徒然刀剣日記

刀剣修復工房の作品・修復実績と刀剣文化活動のご紹介

刀剣のTPO?

2018-10-19 23:38:38 | 拵工作
前回に続いて、新規作成の御刀外装です。



愛刀に打刀拵を新しくお作りする場合には、大きく分けて二種類の方向性があります。
衣服のお仕立てと同じように、フォーマルかカジュアルかという2通りの選択肢があるわけです。



帯刀を許された武士が、藩の御用向きで勤めに従事する時や冠婚葬祭の席など、正装で出席しなければならない公の場では裃指(番指とも)に代表される儀仗拵が用いられました。
逆に、日常生活や私的な用向きでの外出には、個人的な嗜好性が反映した常指が用いられました。
一つの刀身に、上記2種類の外装が作られていたケースが多かったようで、余裕のある武士は何種類もの外装や刀身を所有していました。

当工房へのご依頼で多い選択肢は、どちらかというと常差です。特にご相談頂く内容では、写し拵や江戸期の常指というよりは、室町・戦国期のようなより実戦的な外装をご所望になる愛刀家が増えています。



ところで、最近よく「武家文化」という言葉を耳にしますが、武士階級が明確に線引きされた江戸時代ですら、武士は日本の総人口の1割にも満たないごく一部の特権階級とされていて、その文化様式となると一般人は接する機会が著しく限られたものでした。
そんな閉鎖的な文化圏をカタチとして垣間見ることができる最たるものが、武士の商売道具である刀剣であり美意識や価値観が結実した刀剣外装でした。
ですから、刀剣外装には大変深い意味で文化的特色を内包していると考えられています。

近年の武家文化発信事業?では、武家社会の生活様式や文化圏を独自に着色して、あたかもトレンドリーダー的な強いムーブメントであったかの如く紹介しているケースを目にします。
実際は、町人文化が圧倒的大多数を占めている社会の中でマイノリティーな存在であって、今だよくわからない部分が多いというのが事実です。
だからといって、独自解釈の武家文化が幅を利かせることは、文化の悪用に他なりませんので警鐘を鳴らしたいと思います。
例えば、居合道の高段者による演武で、周囲から「先生、先生」ともてはやされている剣士が、朱鞘の愛刀を自慢げに携えている場面などを目撃すると、顔から火が出そうになります。
特に、京都の武徳殿など玉座を頂いている格式のある会場では、当人ばかりか黙認する側も文化の破壊に加担している責任をご認識頂きたく存じます。



さてさて、今回の修復では前回の御刀同様、刀身の研磨、ハバキの微調整、刀装具の入手(鍔の責金、切羽作成含む)、拵一式の新規作成と、一連の作業を長時間頂いて完成させました。
長らくお預かりしてしまいましたが、やっと完成です!



この度の外装は、前出の江戸期の常指様式(カジュアル)の拵になります。



刀身は、切っ先が延びごころに反りが浅く、身幅広く重ねが薄い典型的な慶長新刀体配です。



この形状の御刀にしか実現できない工作として、ギリギリまで鞘の肉重ねを薄く削いで指し心地に配慮しました。また、柄前の設置角度を調整して鞘を掃った状態で使用時のバランスを調節しました。



さらに、以前お作りした脇差と「対になる大小拵になる様に!」とのご依頼でしたので、記録と記憶と実物を頼りに作り込んでいきました。



今後の方策として、脇差の柄巻を今回の同一の柄糸で巻き直させて頂けば、粋な大小拵の完成と相成ります!



あとは武道のお稽古に、存分にお使い頂いて実用の美を体感して頂きたいと思います。

日本刀の外装

2018-10-19 03:10:28 | 拵工作
新しい打刀拵が完成しました!



この度お作りした拵えは、戦国期の使用感を体現できるように時代考証を重ねつつ操作性に重点を置いて制作しました。



ここで打刀拵の歴史について触れたいと思います。

打刀拵の登場は、応永期から!というのが刀剣学の通説です。
厳密には、応永20年前後と言われていますが、それでは応永以前には打刀(刃を上にして携える外装様式)はなかったのか?というと、この認識には若干疑問の余地があります。
厳密には、現存する拵が見当たらないという表現が妥当なのです。

このことを裏付けるように応永期以前の刀鍔が確認されているので、打刀様式の外装は、どうやら室町初期には全国的に普及していたようです。
さらには、当時太刀の所有が上級武士に限られ、格式や身分に応じて拵えの様式が制限されていたことを考え合わせると、下級武士・郎党のたぐいは元来打刀を用いていたのではないか?と思えてきます。となると大変です!

打刀の登場が通説よりも前倒しになるということは、その普及の理由や起源までもが曖昧になってしまうからです。
固定概念を排して考えると、打刀の登場は平安・鎌倉までさかのぼる可能性も排除できなくなってきます。

「この三流職人が言っているのは、腰刀であろう!」と指摘を受けそうですが、長寸の腰刀は各地の神社仏閣の奉納刀身の中にそれらしい物が確認されていることから、鍔を用いた腰刀(鍔刀とも)が一切なかったと考えるには、前出の通り刀鍔を無視しなければならず、それこそ不自然なこじつけの様に感じます。

つまり、今日の打刀の原型あるいは完成された打刀拵は、想像以上に昔から用いられていた可能性があり、その用途・製法にいたるまで通説を覆すロマンを秘めているのです!



そんな謎の多い打刀拵ですが、この度の戦国期の復古調外装をまとう御刀は、作刀期の姿を留めた腰反りの強い刀身です。
茎の指表に古風な二字銘があり、鉄味・鍛え・焼刃・反りの形状から鑑みて素直に室町期の特徴を感じさせる同時代の実戦刀です。
これまで不遇な処遇を受けてきたとみえて、斬りヒケ、サビ、曲がり、付属の白鞘・ハバキにいたっては合わせ物、お世辞にも健全な状態ではありませんでした。
しかも白鞘は内側にサビが移り、ハバキは刃マチに干渉してあらぬ方向を向いています。
拵えを作るどころか、このままでは刀身の破損に繋がる危険な状態です。
毎度ながら、前所有者?刀剣商?の雑な扱いに苦しめられてきた御刀を見る度に、もの言わぬ錆身なれど「今までよく耐えた。まだまだ大丈夫!必ず用の力を取り戻せますからね。」と、労いの言葉をかけずにはいられません。



まずは、拵え工作の下ごしらえとして整形研磨を施し、次に合わせハバキを刀身用に再加工(通常は新規作成が必須ですが、今回は部分的な調整に留めて刃マチの干渉部位の補修と拵えが作れるように設置角度の調整を実施)。
白鞘を分解して内部の錆の除去と刀身に合わせた微調整を終えたところで、やっと柄前の新規作成に移ります。



ここで古い白鞘の修復について、当方の見解を述べさせて頂きます。
刀身を研磨する度に白鞘を新調することは、半ば刀剣工作の常識です。刀剣を観賞用に興ずる愛刀家の皆様は、基本研磨ごとに白鞘を新調してください!
理由は、せっかく刀身を研磨しても白鞘内部にサビが落ちていれば、せっかくの研ぎ上がり刀身に白鞘からの貰いサビが移ってしまったり引け傷を負う可能性があるからです。
ただし、刀剣を武道などの実用に興ずる方は、使用時は塗鞘に収まっている場合がほとんどで、個々の刀身用に白鞘をお持ちでない方も大勢いらっしゃいます。
そんな場合は、直ちに白鞘を新調する必要はありません。
将来的に、長期間保管する時や研磨をかける時などに刀剣商や刀職(特に鞘師さん)にご相談すれば、適切な保管方法をご提案いただけます。
そして、これは私だけかもしれませんが、当工房では比較的状態の良い白鞘については補修を施して再利用されることをお勧めしています。
なぜかというと、当たり前にかかる工作費用を少しでも抑えることで、その分外装の制作や修復に適切なご予算を割いて頂くことで、長期的に無駄な出費を抑えるばかりか、より良い外装をお作りするお手伝いができると考えているからです。
ただし、白鞘の状態が悪い場合には補修では対応できませんので、一概に補修が適切な判断とは断言できませんので悪しからず。



話を戻しまして、この度の拵工作の方向性(設計)は、ご依頼者様と相談の上、この刀が最も活躍した時代(戦国期)の雰囲気を再現することに定まり、時代考証を重ねることで理想的な外装様式に煮詰めていきました。
武道でお使いになる御刀ですので、お身体に合わせた調整と機能性を持たせること(この部分は、当工房の特徴で、最も力を入れている専門分野です!)にも余念がありません。
刀装具類の選択はお任せ頂いているため、全体的に厚手の金具を選択し、目貫は若干ランクを下げて工場物(こうばもの)なれど手持ちの良い時代物を選択しました。
柄巻の恩師が「目貫だけは良いものを使え!」と常におっしゃっていたことを思い出します。そういう意味では、工場物を用いるとはどういうことか?となりますが、ここでいう「良いもの」の定義は価格や市場評価ではなく、手どまりの良いもの、座りの良いものという意味であろうと解釈しています。



今回は、通常ご依頼を頂く打刀拵えとは若干雰囲気の違う戦国様式の外装なので、当然制作時の留意点も変わってきます。
江戸期の打刀拵えの特徴が芸術的であるのに対し、前時代の打刀拵えは実用一辺倒な作り込みであることはだれもが想像しうる最大の違いですが、その違いを使用感や刀身との関係、バランスなど実際に手にとって感じて頂ける外装をお作りすることは、武道や刀剣の深い意味での解釈に繋がると信じています。
ただし、制作時に使用者様の身体的特徴や用途など、多くの情報が必要になりますので、ご依頼者様の全面的な協力が欠かせません。



こうして作り込まれた刀剣を実用に用いることは、刀剣を刀身鑑賞だけに留めているのでは絶対に理解できない別次元な刀の楽しみ方に繋がっていると感じます。ただし、刀身・刀身を生かす外装・使い手の技量・使い手に合わせた外装の微調整、それらが一体となってはじめて実現する世界観ですので、一般化し難い娯楽なのかもしれませんね。



今回特に力を入れた工作は、刀身の体配(深い腰反り)を生かして柄前全体に角度をつけて刀身に取り付けたことです。古流剣術の研究や室町時代の刀身の性能を引き出して剣術に反映させるには、こうした外装の微調整が当時でも必要であったと考えていますが、この辺りは古文書などにも記録がないので、経験と憶測での発言になりますのでその旨ご了承ください。

白鞘の補修と機能回復

2018-04-13 00:54:13 | 拵工作
白鞘の補修が終わりました!



白鞘とは、刀剣の保管に用いる木工芸品(外装や刀装の部類には入りません)で、それ自体には武器としての性能はありません(このあたりは、お暇な時に過去のブログ記事をご参照ください)。
世の中のほとんどの刀剣は、白鞘に納まった状態で受け継がれたり、販売されたりしています。長年の放置や手入れ不十分により保存状態の悪い刀剣は、真っ先にこの白鞘に異変が生じますが、今回の御刀もご多分に漏れず一見で危険信号を感じました。
まず、鞘部の鯉口周辺の繋ぎ目が割れてほぼ開きかけており、輪ゴムなどで辛うじて白鞘の形状を保っているといった按配でした。

早速、刀身を拝見すると、無欠点の新刀脇差しが現れました。近年に研摩が施された健全な状態で、白鞘とは裏腹にものすごい名刀の出現です!
こういう瞬間が、この仕事の醍醐味でもあります。
これだけの名品を作り出せる巨匠は、史上数えるほどしかいません。消去法で、出羽大掾か越中か、はたまた仙台か南紀か、迷った末に京物とみて下を見るもアウト~!仙台の名脇差でした。
常に見る国包の作域とは若干違い、古名刀を狙った注文打ちを感じる作域です。ここ数年、無銘から偽名までやけに北国の作品が当工房へ持ち込まれます。これは邪推ですが、先の震災が一因ではないか?と思います。

さてさて、今回の症状について職人目線で解説しますと、お持ち込み頂いた段階で鯉口が完全に納まらないことから合わせの白鞘を疑いましたが、白鞘を割ると反りや作り込みの形状は刀身とほぼ同じでした。ただし、今までに見たことがないほど錆が内側にビッシリと移っています。以前の状態が、全身赤茶けた鰯状態であったことを物語っています。


内側の変色具合が、錆の移行度合を示している。

この点、上記の通り現代研摩がなされていますので、ちょっと疑問に感じます。本来、日本刀は研摩毎に白鞘を新調します。特に錆が酷い状態であれば、職人サイドから白鞘の新調が必要である旨の助言があってもおかしくありません。あまり考えたくないですが、あえて錆が移った古い白鞘を着せることで、短期間で刀身に貰い錆びを発生させて再研摩を要求する悪意ある手口かもしれません。


分解直後の画像その1、小鎬周辺の錆の移行が厳しい。

次に、鯉口が納まらない理由については、白鞘工作当初から収まらなかった、経年変化による木材の歪みによって納まらなくなったということは考えにくく、ハバキが変わっている可能性が高いです。この説を裏付ける様に、現在装着されているハバキは呑み込みのない太刀ハバキで、白鞘の鯉口裏側を削って調べたところ金サビが認められました。おそらく鰯状の発見当初は金無垢のハバキが付属していたのではないか?と思います。


分解直後の画像その2、幕末頃の白鞘であるが全体的に雑な工作。

結局今回の修復作業では、白鞘を新調したほうが早いほど手がかかりましたが、時間をかけて入念にサビを除去しました。



ここで、申し上げたいことは、研ぎ上がりなのに古い白鞘を着ている御刀には気をつけて頂きたいということです。時々、「古い白鞘だからさぞや名刀!」といった解釈をされる方をお見受けしますが、古い白鞘であれば放置されていた期間が長い可能性があり、近い将来白鞘内部からの貰い錆による刀身の破損の危険性があるということも念頭に置いてください。
もちろん、古い白鞘を修復する物好きな職方の手がかかっていれば話は別ですが・・・(笑)。



以上、刀剣購入の参考になりましたら幸いです。

伝えるべき伝統の心

2018-01-11 00:25:16 | ブレイク
月刊「武道」1月号に、随筆を掲載して頂きました!



月刊「武道」は、公益財団法人日本武道館が「心技体 人を育てる総合誌」のキャッチフレーズの下発行する、同分野における権威ある刊行物の一つです。内容は、武道そのものを中核にすえ、教育・健康・教養を三本柱とする誌面構成になっていることが最大の特徴です。武道指導者ばかりか次世代の育成を目指す教育者にとっても、大きな手助けとなる出版物なのです。

月刊「武道」最新号のご案内はこちら



この度、日本武道館様より執筆依頼を頂いたことは、大変光栄なことです。拙い文章ではございますが、思いの丈を綴らせて頂きました。



月刊「武道」1月号は、現在全国の書店にて発売中です。特に新年号は読み応えのあるボリュームにも関わらず、定価545円とお求めやすい価格設定になっています。



末筆になりますが、皆様の変わらぬご健勝をお祈り申し上げまして、新年のご挨拶と代えさせていただきます。本年もよろしくお願い致します。

新作拵と研摩

2017-11-12 13:14:53 | 拵工作
長らくお預かりしている御刀の工作を終えました!
お待ち頂いているご依頼者様には大変心苦しいのですが、毎度ながら手が遅くて申し訳ございません!

この度のプロジェクトは、ご依頼者様に刀身と刀装具をご用意頂き、新たに刀装を拵えるお仕事です。



お持ち込み頂いた御刀は、本職ではない器用な方?が刀身を研摩されたかと思う様な極端な部分的な痩せ方をしていて、指裏の消耗が激しいため整形が難しい案件でした。



まずは、ハバキを白金師さんに依頼し、色揚げは何度か当工房で調整しました。



刀身を名倉まで研ぎ進めた段階で、鞘師さんに白鞘とツナギの製作をお願いしました(通常は、改正までで別作業に移ります)。その後、いよいよ刀装具の微調整と拵え下地を作成します。



刀装具の調整では、鍔に責め金を作り、古い切羽を用いました。切羽は、刻み加工なしで新規作成する旨のご指示を頂いていたのですが、作ってみたところ何とも味気ない仕上がりで拵え全体の雰囲気を崩すことから、都内の刀剣商を回ってサイズの合う骨董品を探し、加工取り付けしました。



柄前は、最上級の親鮫を配した鮫皮を総巻きに背合わせで貼り、柄糸を限りなく黒に近い深緑に染め上げて、諸摘みで巻き上げました。



刀剣外装の命といっても過言ではない柄成の調整にも、余念がありません。
鞘の栗型は江戸時代の物を流用して、新物では再現できない微妙な造形美を移植しました。



今回、最も時間が掛かった鞘の塗りです。細かい黒石目ですが、ただ漆黒というわけではありません。ご依頼者様からは、「ただの黒ではつまらないので…」とお伺いしていたので、海老茶の上に黒石目を撒きました。
はじめに焦げ茶の上に同様の塗りを施したのですが、あまりにも「ねらいました!」という表情が模造刀のような品の無さを感じさせるので、ハバキの色と同系色の柿色を配合して塗ることで、ほかでは見ない色合いに挑戦してみました。



とても長い時間がかかりましたが、完成です!

納期のお約束を頂いていないありがたいお仕事は、どうしても急ぎ仕事が割り込んでしまう関係上完成が遅くなります。度々様子見のお問い合わせを頂戴しますが、けっして放置しているわけではありません。もちろん、手抜きも一切ございませんので(むしろ、時間的束縛がないので入念に工作しています)、その旨ご了承くださいます様お願い申し上げます。

短刀の修復

2017-11-12 02:03:01 | 刀身研摩
大変興味深い短刀の修復です。

発見当初よりご相談頂いてきた案件で、所有者様の「適切な保管に努めたい!」というご要望を考慮して、研磨と白鞘の補修を行いました。



当初、地刃共に不鮮明。柄が錆び付いて抜けず、太陽にかざしてやっと物打ち周辺の焼刃が見える程度でした。

詰まった感じの硬い鉄と見え隠れする地金の色調から、新々刀とあたりをつけて安易な気持ちで焼刃を探していると・・・「ん?」、なんとも凄まじい刃中の働きに背筋がゾッとしてきました。



気のせいかもしれませんが、山浦一門に見る冴えを感じるも、頑張って抜いた茎には「兼友」の二字銘が!この時は、さすがに興奮しました!
体配的には南北朝もありえる形状です。

ご依頼者様は、私が何を騒いでいるのか?なぜテンションが上がっているのか?チンプンカンプンといった顔をしていましたが、今思うとお恥ずかしい限りで、ひょっとしたらあぶない人だと思われたかもしれません(笑)。
登録証が発行されて、直ちに修復を開始します。



まずは、白鞘の分解から始めます。古い白鞘は錆を吸っていて、このままでは使用することはできません。何度もご依頼者様とやり取りをするも、白鞘を新調する意味をご理解頂く事が難しそうだったので、今回は白鞘に補修を施して再利用することにしました。



研ぎでは、当初の研ぎ方(幕末期の研ぎか?)を踏襲して、現代研ぎは施しませんでした。そのため差し込み的な肌の沈み感は否めませんが、刃中の働きを楽しむことができます。



この度のお仕事は、あまり評価されていない?郷土鍛治の素晴らしい作品に触れて、その技術力の高さや作刀姿勢など、今まであまり思いをめぐらせたことのない作者の思いに意識が向きました。



明らかに古刀の再現を目指した作域であって、古今の変わらぬ美意識を垣間見たような心境に至り、言い知れぬ感動と感謝の気持ちがこみ上げてきました。



左はこの度の御刀の茎、右は特重の直江志津の茎です。
上の出来は古作を見た人間にしか作れないような働きに満ちているため、某藩の収蔵品に接することができた藩工であったと考えています。鉄の違いは若干感じましたが、それでも違和感は感じない程でした(砥石あたりは違います)。

今回は、本当によい勉強をさせて頂きました。
現在、北枕にてお祓い待ちです。

脇差の再生(修復と再現の間)

2017-10-08 02:43:47 | 拵工作
室町期の刀身と付属の江戸期の刀装の修復が完了しました!



今回は、刀剣愛好初心の方からのご依頼です。そのため、刀剣がただの刃物の延長線上にある作品ではない!ということを体感して頂けるように、日本刀が歴史そのものを実体化した文化的存在であることを紹介していきたいと思います。
この度の修復で特に意識的に力を入れたことは、作刀時の雰囲気を再現することに重きを置きました!



柄前にいたっては、棒柄状の柄下地を廃して下地から新たにおこしました。付属の鞘(北国の作域を感じますが定かではありません)の形状を殺さない様に、極限まで鍔元から柄成りに動きを付加し、使用時(戦闘時?)の刀身と柄前への負荷、使用者の疲労感を逃がすための加工を施しました。

この刀身は、室町時代に一大生産地として繁栄を誇った三原の地で作られた実用刀です。今日古刀というと、どうしても五ヶ伝を始めに想像してしまいますが、それはあくまで便宜上定められた統計学的な分類分けであって、当時の日本には思考や言語、文化や刀剣の用途に至るまで、大きな地域差があったと考えられます。

苦労した点は、鞘の鯉口の径よりも、若干柄縁の外径の方が大きいことから、据わりをよく見せる為に四苦八苦したこと。また、目貫があとから手元に届いたため、想像していたイメージが崩れてしまって、何度か調整を余儀なくされたことです。(後から設計の変更が加わると、刀剣のバランスを崩す可能性があるので、極力避けたい工作です。柄下地製作時の記事はこちら(ameba-blog:柄前の作り替え)。)



付属の外装は、江戸期の道中脇差の様な一般的な作り込みです。この手の刀装は、戦国期の本歌拵えに見られるような戦闘上の工夫や機能性を持っておらず、日常生活に支障をきたさないような作り方に終始しています。ある意味職方の用途への配慮を感じますが、今回目指す設計とはかけ離れています。

今回は、「戦国期の片手打ちの外装は、このような作り込みであっただろう」という考証に重点を置いています。



もちろん刀装の据わり感だけを調節したのではなく、抜刀時に鞘を払った状態での雰囲気にも配慮して研ぎ方を何度か変更しました。当初は、菖蒲造りの刀身に掟通りの鑑賞研摩を行いましたが、鋭利感をより強調するために肌を抑えて地を沈め、横手を切ることで武器感?を強めました。



刀身研摩時の記事へはこちら(ameba-blog:伸びごころの切先について)

私は、刀剣の命はトータルバランスにあると考えていますが、今回も設計段階から目指す表情を定めることで、前出の通り時代考証に努めつつ実用の美が表現できる様に努めました。

追記:柄前作り替え時に、アンバランスな鍔を小さめの鍔(+責め金加工)に変更し、バランスを調整しました。

後はお祓いを済ませて、納品するのみです!

バックヤードツアー

2017-08-23 22:08:37 | ブレイク
今日は、予てより計画していた、近隣学生をお招きしての伝統文化体験会を開催しました。題して、「刀剣工房バックヤードツアー!」



刀剣修復の現場をご覧頂き、体験することで、ニッチな工芸分野を一日かけて体感して頂きました。



内容は盛りだくさん!刀剣の歴史や鑑賞の所作・見どころなどは程々に、今回は各自に愛用の包丁をご持参頂き、実際に研いでみよう!という体験の時間を設けました。


今回一番の名品、和鉄の出刃。



包丁の研ぎが終わったら、たった今研ぎ上げたばかりの包丁を使って、魚を三枚に下ろします。生まれ変わった包丁の切れ味を身をもって体験頂いたあとは、さばいたばかりの魚で寿司を握る料理教室のお時間です。



みんなでにぎった寿司をお腹いっぱい味わったあとは、工房を移動して居合の見学&体験をお楽しみ頂きました!



朝の10時から20時まで、完全参加型の体験会をみっちり楽しんでいただきました!ちかい将来、この度の経験を養分に更なる飛躍をされますことを楽しみにしています。


人見知りのネコが、なぜかベッタリ。

ご参加くださいました皆様、ありがとうございました!

鎧通しの修復

2017-08-15 22:28:06 | 拵工作
可愛らしい短刀の修復が完了しました!



この御刀は、発見届けの段階からご相談を頂いており、登録証の発行後直ちに修復を開始しました。


当初の状態は、お世辞にもよいとは言えませんでした。

刀身は全面に錆が深く朽ち込み、付属する匕首拵えは栗型が欠落し、柄巻きは脱落、キズと汚れが全体に著しく、修復は困難が予想されました。


まずは、刀身の研磨を施しました。

可愛らしい短刀拵えとは裏腹に、中身は鎧通しと呼ばれる殺傷力の高い刀身です。


今回は、白鞘とつなぎを新たに作成しました。


拵えには、同じ時代の栗型を用いて修復し、柄前には柄巻きを施しました。


最後に微調整を施して、お祓いを済ませた後に納品です。

あともう少し!最後まで気を抜かずに修復に努めたいと思います。

掲載記事

2017-06-30 01:09:43 | ブレイク
国内最高品質の呼び声高いフリーペーパー『No Guarantee』No.14に、掲載して頂きました!



No Guaranteeは、気骨あふれる有志が集い毎号自腹で製作しているというユニークな雑誌です。「コミュニケーションをテーマに会いたい人に会いに行く、伝えたいことを発信する」というコンセプトで発行を続けており、FOM大賞も受賞している全く新しいカタチの情報誌です。
14号の表紙をかざっているのは、言わずと知れたプロレスラーのジャガー横田さん。

ちなみに写真の後ろにみえる巨大な階段状本棚は、ここ数日仕事をサボって作り上げました!(笑)



このようなカタチで、当方の活動をご紹介頂けることに、大変感謝しております。



一般的な職方の在り方からすると、私の活動方針に違和感を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、衰退の一途をたどる伝統工芸分野を少しでも知って頂きたいという気持ちで活動しております。


こちらは、先月掲載頂いた朝日新聞の記事。

これからも己の信念に従い、文化活動を積極的に続けていきたいと思っています。日頃から応援してくださっている皆様には、この場をお借り致しましてお礼申し上げますと共に、変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

戸塚を思う

2017-05-20 11:57:08 | ブレイク
昨日、徹夜明けの身体に鞭打ち、戸塚へ・・・。刀剣修復のご相談があるということで、ご近所さんのご自宅へ車を走らせました。

戸塚は、江戸時代に旧東海道の宿場町として栄えたことが知られています。近年、駅前の急速な再開発で、新しい街として生まれ変わりつつあります。
戸塚町にある富塚八幡の縁起によると、平安時代に戸塚修六郎友晴らがこの地を開墾したことに由来し「戸塚」と呼ぶようになったとあります。



当時の山ノ内荘の地名からも、戸塚が古い地域である事がわかります。
となれば、相模の文化である坂東の武家文化と密接な関係が想像できます。
中でも武家の権力の象徴として、武力を支えたであろう製鉄の技術が発達していたことは安易に想像できます。ところが、このあたりは極端に資料に乏しく、製鉄の遺構なども栄区に比べて調査が進んでいません。

そこで、注目に値する資料を一つご紹介します。



「本朝鍛治考」に、日頃見慣れない相州鍛治の一群の記載があります。



室町期の刀匠弘房が、相州土塚住とあります。この土塚は戸塚の誤記と思われます。そうです、室町時代まで戸塚の地にも製鉄の文化が生きていたのです。元々技術や文化的土壌の無いところに、突然製鉄文化は登場しませんので、戸塚区の地域でも栄区同様、相州鍛治が活躍していたことが考えられるのです。

山ノ内と沼間の鍛治集団はよく知られていますが、山ノ内荘全域で高度な製鉄文化が発達していたことを根本的に理解する必要がありそうです。

古作短刀の修復

2017-05-19 10:35:50 | 刀身研摩
可愛らしい短刀の研摩が、終わりました!



この短刀は、研ぎ減りによるものなのか?はたまた元々の形状なのか、反りがありません。反りがないどころか逆反りづいているため、突っ伏したような体配です。通常このような短刀を「筍反り」などといい、修復の過程で峰側から整形を施したため、タケノコのような形状になったと解説されることが多いです。しかしながら、作刀当初からこのカタチだった可能性も否定できません。

さて、この短刀身。錆身の状態で当工房へ担ぎ込まれました。数多のヒケ傷、刃こぼれ、そして驚くべき事に峰が無数に叩き潰されていました。おそらく、胡桃などの硬いものを割る為に峰側をハンマーで叩いて鑿のように使ったのではないでしょうか?白鞘の鞘書きによると「波平」に極められ金粉銘があったようです(茎が磨かれて?金粉銘は確認できず)。大変貴重な胡桃割り工具ということになりますが、刀剣をこのように使用している方が他にもいらっしゃる様でしたら、直ちにやめてください!限りある文化財の破壊行為にほかなりません。



研摩を施した結果、直刃調のノタレ刃に細かく働き、帽子は焼き詰め。柾目の肌もあいまって「波平」という鑑定は無難です。教科書通りの落し処ですが、西国の鉄はもう少し黒く鍛えも粗い様に感じます。研いだ時の感触からいって素直に大和本国でよいのでは?と思います。ちなみに、刃長(刃渡り)は16cmほどしかありませんが焼き出しになっており、鑑賞の魅力あふれる古短刀です。白鞘も古く、鳩目は表と裏で陰陽になっており、かつては大切にされていたことが窺い知れます。



日頃縁組みの仲介は致しませんが、所有者様がご高齢ということもあり、一日も早く心ある愛刀家のもとに納まって欲しいので、例外的にお力添えさせて頂きます。ご興味のある方は、ご一報ください。

北鎌倉製鉄文化ツアー

2017-04-24 23:40:48 | 徒然刀剣紀行
昨日の23日(日)、以前より告知していた北鎌倉での歴史探索ツアーを決行いたしました!
当日は天候にも恵まれ、新緑が萌える高原を散策するような、心地よい散歩日和の中での開催となりました。



今回ご参加いただいたのは、8名様(鎌倉に造詣の深い団体6名様と、かねてより交流のある刀剣愛好つながりの武道家2名様)でした。



北鎌倉ルートで開催する歴史探索ツアーは、今年初になります!
去年は、紫陽花の季節と紅葉の季節に連日開催しました。



日頃、暗い工房に閉じこもって刀剣工作に集中していますので、久しぶりの明るいところでのツアーに熱がはいります。



今回は、鎌倉時代以前の北鎌倉の話からスタート。



円覚寺と製鉄の知られざる関係や、国宝の梵鐘と相州伝の知られざる関係をご紹介。

ご参加頂いた方の中からは、「もっと刀剣の話を聞きたい!」といったご要望もございましたが、全体のバランスを考えて皆さんが楽しんで頂ける内容を選びました。



久しぶりの北鎌倉では、敬愛する北鎌倉の守護神・ベテランガイドの喜清さんにも再会することができ、こんな素晴らしいお土産まで頂戴いたしました。静嘉堂文庫にて、期間限定?にて販売されているそうです!

今回は北鎌倉を舞台に、埋れた歴史を掘り起こす謎解きツアーを、約2時間かけてまわりました。ご参加くださいました皆様、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。

新作拵とあそびごころ

2017-04-20 11:29:24 | 拵工作
新しい拵えが完成しました!



寛文体配の長大な御刀です。健全そのものの刀身です!茎には長文の金象嵌裁断銘があり、歴代の所有者が如何に大切に扱ってきたかが一目で判ります。



私は、鑑定書にさほど興味はありませんが、次回の重刀審査に間に合うように思います。



ズシリと重いため、当初居合には不向きでは?と思いましたが、拵えでバランス調整に取り組んだ結果、十分使用可能であろうと感じます。



ご依頼者様よりお預かりしていた刀装具は、当初どうしても刀身に合わなかったため、何度も相談を重ねました。



刀身との相性やバランスとの兼ね合いで、必ずしもお持ち込み頂いた刀装具が使用できないということもあります。



拵えは、飾りではありません。刀剣と使用者を繋ぐ唯一の装置であり、使用用途に即した工作でなければ本末転倒な作品に陥りがちです。



特に柄前は、刀剣外装の顔に値します。所有者を表す大変重要な装置であることから、品格を加味する工作が必要です。



昨今、雑な柄巻きを施した安価な工作が横行していますが、武家の価値観に接するのであれば、避けたい工作です。



工作内容を挙げるとキリがないのですが、鞘には様々な工夫を凝らしました。
くり型は、ご希望によりシトドメを施さず、内側に金泥を塗りました。



コジリ寄りには、闇蒔絵により拵えのストーリーに関わる意匠を施しました。
拵え工作時には、刀身との兼ね合い、用途との関係も重要ですが、ストーリーを持たせることもトータルバランスの調整に寄与します。



鯉口には、ご依頼者様のお持ち込みになられた銀製のメモリアルプレートを加工して鯉口金具を作成しました。くり型の内側同様、鯉口部には金泥を塗りました。見えないところに金を乗せます。



蝋色黒蒔絵鞘、正絹諸摘み巻き、源氏物語拵えといった名称でしょうか?
鮫皮は、日頃手にすることのない大きな親鮫を配した高級品を、総巻きに着せました。

朝からお払いの儀を執り行ない、ただ今ブログを更新しています。
ご依頼者様に喜んで頂けることを、とても楽しみにしています!

たたら ~日本古来の製鉄~

2017-04-18 00:27:38 | 洋鉄と和鉄
21世紀財団様より、第一級の専門書をご寄贈頂きました!



この書籍の内容は、西洋の製鉄法が導入されるまで日本の各地で行われていた「たたら製鉄」について、江戸末期山口県に実在した「白須山たたら」を中心に周辺の自然や人々の生活の営みも含めて彩色豊かに描いた絵巻「先大津阿川村山砂鉄洗取之図」を最新のデジタル画像で紹介しながら、たたら製鉄の設備や技法を詳細にかつ分かり易く解説を加えるというもので、次世代に語り継ぐべき素晴らしい資料だと思います。



大変貴重な資料をご寄贈頂いたJFE21世紀財団様には、この場をお借りいたしまして深くお礼申し上げます。

当方が独自に行っている、製鉄文化の紹介活動などで、積極的に活用させて頂きます。ありがとうございました!