僕は自分自身をエンターテインナーだと思っています。うつ病のエンターテインナーというのもおかしな話ですが、ちょっと考えさせられる出来事があったので、このブログにしたためておこうと思います。
 昨日の夜、おしゃべりの師匠の事務所にしゃべりのレッスンに参加してきました。参加者は師匠と僕のカミさんと、あとしゃべり手の同僚の女性です。自分たちの出演した番組をビデオテープに撮って師匠に見せて教えを請うのですが、その番組を見ていて思うところがあったのです。
 それは、そのしゃべりの仕事の同僚の出演している番組で、解説を勤めている人のことでした。その人を見ていると、どうも番組に対する熱意が感じられない。やる気がない。一視聴者として原点に立ち返ってみても、どうしても適当にやっているとは思えない解説を延々と続けているのです。
 僕は、そんなにえれっびの収録などの仕事はしていないので、あまりえらそうなことはいえませんが、完全に番組を見ている側が、意気消沈してしまうような番組構成でした。
 で、僕が何をいいたいかというと、テレビに限らず、ラジオだって演劇だって、コンサートだって、主役はお客さんや視聴者なのです。そういった人たちを不快にさせる(ちょっと大げさな表現ですが)様な作品や番組を作ることははっきり行って「無駄」の一言に尽きると思うのです。レッスンの時に取り上げられた番組の視聴者はいったいどれくらいなのか僕には推測できませんが、果たして
、その視聴者の方々は気持ちよく番組を見ているのでしょうか?と疑問に思いました。
 何もその番組にかかわらず、僕も芝居をやる時にいつもそう思います。ここの俳優が自己主張だけでトータル的にエンターテインメントとして演劇を成り立たせようとする人間が、僕の周りにはあまりにも少ないのです。自分の表現したいように演出し、自分がかっこよく見えるように演技していてはいい作品なんかは生まれるわけがありません。
 つい2年ほど前に僕は浜松でほかの芝居仲間と一緒の舞台に立つことを、金輪際やめにしようと誓いました。というのも、あまりにも自己主張したい人が多すぎてまとまりがないからです(一部の人間を除く)「俺が主役だ」「私がヒロインなの」と思うことは自由です。しかしすべての人間がスポットを浴びるわけではないのです。ひとつの舞台を作るのには製作スタッフや金銭の管理をする役割の人、決して本番中舞台に上がることのない照明さんや音響さんその他さまざまな人たち、そして何よりも芝居を見に来たお客さんのおかげでが成り立っているのです。
 放送だってそうです。一見画面に映る人が、一聞しゃべっている人たちだけが前に出ているために目立ってしまいがちですが、その裏にはスタッフの血のにじむような努力が隠されていて。そしてそれに対して一生懸命に目を凝らし、耳をダンボにして番組を見聞きしている視聴者があるからこそ成り立っているのです。(そうじゃない番組もたくさんありますが)
 ちなみに、僕の周りにはそういうところにまで気が回る人たちが極端に少ないというのがさびしいです。「俺が俺が」「私が私が」まるで自分中心に世界が回っていると勘違いしている人が多すぎるのです。
 僕はエンターテインナーとして、もっともっと、視聴者や観客の皆さんに楽しんでいただけるそんな作品を一生に一度でいいから作りたい。そんな夢を持っている仲間に出会いたい。そんな気持ちで一杯です。

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