昼間は外に出ても汗ばむほどの陽気ですが11月ももう終わり季節は冬なんですねぇ。写真は浜松の遠鉄百貨店隣のクリスマスツリーです。

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 今日はカミさんの取材にカメラマン(のつもりで)同行しました。行った場所は天神蔵。浜松の地酒を製造販売しているところとして有名です。お店昔ながらの蔵をそのまま利用しており、お酒だけでなく喫茶店やギャラリーとしても、楽しむことができました。
 お酒はからっきしだめな私ですが、喫茶でコーヒーと白玉ぜんざいをいただきました。一緒についてきた塩昆布のしょっぱさと、白玉ぜんざいの甘さが絶妙にマッチしてサイコーでした。ちょうど取材に行った時間帯は喫茶の時間で、昼間はランチ夜はお食事も楽しめるそうです。

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 またしてもFAでジャイアンツに行っちゃったな~。そう、日ハムの小笠原選手のことです。巨人も巨人です。球界随一の資金力で他球団が手塩にかけ手育てた選手がFA宣言したらとにかくかき集めるというやり方。
 このやり方をしている限り、Gの上昇と、プロ野球の人気回復はありえないと思うのは僕だけではないはず。FAで獲得した選手は何かと話題にもなりやすいですし、年俸も破格なことが多いです(結局FA後はそれに見合った活躍ができない選手ばっかりですが)。そんなFA選手の傍らで地道に努力している球団生え抜きの選手たちの活躍はなかなか取り上げられないのがさびしいと思うのです。
 人間、新しいものや目立つものばかりに目が行ってしまいがちですが、それぞれの球団に対して本当に愛情を持って接している球団生粋の選手をファンは見逃してはいけないと思います。

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 カミさんのブログをご覧の方はもうご存知かもしれませんが、私、来年の3月に父親になる予定です。カミさんのおなかもだんだんと目立つようになってきました。なんだかまだ成長しきっていない子供みたいな自分が父親になると思うと、「大丈夫かな?」と思う反面、しっかりしなければと自らを律する気持ちにもなり、少しずつ父親になる準備をしているつもりです。
 そんな私が最近思うことは最近さまざまなところで取りざたされている「教育問題」です。毎日のように、どこかの誰かがいじめを苦にして自殺したり、それを見過ごしてしまった大人が責任の擦り付け合いをしているの見ているのは正直言ってつらいです。
 「最近の若い者は・・・」という言葉があります。自分自身も一回りほど若い連中を見るとついつい口にしたくなる言葉です。しかしそれも一種の責任逃れの呪文の言葉のように感じます。なぜなら若者がお手本にしているのは常に大人だからです。若者に対して愚痴を言う前にまず自分がしっかりとしたお手本にならなければいけないのに、それを「若い者」のせいにする責任逃れの言葉なのです。
 立派にならなければ、とはとてもいえませんが、人の親となる自分に対して、もっとしっかりお手本になれるような大人を目指して日々精進していかなければと思う今日この頃なのです。

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 芝居をやっていて感じたことがあります。芝居を一緒にやっている皆は、いったい何でつながっているんだろうと思うのです。
 人と人の関係には何かと理由があるものです。たとえば家族だったり、近所づきあいだったり、社会に出ると、たとえば仕事のつながりだったり、お金のつながりだったり…。何かしら利害関係があって人間の関係というものが成り立っているものです。で、お芝居をやっている連中はいったいどんな関係でつながっているんだろうと考えてしまったのです。
 劇団をやっていて確かに楽しい事もありますがつらいこともあります。というかつらいことの方が多いです。常に鍛錬を忘れてはならないし、金銭的にも出てゆく一方だし、地味でしんどい事もやらなければならないし、場合によっては他の人付き合いを犠牲にしなければならないし、エトセトラ。そんなことを考えていると、よく劇団という枠組みの中でまとまっているなぁと思うわけです。
 社会人をやっていると、とかく仕事やお金の利害関係ばかりに振り回されてしまいがちですが、そういったものが一切ないのが劇団です。劇団から給料が払われるわけではないし、契約書を交わしているわけでもなし、時には劇団にいるがゆえに自分を押し殺さなければいけなかったり、忍耐や我慢をしなければならない時だって、自尊心を傷つけられたりすることだってあります。それなのに、稽古や本番になれば、自然と皆が集まって1つの舞台を作り上げることに専念する。
 よく考えてみれば、これって奇跡的なことだとは思いませんか?自分の損得を超越して一つになっている集団なのですから。大人になると本当に損得勘定だけの付き合いが多くなってしまうなぁと思うのですが、そんな中でお互いの信頼関係だけで成り立っている劇団の存在を考えると、これってすごいことだよな~と思って島します。

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 先ほどようやく半月間にわたるお芝居の公演「ショウの殿堂」が終わりました。公演が行われた七ツ寺共同スタジオは今公演のタイトルの通り名古屋のショーの殿堂です。そんな芝居小屋に立てたことを誇りに思います。
 それから、お芝居をすると毎回感じるのが芝居というのは人生の縮図だと言うことです。人は一人では生きてゆけないとよく言いますが、お芝居も決して一人では成立しないからです。普段は舞台に立っている役者さんばかりに目が行きがちですが、その役者さんに明かりを照らす照明さんや、舞台を盛り上げる音響さん。少しでも多くの人に観てもらおうとする制作さん、その他もろもろのスタッフの皆さんや観に来ていただいた観客の皆さんなど、お芝居にかかわったすべての人々が一人欠けるだけでもお芝居は成立しないのです。
 今回の公演は長期に渡り大変なものでしたが、それだけに一人の人間として得るものが多かった公演だと思います。
 本公演でお世話になった方々、本当にありがとうございました。

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いま、開演直前です。残すところあと2ステージ七ツ寺共同スタジオともお別れです。なんだか寂しいですが、悔いなくこの芝居を終えたいと思います。

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 今日浜松の自宅から名古屋の劇場に出勤(?)です。浜松駅からJRに乗ろうと立ち寄ると目新しい光景がいっぱい!
 リニューアルオープンの前夜祭が行われていました。
 残念ながら、プレスのに入場可能なようで僕は入れませんでした。というわけで外観だけお楽しみください。

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人は見た目が9割

新潮社

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 少し前テレビ番組で、この本が取り上げられていました。「人は見た目が9割」というセンセーショナルなタイトルですが、中には「何を言っているんだ!人間の本質は内面だ!」と憤慨される方もいるかもしれません。しかし実際にこの本に目を通してみると、ああなるほどと感じる点が多くあります。
 ちなみにこの本の筆者である竹内一郎さんは演劇の演出などを担当されていて、人間観察に関する眼力は目を見張るものがあります。お芝居やショービジネスに携わっている方も、そうでない方もこの本は必見です。この本を読めば、人と人のコミュニケーションをより豊かにしてくれることでしょう。

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 シアターガッツの公演もやっと半分を越えました。あっという間だったと言う気持ちが半分とまだ折り返し地点を越えたばかりという気持ちが半分の微妙な心持です。ずっと芝居をやっていると曜日の感覚もなくなってしまいそうです。
 休演日を挟んで気持ちもたるみがちなので、気合を入れて後一週間頑張ろうと思います。

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 相変わらず舞台の本番真っ只中です。さすがに本番が20回もあると中だるみしそうですが(僕自身最初っからたるんでますが)そんな雰囲気をかき消す出来事がありました。
 今回の公演は長期公演ということで、日代わりゲストや日代わりのシーンが盛り込まれているのですが6日の昼と夜の2回にわたってゲストにプロレス団体DragonGateのプロレスラードラゴンキッドさんがやってきたのです。実はそのドラゴンキッドさんと劇団の藤元君は中学時代の同級生だったらしくキッドさんも快く神戸からわざわざやってきてくれたのです。
 自称プロレスファンの僕は、いても立ってもいられずにちゃっかりサインをいただきました。しかもこの公演の台本に!これは僕にとって一生の宝です!
 ちなみに12月10日にDragonGateが名古屋にやってくるそうです。絶対見に行くぞ!


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 現在名古屋は大須の七ツ寺共同スタジオで「ショーの殿堂」の公演に出演しています。今回劇団シアターガッツ、旗揚げ15周年記念公演ということで、なんと2週間、全20ステージの長跳馬で芝居にかまけているわけです。またいつもとは違う七ツ寺共同スタジオという場所での公演でいつもとずいぶん勝手が違う公演で、何かと困ったことも起きています。
 中でも個人的に一番困っていることが楽屋にトイレがないと言うことです。開演中トイレに行くには芝居小屋の特性上客席を通らなければならないのです。最近トイレが近い僕にとってこれは非常に大きな問題です。
 トイレと言って思い出すのはとある放送の中継の最中にどうしてもトイレに行きたくて、ペットボトルに小をしたことです。仕事がらトイレになかなか自由に行けないので最新の注意を払っていたつもりだったんですが。(下品ですいません)人間窮地に立たされると、とんでもないことをするものですが、そのときの僕も正にそうでした。そう言うときはとっさの判断も利くものでふと気がつくと手には「口の広い」ペットボトルをもっていました。そう、普通のペットボトルの大きさでは僕のそれは入りきらなかったのです。
 人間「慣れ」というものは怖いものでそのご幾度となく口の広いペットボトルに助けられました。今回の公演では決してお世話になることの内容にと思いながらも、ひそかに「口の広い」ペットボトルをかばんにしのばせている僕なのでした。

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