再刊行されたもの。

 

ビートルズの本は今でもどんどん発行されるので前回は見送った。

しかし、今回は発掘写真の付録が付くし、この本がなかなか良いのだ。

 

 ビートルズのドキュメント103時間


30時間の移動の末

JAL412便 6月29日水曜日午前3時40分 羽田到着


音楽の「黒船」襲来!

 

 

 MUSIC LIFE
「ザ・ビートルズ日本公演1966 特別版」の表紙。

表紙がなかなかかっこいい。

 

 付録の「発掘! ザ・ビートルズ来日写真集」の小冊子。

写真家「阿部 克自(あべかつじ)」氏が撮影したもの。

 

2008年 78歳で亡くなられていたのだが、ご遺族が写真を整理していたら袋に入ったままの写真が出てきたそうだ。

TVでこのことは放映された。

 

 「発掘! ザ・ビートルズ来日写真集」の裏表紙。

 

52年経っても、まだ来日公演を分析することがすごいと思う。

 

 このページは印画紙に焼いていた写真だそうだ。

初日の公演。

 

写真からマイクロフォンの不具合が分ると書いてある。

たぶん、マイクが口元からずれているからだろう。

 

 阿部 克自さんの写真で印象に残る写真がある。

BEATELSの背景看板にメンバーがで写っている。

 

 

 ビートルズ公演の告知大型ポスター

「世界のアイドル 待望の日本公演」

 

場所 日本武道館

6月30日木曜日  夜 6時30分開演
7月1日 金曜日  昼、午後2時開演、夜 6時30分開演
7月2日 土曜日  昼、午後2時開演、夜 6時30分開演

全部で5回公演

A席2500円
B席1800円
C席1500円 全指定席

今ならこの100倍の値段ですね。

当時、5回すべて観たファンがいるそうですよ。

 

 

 警察庁が撮影した当時の来日公演の記録映画があるが個人情報があると「名古屋の市民オンブズマンが東京都」と裁判で争ったが東京都は一切公開しない考えのようだ。

(この件は今回の雑誌には関係ない)

 

 4人のサインが入ったパンフレット

ポール

「快適な滞在をありがとう。びっくり!」

ジョン

「なに偉そうにしてんだよぉ」

と書いてある。

 

 なかなかB席の「赤チケット」が中古ではないようだ。

 

ヒルトンホテル
プレジデンシャル・スイート
1005号室
の間取り。

 

ビートルズが日本でもっとも長い時間を過ごした密室だ。

 

 

 ビートルズ4人がいっしょに描いた絵画。

真ん中に4人のサインがしてある。

 

7月1日金曜日 午前11時20分

7月1日ブライアン・エプスタインがシャッターをきってくれた写真。

正面右側が「山下 鉄三郎」氏である。

その左の女性もファンクラブの編集者の方である。(他の武道館雑誌には彼女のページがある)

 

ビートルズが描いた絵画は、日本ビートルズ・ファン・クラブを創設した松竹セントラルの「山下 鉄三郎」氏に贈呈されたものなのだ。

絵画は7月2日編集者がホテルの受付に取りに行った。

 

 

7月2日土曜日 午後1時

「ミュージックライフ」編集長の星加ルミ子さん(当時26歳)とリンゴ・スターとジョン・レノン。

ビートルズが描いた絵画と記念撮影。この時にはまだ絵画がこの部屋に有ったということになる。

 

星加ルミ子は後に書いている。

業者も引き上げた身内だけになった時、

めずらしくリンゴが「もう金は十分手に入れた。その金を使う場所に連れて行ってくれ!」

ジョンはオレンジ・ジュースのグラスを高々と揚げて「まもなくビートルズは解散しまーす。過去の栄光に乾杯!」

ジョンとしてはブラック・ジョークだったかもしれない。

ジョージは飛行機恐怖症だったのでツアー嫌いになっていた。

星加はエプスタインに2本指でシ~と口止めされた(記事にしないでくれと)

もうすでにこの時、星加は不安を覚えていたという。

 

この話はかなりショックなのだが!

 

6月29日水曜日 午後6時ごろ

加山雄三さん(当時29歳)とビートルズ

なかなか4人とこのようにバランスよく撮影されたものは少ないかも。

左下には先ほどビートルズが描いた絵が置いてある。もうすでに絵は描いていたことになる。

右にはNIKON F カメラとレンズがある。ジョージのものらしい。
ジョージはこの時NIKONの魚眼レンズをプレゼントされたようだ。

この写真は40年後に加山雄三が公式カメラマンロバート・ウィティカーからプレゼントされた写真だ。

 

加山雄三とザ・ビートルズはレコード会社が東芝音楽工業と同じであったのでビートルズに合わせてもらえた。

しかし、加山雄三さんはあまりビートルズに興味がなかったようだ。

 

東芝の人から「ビートルズに会ってみませんか?」と雄三は言われた。
「えっ、会えるんですか?」と答える。
「はい」

雄三はどうしようかな?と思う程度だったので、祖母に相談した。

祖母は「会いな!こんなチャンスは二度とないよ。あんたのためにどれだけなるのか、計り知れないよ」と背中を押したので雄三はビートルズと会食が実現したということ。

ビートルズは加山雄三の「ハワイの休日」というレコードをポータブル・プレーヤーで聴いてくつろいだ。

加山が自分で作曲した曲ということを感心していたようだ。

 

 

ベストアルバム「OLDIES」のジャケット表紙。

アルバム「オールディーズ」の裏ジャケットには来日時のホテルでの写真が使われている。

 

ジョージはロンドンで買った日本製のサングラスをかけている。

リンゴは水色のペイズリーのシャツを着ている。一番おしゃれだった。

 

ポールは着物姿で、家紋に「壽」の金文字が入っている。

ジョンも着物を買ったが色は薄いクリーム色、家紋は「壽」 ジャケット写真では確認しづらい。

 

6月30日夜、1回目の公演

午後5時に開場。

司会は、E.H.エリック

6時40分(10分遅れ)に「前座公演」が始まる。(時間から判断すると前座公演は45分ぐらいだったのだろうか)

6時35分ビートルズがホテルをキャデラックで出発。

10分後

7時35分、ビートルズのコンサート開演。

 

衣装(1回目)

えり幅の広い(シルク・ベルベット)ボトル・グリーンのダブル・スーツ。

インナーシャツは朱色のサテン地。

靴は黒。

ビートルズがネクタイをしないのもこの年のツアーが初めて。

 

全11曲(アンコール曲なし)

8時5分に終わる。わずか30分だ。

 

この公演はレーザー・ディスクなどビデオ化されたが最悪の公演であった。

メンバーもこの日はまだ時差ぼけで本調子ではなかった。

リンゴなんかビデオを観るとふてくされて演奏しているようにみえる。

 

「ザ・ビートルズ 武道館コンサート 1966年6月30日」のレーザー・ディスク

 

初回は特別仕様パッケージになっていて、本来のジャケットの外にこの黒いハードケースが付いた。

値段 5984円

 

レーザー・ディスクが発売になった時のチラシ。

 

LDのジャケット写真がなかなかいい。

 

LD裏ジャケット。

おそらく写真は7月1日夜の部 3回目の写真と思うがLDの映像は6月30日夜の部なのだ。

 

 

 

写真の左がプロデュサーの「ブライアン・エプスタイン」
右から2人目が「トニー・バーロウ」 3人目が「星加ルミ子」

 

広報マンの「トニー・バーロウ」は6月30日の公演をこう振り返っている。

 

武道館コンサートは静か?だった。

目についたのが行儀のよいファンだった。(規制されている)

 

マイクのトラブル。クルクル回転。音声が小さくなったりした。

ジョンは「なんとかしてくれ」とどなっていた。

 

アリーナ席に観客がいない。

目の前には警官。

PAがない時代で観客に音声が届きにくい。

 

演奏内容はがっかりさせられた。

ボーカルは感情や情熱に欠け、演奏も不注意なミスが多くなげやりだった。

ビートルズのパフォーマンスでこれほど満足のいかないものはほとんどないと言ってもよかった。

以上のことを証言している。

 

素人的にはそんなに悪い演奏にも聞こえないのだが、いつも演奏を聴いているスタッフはそう感じたのだろう。

 

ジョージはこの時の演奏を振り返って、

今日の「恋をするなら」は、ぼくがこれまでやってきた中で最低だったよ。と口にした。

それについてリンゴ

「良い夜もあれば、悪い夜もあるさ」となぐさめた。

 

ジョージは冷静に

「もうさ、事実をしっかりみようよ。最近のツアーでぼくたちの演奏はこんなもんなんだよ。

こういう意味のないステージでいたずらに自分たちを消耗させているだけなんだ。

レコーディング・スタジオならもっとましなことをいろいろできるのに」

と語った。

もうこの時にメンバーの中には危機意識が共有されていた。

 

 後の7月の良い公演映像はマネージャーのブライアン・エプスタインがイギリスに持ち帰ったようだ。

 

6月30日公演 

マイクロフォンが歌っているときにぐるぐる回転して落ち着いて歌っておれなかった。

写真でも分るようにポールがマイクを固定しながら歌っている。

 

6月30日 1回目のマイクスタンド

 

7月1日 2日目公演からはマイクスタンドが変わっているようだ。

スタンドは固定もされた。

前座公演もあったのになぜこのような初歩的ミスを当時したのか今でも理解できなかった。

 

しかし、

ジャッキー吉川さんが証言している。

 

うちのバンドボーイ(杉村)がセッテイングしたんですけど、マイクの向きをスタンドに固定するネジをしめ忘れちゃた。

初めは分らなかったけど、グルグル回るマイクを観た杉村が締め忘れに気付いた。

 

杉村が告白した。

杉村:「ビートルズが不機嫌になって----大変な失態ですよ。」

ジャッキー:「バカやろう!」とオレは怒っただけどね。

杉村は「自分が悪かった」と反省。

ジャッキー:「しょうがねえじゃねえか、もう終わっちゃたんだから」とは言った。

 

 

なんか何十年と悩んできた疑問が解かれ「のどに刺さった魚の骨がやっと取れた」感じだ。

 

7月1日昼

2回目の公演

マイクの不具合も直り、演奏もよくなったようだ。

まだ、アンプに不具合がでていた。

 

衣装(2回目)

ライトグレー地にオレンジ色の細いストライプの入ったスーツ。

インナーシャツは1回目と同じ朱色のサテン地。

ズボンが黒。

靴は黒。

 

7月1日夜

3回目の公演

アンプが調子悪かったので新機種に交換された。

 

衣装(3回目)

ライトグレー地にオレンジ色の細いストライプの入った上下のスーツ。

インナーシャツは1回目と同じ朱色のサテン地。

靴はジョージが黒で他の3人は白。

 

7月2日昼、午後3時

4回目の公演

 

衣装(4回目)

2回目と同じ、ライトグレー地にオレンジ色の細いストライプの入ったスーツ。

インナーシャツは紺の花柄の入った白のシャツ

ズボンが黒。

靴は黒。

 

 

館内の緊張がほぐれ、ビートルズも観客もステージを楽しんだ。

 

後にドリフターズの志村けん氏(高校2年生)は、その日の公演をテープ・レコーダーに無断で録音していたがうまく録れなかったと語っている。

 

7月2日夜

5回目の公演(最終日)

ポール「この日の演奏が最高だ!」と言っている。

最後なので気合いが入っていた。

 

衣装(5回目)

4回目と同じ、ライトグレー地にオレンジ色の細いストライプの入ったスーツ。

インナーシャツは紺の花柄の入った白のシャツ

ズボンが黒。

靴は黒。

 

 写真が2回目と4回目と同じものが使われている?なぜ?

しかし、良く観ると5回目の公演はジョンがこの日はサングラスをかけていたので目を黒く修正してある。

 

だんだん分ってきた。

これは、写真ではなくイラストだったのだ。作者が「冨田哲さん」

本当の写真を使ってほしかった。残念!

 

最終日にはジョージのギター弦が切れてはじけるというハプニングがあった。

 

5回目最終日にはサングラスをかけてジョンは登場した。

 

左に写っている「VOXオルガン・コンチネンタルⅡ・V303J」は実際使わなかった。

アメリカのシェイ・スタジアム公演では演奏している映像がある。

なんで用意していたのかな?

ジョンの気分しだい?

 

 

これも最終日。サングラスをかけている。

 

尾藤イサオさんと内田裕也さんは、招待券をもらっていたので1回は客席から観て残り4回はアリーナ席で観ていた。

写真の右上のパイプ椅子に座っているのが「左が内田裕也さん」で「右が尾藤イサオさん」であろう。

なかなか面白い写真である。

ビートルズのメンバーも彼らが毎日来ているので、手を振ることがあった。

 

 

 

「前座公演」のことがなかなか知られていないのでまとめてみた。

ビートルズを待ち望んでいる観客には「前座は引っ込め!」という気持ちだった。

 

内田裕也、尾藤イサオ

  演奏 ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズ

  曲目:ウエルカム・ビートルズ

 

ザ・ドリフターズ(伴奏はブルージーンズがしていた)

  曲目:のっぽのサリー

 

尾藤イサオ (伴奏ブルー・コメッツ)

  曲目:悲しき願い、ダイナマイト

  

 ●内田裕也(伴奏ブルージーンズ)

  曲目:朝日のない街、一人ぼっちの世界

 

望月浩(伴奏ブルージーンズ)

  曲目:君にしびれて、涙ビリビリ吹き飛ばせ

 

桜井五郎(伴奏ブルージーンズ)

   曲目:フォーク・ロック・メドレー

 

ブルージーンズ

  曲目:津軽じょんがら節

 

ジャッキー吉川とブルーコメッツ

  曲目:青い瞳、青い渚

 

ブルーコメッツとブルージーンズ合同

  曲目:ホワッド・アイ・セイ、キャラバン

 

※ザ・スパイダースの田辺昭知かまやつひろしは「本物の前で恥をかきたくない」と判断して前座に出ないという話と「僕たちはビートルズを観客として聴いてみたいから出ない」とどちらが本当か分らいが前座としては出演しなかった。

ブルージーンズにいた加瀬邦彦は、前座で出演すると楽屋に閉じ込められてビートルズを聴けなくなるのが嫌でブルージーンズを脱退してビートルズを聴いた。後に彼はワイルドワンズというグループを作った。

 

 

少し話がそれるが、ビートルズのリマスターCDが発売になるときに出た新聞チラシが出てきた。

その中に来日時の「読売新聞記事」があったので載せてみた。

新聞チラシの表。

新聞チラシの裏。

リマスターCDの宣伝。

 

 

 

 

 

 本の紹介に戻る。

この「日本盤の世界」のページがカラー印刷でページも多くなかなかマニアの心をくすぐる。

 

カラーで細かく説明してあるので大変良い。

 

「赤と黒と川口工場」

東芝レコードといえば「赤盤」が有名で中古でも値段が高く付く。

その解説をしてあるページが面白い。

 

実は赤盤より黒盤の方が存在枚数が少なく貴重であることが分ってきた。

赤盤は1958年から東芝が「静電気防止」ということで発売開始。

1960年東芝は埼玉県川口市の工場で生産していた。

ビートルズ・ブームが起こり、河口工場だけでは処理できなくなり、他社のレコード会社に委託せざるを得なくなった。

そこで「オデオンの黒盤」ができた。

委託先として

ソニー

グラモフォン

キング

ビクター

のプレス盤が存在する。

 

さよなら!ビートルズ。

7月3日羽田空港。午前10時44分。

ジョンとジョージとリンゴはサングラスをかけている。

ポールは日本で仕立てたスーツを着ている。紳士服の銀座山形屋のサマースーツ

タラップを登り手を振り4人は日本の地を離れていった。

 

日本滞在103時間の歴史だ。

 

ビートルズは「日本の観客はちゃんと演奏を聴いている」と満足していたそうだ。

 

日本公演についてブライアンがメンバーに質問した。

「日本に行く話があるんだけど、どう?行きたい?それとも?」と聞いた。

メンバーはみんな「No!」と答えた。

日本が嫌いではなかった。

日本でもアメリカでもどこの国でも、コンサートをやることに飽きていたのだった

 

もうすでにメンバーは感情も情熱も薄れていて、1966年8月29日のアメリカツアー(サンフランシスコのキャンドルスティック・パーク)を終えると、もう二度とコンサートを行わなくなった。来日2か月後のことだ。

 

人間、お金があっても自由がなく、自分の感情で生きられなかったら楽しくも面白くないのだ。

 

 

では、また。

 

 

 


コメント (1)   この記事についてブログを書く
« JURASSIC WORLD/FALLEN KINGDOM | トップ | Grover Washington,Jr./Feel... »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さすがビートルズフアン (黒川眞弘)
2018-08-07 17:40:02
素晴らしい作品ですね、ビートルがお好きとは思っていましたがこれだけ資料を集め記載できるのは凄いですね、お疲れ様です。

コメントを投稿

ロック」カテゴリの最新記事