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Not doing,but being ~在宅緩和ケアの普及を目指して~

より良い在宅訪問診療、在宅緩和ケアを目指す医師のブログ

がんは愛に弱い…末期だった妻、夫と夢マラソン

2011-02-09 12:20:15 | 日記
とても良い記事を読みましたので紹介します。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110208-OYT1T00252.htm

胃癌で2年前に「余命3ヶ月」を宣告された20代の女性が、昨年暮れに
ホノルルマラソンを完走したというニュース。
おふたりの笑顔が印象的です。

このような記事を読むと、真実を知ることがイコール不幸ではない、
人間はいつでも希望を持って生きることが出来るのだとつくづく思います。
精神面の影響が疾患に与える影響を否定する医学者もいますが、
私はどう考えても深い関係があるとしか思えない。

こちらは、前立腺癌が消滅した、伊藤勇さんのホームページ。
久し振りに見ましたが、お元気に過ごしておられるようです。

http://www.asahi-net.or.jp/~is9c-yngw/

終末期のリハビリテーション

2011-02-02 13:22:18 | 日記
終末期のリハビリテーション

ある、がんの終末期の患者さんがリハビリを希望したところ、主治医から
「何故必要なのか」という返事があったとのこと。

死が目前に迫った患者さんに「医療は必要か?」という問いには
多くの医療者は「必要だ」と答えると思います。
「精神的な支えは必要か」という問いにも「Yes」と答える者が多い
のではないでしょうか。
しかし、「では、リハビリは?」と尋ねると必要ないという答えが返って
くる割合が増えるのかもしれません。

以前勤めていた緩和ケア病棟でも、再三の希望にもかかわらず
病院は病棟でのリハビリを認めてくれませんでした。
ただでさえ人数が不足しているリハビリのスタッフをこれ以上割けない、
というのは分かるのですが、リハビリなしで「全人的に支える」ことなど
出来るのだろうか、といつも思っていました。

無論、リハビリは回復という「希望」の象徴ですが、
役割はそれだけではありません。
誰もオムツや差込み便器で排便したくはない、だからこそ
痛かろうが苦しかろうが動ける患者さんは最期まで自分で用を足す
事を願うのです。廃用・拘縮や褥瘡の発症を予防すること、
経口摂取や呼吸困難を緩和するためのリハビリもあり、そう考えると
リハビリとはまさに「人間らしく生きる権利」に他ならないと思います。
「リハビリは不要」は「人間らしく生きる必要はない」と言っているような
ものです。

緩和ケアの目的は苦痛の緩和であり、安楽を提供出来れば役割
を果たしていると考える人もいるかもしれませんが、私はそれでは不十分
だと思います。「その人らしく」と口先だけで言うのではなく
リハビリの導入を真剣に考えていきたいと願います。

「申し訳ありませんががリハビリは提供出来ません」、ならまだ分かりますが、
「何故必要か」などとんでもない返答です。

早期からの緩和ケア開始が余命を延長

2011-02-01 13:07:13 | 日記
私がブログをお休みしている間に、ニューイングランドジャーナルという雑誌に、
早期から緩和ケアを実施することでQOLだけでなく、なんと余命も延長する可能性
がある、という論文が掲載されました。有名な内容なので皆さんご存知かも
しれませんが、一応紹介させて頂きます。

この調査は米国で新たに転移性非小細胞癌と診断された151例を対象に行なった、
ランダム化比較試験(RCT)で、肺癌の標準治療のみを行うグループと、標準治療
に加え、緩和ケアチームが介入し疼痛管理など緩和治療を行うグループに分け、
12週間後のQOLを比較したというものです。当然ながらQOLは有意差を持って
緩和ケア併用群で高かったのですが、緩和ケア群が終末期に積極的治療を受けた
患者が少なかったにも関わらず、生存期間の中央値は早期緩和ケア群のほうが
長かった(11.6か月 対 8.9か月,P=0.02,)とされています。
早くからモルヒネを使ったり睡眠導入剤を使用する事に抵抗を覚える方も
おられますが、決して余命を減らすことはなかった、と言えると思います。

オリジナルを読みたい方は、以下よりPDFがダウンロード出来ます。
http://www.nejm.org/doi/pdf/10.1056/NEJMoa1000678

早期からの緩和ケア介入が生存期間を延ばす可能性については以前より
示唆されていました(Bakitas M, et al. JAMA. 2009; 302(7): 741-9)。
今回も、生存期間については後ろ向きに解析されたものですので結論めいた
ことは言えませんが、皆さんが躊躇せずに緩和医療を受けられることに
役立てばと思い、紹介あさせて頂きました。

ブログ再開します

2011-01-31 12:53:58 | 日記
随分と長い間、ブログに手を付けられずコメントを頂いていたのに
返信もせず申し訳ありませんでした。

ブログを休んでいる間、祖母の死を経験しましたが、
身近な家族の死の経験すらもない私が、ブログで随分分かったような
文章を書いていたと反省し、なんだか文章が書き辛く、
間が空いてしまったことで、ますます再開しにくくなって
おりました。

お役に立てるようなものが書けるかどうかは分かりませんが
また少しずつ再開したいと思っています。

訴えの先にあるもの

2010-04-26 17:23:40 | 日記
緩和ケア病棟にいる時、患者さんから、「食欲が全然なくて痩せて
しまいました」とか、「脚がこんなに浮腫んでしまって」など、
色々な訴えをお聞きしました。
医療者の習性で、そのような症状をお聞きすると
「では、検査で何か食欲に影響する異常がないか調べてみましょう。
異常がなければ食欲の出る薬を」
「脚を上に上げたり軽いマッサージが効果的です。
改善しなければ利尿剤を出しましょう」
などと、検査や薬の話をしてしまいます。
「では、お願いします」
という返答が返ってくることももちろんありますが、
「はい…」と釈然としない返事を頂く場合もあります。
後者の場合、患者様が本当に言いたいことは症状そのものではなく
死が迫ったことに対する不安や、自己喪失の痛みそのものなのです。
それが分かるのですが、その時にどんな言葉を掛ければ良いのか、
黙っている方が良いのか、未熟な私は悩んでしまいます。

では、逆に私なら医療者にどうして欲しいだろう、と考えると、
きっと採血や「食欲の出る薬」はあまり希望しないと思います。
このような言葉を掛ける時は、きっと少し話がしたかったり、
誰かに一緒に居て欲しい気持ちなのではないかと思うのです
(一人になりたければ、きっとそのような訴えもしない気がします)。
だから医療者はその時、誤魔化したり逃げ出すのではなく
留まって話をする方が良いのではないかと思います。
別に気の利いた台詞や感動的な言葉を期待している訳でもないので
話す内容は、きっとそれ程重要ではありません。
誠実に対応して下されば、私ならきっと嬉しいと思いますから。
そう考えると、今の私こんな対応でも、大きく間違ってはいないのかな、
と思うのです。