Not doing,but being ~在宅緩和ケアの普及を目指して~

より良い在宅訪問診療、在宅緩和ケアを目指す医師のブログ

緩和ケア医が考える胃瘻

2012-03-09 08:45:48 | 認知症の看取り
このブログのタイトルは『在宅緩和ケアの普及を目指して』ですが、
ここ何回か、認知症末期の延命手段についてお話をさせて頂きました。
『延命』と『緩和』は患者様の身体状況が悪くなればなる程、
逆の治療になっていきます。これは、がんの末期でも
老衰や認知症の末期でも同じことです。

やはり私は終末期の緩和を専門にする人間として、
胃瘻を選択しざるを得ない周囲の人々の立場や気持ちを考慮しながらも、
大多数の、無理解やなし崩し的に導入される胃瘻を何とか出来ないか
という気持ちでこれらの記事を書いています。
やはり、胃瘻で生かされている期間は、とても辛そうだと私には思える
からです。もちろん、皆が納得の上の胃瘻なら、まだ良いと思います。
しかし、それでも御本人にはきっと辛いことが多いだろうなぁ、
とはいますが…。

胃瘻も、栄養の補給をしているうちに御本人の体力が回復し、再び
食事が摂れるようになる場合もありますし、栄養を取る事によって
褥瘡が治ったり感染症にかかりにくくなるかもしれません。

確かに、再び経口摂取が出来るようになり、胃瘻が不要となる患者様が
いらっしゃいます。在宅では一年に一人くらい、そういった患者様に
出会います。しかし、そうなる患者様には明確な特徴があります。
それは、
『元気な方が急な疾患で突然食事が摂れなくなった場合』
です。例えば、脳卒中や交通事故などです。
原因が取り除かれれば、改善の可能性があります。

逆に、認知症や老衰で少しずつ衰弱する過程で胃瘻が造設された場合は
まず離脱は不可能です。褥瘡の改善や体力の回復も、状態によって初期
には有り得ることですが、その先には緩やかな衰弱と引き伸ばされた苦痛
が待っている事が多いのです。
しかし、通常胃瘻には誰でも抵抗があるので、衰弱しきった時点で胃瘻
となる場合が多く、その場合期待される回復は殆どありません。

御本人の立場を少し想像してみたいと思います。
殆どの方は、命の終わりは『ピンピンコロリ』か、
突然は嫌で、せめて皆とお別れがしたいと思っても、
苦痛が何ヶ月も何年も長引くことはなるべく避けたいのでは
ないでしょうか。

言葉も出ない、意思表示が出来ない状態では
『痛い』『苦しい』『痒い』『暑い』など苦痛も表現出来ず、
衰弱から来る関節の拘縮痛や痰が絡んでも出せないなどの苦痛にも
耐えないといけません。
苦しくて動いた時に点滴や酸素の管が外れてしまうから、と
手足や胴体を固定されてしまう場合もあります。
家族を苦しめたり負担を掛けているという気持ちもあるかも
しれません。良い形での延命は思っている程多くはありません。

私も2年前、祖母を亡くしました。
少しずつ弱っていき、老衰と呼べる状況で、結局口から食べる事が
出来なくなりました。胃瘻や点滴は結局実施せず、親達が交代で
介護し、自宅で亡くなりました。
胃瘻や点滴という手段がある以上、それを使いたいという気持ちは
とてもよく分かります。『しない』と決める過程の家族の葛藤や苦悩
もよく分かります。

しかし、これは恐らくどちらを選択しても後悔を伴う
苦しい選択かもしれません。

だからこそ、よく考えて話し合って頂く必要があり、
突然『その日』が来る前に、出来ればその話し合いの機会を
持って頂きたいと思います。少しでも後悔の少ない決断が
出来るように。