海軍大将コルシンカの航海日誌

ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフについてあれこれ

《セルヴィリア》おぼえ書き~第1幕(概説)

2016年06月07日 | 《セルヴィリア》
西暦67年、ローマ。第5代皇帝ネロの治世。

3年前にローマを焼き尽くした大火から人々の生活が立ち直りつつある中で、忌まわしい反社会的な存在だった「クリストゥス(キリスト)の信奉者」たちは、放火の罪によりネロ帝によって次々に火あぶりに処せられます。
史上悪名高いこの行為は当時のローマ市民には支持をされていましたが、一方で暴力と陰謀が支配するネロの治世に対する反乱の兆しがあちこちでささやかれていた、そんな時代です。
《セルヴィリア》では、皇帝ネロは悪として描かれているわけではなく、むしろ大衆の歓心を買い、キリスト教徒を根絶させる「善政」を敷く為政者としてとらえられています。

第1幕では、この歌劇の物語の根幹を織りなす3つのテーマが示されます。
すなわち、セルヴィリアの父である元老院議員ソラヌスの一派に陰謀が計られつつあること、娘セルヴィリアは自分の意に反して父親ほど年の離れた元老院議員トラセアと結婚させられそうになっていること、ネロの迫害にもかかわらずキリスト教徒がローマで活動を続けていること、です。
互いに関係のないように見える3つのテーマは、劇の進行に伴って絡み合っていき、歌劇の最後ではついにはセルヴィリアの死というクライマックスに至ります。

この幕は、リムスキー好みの「異教への憧憬」が古代ローマでの祭礼として挿入され、ローマの市民広場(フォノ・ロマーノ)を舞台に合唱やバレエによってにぎやかに繰り広げられます。
その点、この幕は大勢の登場人物や、大がかりな舞台装置によるスペクタクルとしての効果が期待できるでしょう。

かたやキリスト教徒である「老人」に対しては、市民から罵声や嘲笑が浴びせかけられ、容赦のない暴力も振るわれます。
キリスト教黎明期における、現代とは異なる価値観に基づく人々の行動が舞台上で繰り広げられるため、観ているほうはかなり面喰うことになるのではないでしょうか。

この幕では、物語はソリストと民衆が交互に語っていくという手法によって進行していきます。
「暴力と神聖」「嘲笑と崇拝」といった民衆の感情の振れ幅の大きさに翻弄されつつも、提示された3つのテーマがどのような結末を迎えるのか、否応なく期待が高まることになり、劇の導入としては成功しているのではないかと思います。