昨日カミさんがダウンして一夜明けましたが、朝の段階では、いまだ体調はよくならず熱も少しあるようです。大事をとって、今日のカミさんの仕事もお休み。僕も一日看病です。自分も病の身だからなのかもしれませんが、看病って結構大変ですね。病院の看護士さんには頭が下がります。
 午後からは心配なので病院にいきました。どうやら風邪のようです。胃腸が炎症を起こしている可能性があるので、水分以外の食べ物は口にしないでとのこと。おかゆでも作ろうかと思っていましたがそれもできませんでした。

 結局今日だけでは回復せず、完全復活までにはまだ少し時間がかかりそうですが、そんなカミさんも、お気に入りの番組、「サルヂエ」だけは欠かさず見ています。早く元気になれ!


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 今日、カミさんが家に帰ってすぐさま、「気分が悪い」と布団の中に駆け込みました。嘔吐もして熱もあり、どうも風邪のような症状です。今までの不摂生がたたったのでしょう。で、いつもはどちらかというと看病してもらっている僕も、今日はしっかりとそのお返しをしてあげなければと、いろいろ世話をしています。
 とりあえず今は落ち着いた状況で隣でスヤスヤと眠っていますが、また明日どうなるかわかりません。長引かないようにと祈るばかりです。


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 「はじめて」じゃなくて「はぢめて」って書くとなんだか怪しいですが、生まれて初めて二日酔いというものを体験しました。うつ病もつらいけど、二日酔いもつらい…。もう二度とこんな目に会うまいと思います。でも今日、仕事なんだよなぁ~。サラリーマンの方々のお付き合いなんかはもっと大変なんだろうなぁ~。頭が痛いので今日はこの辺で…。


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 ラジオで「僕はお酒が飲めない」と何度も口にしたことがあります。そんな僕には厄介なシーズンの到来。そう忘年会シーズンです。勧められると断れない性格の僕は、お酒も断れないのです。
 今日も「ビーチフットボール」でお世話になった方々との忘年でした。久々にいろんな人に会えるなぁ~という楽しみと、お酒を飲まなきゃいけないというブルーな気持ち半々で行って来ました。
 ちなみにお酒を飲むとどうなるかというと、頭が痛くなったり、気持ち悪くなったり、と悪酔いばかり。ただ、そんな僕も、「適量」というのが最近わかってきました。ビールならコップ一杯程度、ワインならグラス一杯半ぐらい、焼酎はなるべく薄めて一杯半ぐらいなら悪酔いしない。これを飲み会の経験を重ねてだんだんとわかってきたのです。
 ということで、大体の適量を心に決めていざ忘年会にいざ「出陣!」結果は見事に飲みすぎ。やっぱり体育会系の人たちの飲みっぷりにあわせるべきじゃなかったです。今も頭が痛い中ブログを書いています。明日は仕事だし、二日酔いはいやだなぁ。
 それでもいろいろな人たちと話ができてよかった一日でした。
 それから、ビーチフットボールのチームを作る話が頓挫しているので、また張り切らなきゃと思っています。またホームページで参加したい人を募集して、チーム作りに励まねばっ!


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 またひとつ終わってしまいました。毎週木曜日に楽しみにしていたドラマ「大奥 第一章」なんか1クールじゃもったいない作品だったのになぁ~と思っています。フジテレビは月9以外は結構いいドラマ作っていると思います。年末になると番組改変期に差し掛かり、毎週の楽しみも、ひとつ、またひとつと減ってゆきます。
 ところで、お芝居を含めて自分は何でドラマが好きなのかということを自分なりに考えてみました。少しでも放送に携わってみると、放送で視聴者に何を伝えるかということで悩むことがあります。今日の放送では少し誇張した表現になっちゃったなぁ。とか、時にはでたらめだったり間違いだったり・・・。そんな中、ドラマには正しいものはないというのが僕の考えです。だって、誰かがストーリーを考えて、誰かが台詞を考えて、映像や音声にして伝えるわけですから。これぞフィクションの世界です。
 先日までやっていた大河ドラマ「新撰組!」の最初のほうの回で、江戸で近藤や土方と坂本竜馬が偶然出会うシーンがあり、新撰組に詳しいマニアの人たちには「そんなこと絶対にありえない」と言われていたそうですが、それも、よりお話を面白くするための演出だと考えればドラマなら許せてしまうのです。これがニュースやドキュメンタリーだったらこうは行きません。実際にあったことや起こったことを忠実に視聴者に伝えなければいけないのです。特にドキュメンタリーは大変だと思います。だって、目の前にカメラがある時点で、それは真実ではなくなってしまう可能性だってあるのです。誰だって、テレビカメラが目の前にあれば自分を少しでも綺麗に見せようとかかっこよく見せようとか思ってしまうように、被写体になった時点で、カメラを意識して真実が消え去ってしまう可能性だってあるのです。
 その点ドラマも演劇も「作り話」が前提になっているわけで、仮にそれがノンフィクションであっても、より感動できる演出なら、事実を多少大げさに語ってもいい世界だと思うからです。
 先日「血液型による人格の違い」などを報道したことに対して放送倫理・番組向上機構が格放送局に指導があったことをこのブログに記しました。またNHKの元職員がNHK時代に番組制作費を詐取していたというニュースを聞いて、メディアを司る者たちのモラルの低下が気になります。そんな中一番楽しめるTV番組は「ドラマ」なんじゃないか?そう思ってならないのです。

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 先日こんなメールが届きました。内容は、タイトル:○○○です(○○○には女性の名前が入ります)。内容:「よかたぁ~。ちゃんと生理来たよ~今度はちゃんとつけようね!」と一言。はじめ見た時は身に覚えのないメールだったのでびっくりしました。カミさんにも見せましたが、どう考えても、僕にそんな甲斐性があるわけないでしょ~と疑いすらかかかりませんでした。第一タイトルで名前を名乗るのがおかしい。親密な仲なら、名前なんか名乗るはずないよなぁと結局何事もなくそのメールを削除し、事なきをえました(って僕には何の罪もないんだけど)。
 ひとつ間違えるととんでもない誤解を産むいたずらメール。でも俺をハメるなら、もっと巧妙な手口じゃなきゃ引っかからないぜっ!


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 昨日、とある忘年会の席にカミさんと一緒に出席しました。夫婦での参加は僕らだけだったのですが、その席で「うちの愚妻が…」という話になりました。カミさんのブログを見ていただければわかると思いますが、めったに料理もせず、いろいろな不満をその忘年会の席でぶちまけてしまったのです。結局その忘年会の席は、それなりに盛り上がったのですが、家に帰ってきてカミさんに「何であんな話するのよ」と散々怒られました。
 僕ら夫婦はぶっちゃけ仲がいい夫婦だと思うし、特に大きな不満はないのですが、ただ人前「うちの嫁はできたよめでね~」とひけらかすのはあんまりかっこいいと思わないし、「うちの愚妻は…」という話になるのも悪くないと思っていたのですが、カミさんはひどく傷ついていたようです。
 これからは、カミさんと飲み会に参加する時には気をつけねば…。


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 僕は高校のころから芝居をやってきて思うのは、お芝居も含めて「ドラマ」にはうそがないと思っています。よくテレビのドキュメンタリー番組で、「やらせ」が発覚したりして問題になりますが、ドラマにはそれがない。だって、ドラマは最初から作り話だという前提で視聴者が見ているからです。だから、ドラマには「うそ」はないとずっと思い続けています。
 そんな僕の大好きなドラマのひとつ、NHKの大河ドラマ「新撰組!」が終わってしまいました。少しさびしい気持ちです。毎週番組を楽しみにしていて、それを見ないと1週間が終わった気がしない。僕にとってテレビドラマはそんな存在です。だからなんとしてでも見る。ほかに仕事や用事が入っていてもビデオにとってでも見る。そんな暮らしが続いていました。ただ、番組が終わってしまうと、それもなくなってしまう。テレビやラジオ業界では3ヶ月を1クールといって一区切りにして、番組の改編が行われます。(ラジオ番組をやっている時は3ヶ月ごとにいつクビになるか戦々恐々でしたが…)テレビのドラマもその番組改編の時期になると最終回を迎えたりして、その次に放送されるドラマの出来が悪かったりすると、もう最悪です。いつもドラマを見ていた時間に見なくなるので、完全に生活のリズムが狂ってしまいます。もうすぐ年末。どの放送局も番組改変期。次に始まるドラマの出来がよいことを祈っています。



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 今日、用事が有って袋井の郵便局に足を運びました。その途中に有る並木道は紅葉の季節になると、本当にきれいに色づき私たちの目を楽しませてくれます。ただ、もう紅葉の季節は終わり、落葉の季節になってしまいました。
 そんなアスファルトに散らばる無残な枯葉たちを見ていて何か物悲しくなってしまいました。人間やその他動物は死んでしまうと、日本語では「土に還る」といいます。死んで土に還って他の生き物の生きていくための栄養分になるという意味だと思います。ところが、僕の見た枯葉たちはアスファルトの上。還る土がないのです。おそらくこのあと人に踏まれ、車に潰され、朽ちていくのだと思います。最近はそんな路上の枯葉を集めて堆肥にするという活動も行われてますが、すべての枯葉たちがそういう幸せな運命を迎えるわけではないと思います。そういえば最近、「一面が土」という光景を見ていないような気がします。アスファルト敷く事で人間の生活は便利になった分、きっと街路樹はさびしい気分になっているのかなぁなんて、ちょっぴりセンチな気分になってしまいました。

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 先日、TBSの3年B組み金八先生ので紹介された相田みつをさんの詩についていろいろと考えさせられた話をこのブログに残しましたが、今日はその相田みつをさんの生涯をドラマで綴った「相田みつを物語」がテレビ朝日系列で放送されました。金八先生が毎週紹介する相田みつをさんの「書詩」を見るたびに、その言葉のシンプルさと、洗練された素直な感情をあらわした字体にの魅力に吸い込まれ、相田みつをという人の人生がいったいどんなものなんだろうと思っていましたが、今日のドラマでなにか少し謎が解けたような気がしました。
 自分も「表現者」と名の付くホームページを持つ人間として、表現者としての相田みつをさんはとても魅力的です。最近は金八効果なのか、いろいろなところで相田みつをさんの書を見ることが多くなりましたが、本屋さんに行って相田みつをさんの書集を買ってみようかと思います。


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 毎週3年B組金八先生を見ております。うちの父親が高校教師だったということもあり、また自分も一時期教師を目指したことがあることから、教師もののドラマを見る機会が多いです。そんな今週の金八では、相田みつをさんの詩がとても印象に残りました。確か「負ける人がいるおかげで勝つ人間がいる」というような意味合いの内容だったと思います。人間に限らず動物や昆虫にいたるまで、弱肉強食の世界です。人間の世界であったって、世界中で戦争は絶えず、身近なところでは受験戦争も弱肉強食の世界だと思います。そんな中、今回の相田みつをさんの詩には、人間の考えるべきことが集約されているように感じました。
 何事にも、勝ち組みの人間と、負け組みの人間が存在します。しかし勝ち組の人間は、負け組みの人間がいたからこそ、自分が勝つことができたという自覚を持たなければいけないのだと思います。そこで高校時代のある先生の言葉を思い出しました。
 僕は高校時代演劇部の活動をしており、勉強そっちのけで芝居の世界に没頭しました。当然成績も芳しくなく、両親や学校の進路指導の先生からは、演劇部は煙たがられる存在でした。そんな中、とある大会に出場が決まったとき、ある一人の先生が演劇部のみんなに激励の挨拶をしれくれました。
いつも成績を上げることばかりに躍起になっていたその先生から、意外な言葉を耳にすることができました。その内容は。
「高校時代に何かに対して一生懸命になるということはとてもすばらしいことだと思う。ぜひ皆さんには優勝を目指してほしい」
という言葉でした。そしてその先生はこう付け加えたのです。
「何事にも勝つことは重要だ。しかし優勝というのは「勝つ」という言葉の前に「優」という字が付いている。「優」という字は「優れている」という意味ももちろんあるが、それとともに「優しい」という意味もあるんだ。優勝をするには負けていった人間たちの健闘をたたえる優しさが必要なんだ」
と。
 僕も思わずその言葉を聴いて、目からうろこが落ちると同時に、目頭が熱くなった思い出があります。「優勝」を勝ち取るには優しさが必要。。。
なにかその先生と、今日放送された金八先生が僕の中ででダブって見えてしまいました。

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 僕にとってはショッキングあニュースです。大手というか老舗パソコンメーカーのIBMがパソコン事業から撤退するかもというニュースが飛び込んできました。IBMといえば、「パソコン」を普及させてきた功労企業でもありますしその技術力は僕もあこがれていました。掻くいう僕もメインマシンこそ現在NECを使っているもののサブマシンはIBM。ずいぶん前からIBMのThinkPadというブランドのパソコンを使い続けてきました。IBMのノートパソコンは、いわゆるデザインは無骨で頑丈、余計な機能が一切ついていないシンプルなものですが、そのこだわりようはすごいものがあるととある雑誌の開発秘話に載っていました。キータッチや操作性、トラックポイントと呼ばれるキーボードの中心にある赤いポッチでマウスを操作し、執拗十分の機能を兼ね備えています。さらに、現在各メーカーが設計などを海外に委託する中、IBMのThinkpadだけは日本で開発されていtるということです。またユーザーレベルで、改造したり、古くなった部品を交換できる(もちろん保障はなくなりますが)ところも気に入っていました。
 IBMのノートパソコンは玄人からは絶大な支持を受け続けています。そんな愛すべきIBMのノートパソコンがなくなったら、僕のパソコンライフはどうなってしまうのでしょうか(結構大げさ)。このニュースが誤報であることを祈ります。




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 最近血液型にまつわる番組が増え、それに対して放送倫理・番組向上機構(BPO)が、「科学的根拠は証明されておらず、社会的差別に通じる危険がある」ということで、民放テレビ各局に改善勧告を行ったそうです。血液型に関しては、自分も心当たりがあり、☆型とはいつも相性が悪いなぁと思ったりすることがありますが、もちろん例外もあります。要は思い込みが大部分を占めていて、結局科学者に言わせると何の根拠もないということなんだと思います。
 ところで、科学的根拠でいうと、「占い」はどうなんでしょう?毎朝星座や血液型で占いをして一喜一憂させるのは「科学的」なんでしょうか?「占いと称して」他人の芸名を変えさせたりするのは「科学的」なんでしょうか?行方不明の人を探すのに占い師や超能力者を呼んで適当なことを言わせるのが果たして「科学的」なんでしょうか?
 僕は科学は「万能」ではないことはわかっています。まだまだ人間の知能では未知の領域というのはたくさんあります。占いやオカルトを信じる人に「科学を信用しない」という人がいます。なぜなら科学はほんの最近進歩してきた分野であって、占いや超能力はそれ以前から人々の生活に絡んできたというのです。しかし、僕はそうは思っていません。「科学」とはとても歴史が古いものなのです。星や太陽を見て暦を読むことから始まり、哲学や数学などさまざまな形で昔から存在してきました。その際、迫害を受けることもありました。たとえば、今では当たり前な「地動説」を唱えたコペルニクスやガリレオも当時は間違った人間だということで迫害されましたし、万有引力を発見したニュートンも変人扱いされていました。20世紀の天才アインシュタインも特殊相対性理論を発表したときに関しては理解できる人はほとんどいなかったということです。
 僕はそういった先人の知恵の集大成が「科学」だと思っています。テレビやラジオの番組造りもある程度「カガクテキ」でなければいけないというのも大賛成です。ただ科学は万能ではないということを念頭においておけばの話ですが…。



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 11月1日の「織田小丸。37歳!」のコメント欄に非常に不愉快な誹謗中傷の書き込みがあり、図らずもそれに乗ってしまいました。あれ以来メールも送られてこず、コメントにも書き込みがありませんでしたので、ここで一旦冷静になろうと思います。
 いつも「小丸の鬱病ブログ」をご覧になっている方々にも非常に不愉快な気持ちにさせてしまいました。残念ながら自分の頭を冷やすのと、自分自身をもう一度見直すために、という意味も兼ねて、3日間ブログをお休みさせていただきます。
 これからはもう少し大人になって、心無い書き込みには無視を決め込みます。
 本当に皆さんすいませんでした。




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 昨日初めてテレビでまともにギター侍というのを見ました。結構笑えました。毒舌系の笑いですね~。取り上げていた番組で、ギター侍はネタの名前で、「波田陽区」というのが芸名らしいですけど、結構親近感が湧きました。ヨン様旋風の中、ヨン様と結婚したら苗字が「ぺ」になるんだぞときったら、脅迫まがいのメールがたくさん来たとか。特に目が細くてコンタクトレンズが入らないというところが僕も一緒で・・・。
 しかし、青木さやかさんといい長井秀和さんといい、最近は毒舌系お笑いが台頭してますね~。その中でも少し異色なのが波田陽区さんの「ギター侍」だということも分かりました。他の毒舌系芸人さん達は堂々と芸能界の先輩や大御所方に対して毒を吐きっぱなしなのに対して、ギター侍は、最後に「切腹」と自分の腹を切るしぐさで、「悪い事言ってごめんなさい」的な雰囲気をかもし出している所がなんとも愛らしいと思います。
 さすが「間違いない…」を押しのけて流行語対象にエントリーされるわけです。このネタ、長く続けて欲しいですね~。




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