今日はカミさんも僕もお休みということで、二人が暮らしている部屋を模様替えしようということになりました。そうしたら、出てくること出てくること。ウチのカミさんの要らないもの着なくなった服など、部屋はしっちゃかめっちゃか。よく僕がプラモデルなんかを買ってくると、また要らないものを買ってきて!と怒るカミさんですが、人のことなんていえたもんじゃありません。
 とりあえず固唾家に煮詰まった僕らは、天気もいいので近くの川沿いに咲く桜を見に行こうと、出かけました。堤防沿いにはいろいろな人が散歩が寺にお花見をしていて、中には犬を連れて散歩している人もちらほら。そんな犬を飼っている人たちを僕はうらやましそうな目線で診ながら、ひそかにカミさんに「犬を飼いたい」とPRそれでもカミさんは動じません。で、見つけたのが川沿いに、とある家で飼われている犬2匹。僕はムツゴロウさんのごとく「お~よしよし!」と2匹の犬をなでてやりました。これが僕ら夫婦間の亀裂を作りました。
 ウチのカミさんの犬嫌いは多少は分かっていたつもりでしたが、犬を触ったとたん、カミさんは僕に近づこうともせず、さっきまでつないでいた手も、かたくなに拒み始めたのです。
 そう、犬を触った僕には障るどころか近づくことさえ彼女にはためらわれたのです。家に帰ると、来ていた服をすべて脱がされ洗濯籠へ。言うを触った手も念入りに除菌用の手洗い石鹸で、しっかりひじまで洗わされました。
 ずっと、犬を飼うことが夢だった僕も、カミさんのこの態度には本当にショック。もし捨て犬でも拾ってきたら、きっと離婚も辞さないでしょう。
 でも、なんであんなにかわいいのに、そんなに毛嫌いするんでしょう?カミさんに犬を好きになってくれるいい手段はないでしょうか?



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 僕は自分自身をエンターテインナーだと思っています。うつ病のエンターテインナーというのもおかしな話ですが、ちょっと考えさせられる出来事があったので、このブログにしたためておこうと思います。
 昨日の夜、おしゃべりの師匠の事務所にしゃべりのレッスンに参加してきました。参加者は師匠と僕のカミさんと、あとしゃべり手の同僚の女性です。自分たちの出演した番組をビデオテープに撮って師匠に見せて教えを請うのですが、その番組を見ていて思うところがあったのです。
 それは、そのしゃべりの仕事の同僚の出演している番組で、解説を勤めている人のことでした。その人を見ていると、どうも番組に対する熱意が感じられない。やる気がない。一視聴者として原点に立ち返ってみても、どうしても適当にやっているとは思えない解説を延々と続けているのです。
 僕は、そんなにえれっびの収録などの仕事はしていないので、あまりえらそうなことはいえませんが、完全に番組を見ている側が、意気消沈してしまうような番組構成でした。
 で、僕が何をいいたいかというと、テレビに限らず、ラジオだって演劇だって、コンサートだって、主役はお客さんや視聴者なのです。そういった人たちを不快にさせる(ちょっと大げさな表現ですが)様な作品や番組を作ることははっきり行って「無駄」の一言に尽きると思うのです。レッスンの時に取り上げられた番組の視聴者はいったいどれくらいなのか僕には推測できませんが、果たして
、その視聴者の方々は気持ちよく番組を見ているのでしょうか?と疑問に思いました。
 何もその番組にかかわらず、僕も芝居をやる時にいつもそう思います。ここの俳優が自己主張だけでトータル的にエンターテインメントとして演劇を成り立たせようとする人間が、僕の周りにはあまりにも少ないのです。自分の表現したいように演出し、自分がかっこよく見えるように演技していてはいい作品なんかは生まれるわけがありません。
 つい2年ほど前に僕は浜松でほかの芝居仲間と一緒の舞台に立つことを、金輪際やめにしようと誓いました。というのも、あまりにも自己主張したい人が多すぎてまとまりがないからです(一部の人間を除く)「俺が主役だ」「私がヒロインなの」と思うことは自由です。しかしすべての人間がスポットを浴びるわけではないのです。ひとつの舞台を作るのには製作スタッフや金銭の管理をする役割の人、決して本番中舞台に上がることのない照明さんや音響さんその他さまざまな人たち、そして何よりも芝居を見に来たお客さんのおかげでが成り立っているのです。
 放送だってそうです。一見画面に映る人が、一聞しゃべっている人たちだけが前に出ているために目立ってしまいがちですが、その裏にはスタッフの血のにじむような努力が隠されていて。そしてそれに対して一生懸命に目を凝らし、耳をダンボにして番組を見聞きしている視聴者があるからこそ成り立っているのです。(そうじゃない番組もたくさんありますが)
 ちなみに、僕の周りにはそういうところにまで気が回る人たちが極端に少ないというのがさびしいです。「俺が俺が」「私が私が」まるで自分中心に世界が回っていると勘違いしている人が多すぎるのです。
 僕はエンターテインナーとして、もっともっと、視聴者や観客の皆さんに楽しんでいただけるそんな作品を一生に一度でいいから作りたい。そんな夢を持っている仲間に出会いたい。そんな気持ちで一杯です。

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