昨日、私とオオモリさんとシナガワ君の三人で、新潟の病院に入院しているカワサキ君を見舞いに行きました。
ボクら四人は、おととしの暮れに「独身中年男互助会」を結成した仲間なのです。
その後、大手出版社に勤めるカワサキ君が、昨年三月に新潟転勤を言い渡されました。
四人の中では最若手といっても、カワサキ君も四十代の半ばです。
その歳で全く知らない土地に一人で行くなんて。果してカワサキ君は大丈夫だろうか…。
私たちのそんな懸念をヨソに、カワサキ君は持ち前の明るさと積極性で新任地の生活を謳歌しているようでした。
私たちは、そう思っていたのです。
少なくても、今年の三月、我々の定例会に出席したカワサキ君から、
「ボク、難病にかかっちゃったみたいで、お通じが止まらないんです。ハハハ」
と、いつもの明るい口調で聞かされるまでは。
その後、カワサキ君の症状は次第に重くなり、四月の末に入院しました。
それを知った私たちは、「スワ、大変!」とばかり、当地に向ったのです。
私たちが病室に訪ねたとき、ご両親もお見舞いにいらっしゃっていました。
カワサキ君のご両親は、東京のカトリック信徒家庭でもまずは指折り…と思うほどのハイカラな雰囲気を持った「ホーム」を築かれたご夫妻です。
ご主人は「日本のウォールストリートジャーナル」と言われるNK紙に大学を出てから定年まで勤めたハイカラな方です。
お母さんは、聖心女子で、学年が今の皇后のひとつ上だった方で、英語の達人です。
そんなハイソに育ったのに(育ったから…、かも知れませんが)、カワサキ君は実に気さくで、常にジェントリーな態度を絶やさない「好中年」です。
カワサキ君は、しばらくは食事が出来ず、点滴で栄養を補給せざるを得ません。
私たちが見舞ったときも点滴中でしたが、我々の顔を見ると持ち前のサービス精神を発揮して、盛んに歓待してくれました。
彼は三十代に入ってから始めた「マラソン道」を極めつつあり、日本中のマラソン大会は無論、ホノルルマラソンでも輝かしい成績を収めています。
何があっても毎日20キロは走るカワサキ君の太ももは、プロ野球選手のように筋肉でパンパンに張っていたものです。
そして大変なワイン通で、新潟に行ってからも東京の馴染みのワイン店から毎週ワインを取り寄せていました。
いつ会っても「マラソン焼け」「ワイン焼け」しているカワサキ君でしたが、昨日はいつになくスベスベの白い肌で、心なしか体全体がスリムに変身しているようでした。
カワサキ君は自分の闘病を、ユーモア混じりに盛んに私たちに解説してくれました。
そしてお母さんには盛んに甘え半分の指示をだして、「四人兄弟の次男で三人目の子供」の顔をも見せてくれました。
心身にあまり負担を掛けてはいけないので、私たちは一時間ほどでおいとましましたが、カワサキ君は起き上がり、点滴棒を引き摺ってわざわざエレベーターまで見送ってくれました。
そのときのカワサキ君が、ずいぶんほっそりとしていました。
「入院して10キロ痩せましたよハハハ。まあ、退院したら取り戻すけどね」
お母さんも私たちといっしょに降りました。
カワサキ君に必要な物を、近くの巨大なホームセンターまで歩いて買出しに行くためです。
お母さんがホームセンターに向う後姿は、「ハイカラ・ハイソなカトリック家庭婦人」ではなく、「昭和ヒトケタ生まれの日本の母」そのものでした。
それから私たち三人は少し遅い昼食を摂り、タクシーで新潟カトリック教会に行きました。
この教会は建立80年を迎えた、日本のカトリック教会でも名門のひとつです。
私たちは、ひとしきり祈りました。
帰りの新幹線で、なぜか私の頭には、自分の今までの人生で出逢った人々や苦しいエピソードが次々と浮かんできました。
カワサキ君の「武士の魂」にも似た精一杯の矜持や、お母さんの「命がけの献身」を目の当たりにしたためでしょうか…。
カワサキ君!
君は、充分に頑張って生きてきたよ!
だから、もうそんなに頑張らず、もっと色んな人に甘えて良いんだよ…。
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ボクら四人は、おととしの暮れに「独身中年男互助会」を結成した仲間なのです。
その後、大手出版社に勤めるカワサキ君が、昨年三月に新潟転勤を言い渡されました。
四人の中では最若手といっても、カワサキ君も四十代の半ばです。
その歳で全く知らない土地に一人で行くなんて。果してカワサキ君は大丈夫だろうか…。
私たちのそんな懸念をヨソに、カワサキ君は持ち前の明るさと積極性で新任地の生活を謳歌しているようでした。
私たちは、そう思っていたのです。
少なくても、今年の三月、我々の定例会に出席したカワサキ君から、
「ボク、難病にかかっちゃったみたいで、お通じが止まらないんです。ハハハ」
と、いつもの明るい口調で聞かされるまでは。
その後、カワサキ君の症状は次第に重くなり、四月の末に入院しました。
それを知った私たちは、「スワ、大変!」とばかり、当地に向ったのです。
私たちが病室に訪ねたとき、ご両親もお見舞いにいらっしゃっていました。
カワサキ君のご両親は、東京のカトリック信徒家庭でもまずは指折り…と思うほどのハイカラな雰囲気を持った「ホーム」を築かれたご夫妻です。
ご主人は「日本のウォールストリートジャーナル」と言われるNK紙に大学を出てから定年まで勤めたハイカラな方です。
お母さんは、聖心女子で、学年が今の皇后のひとつ上だった方で、英語の達人です。
そんなハイソに育ったのに(育ったから…、かも知れませんが)、カワサキ君は実に気さくで、常にジェントリーな態度を絶やさない「好中年」です。
カワサキ君は、しばらくは食事が出来ず、点滴で栄養を補給せざるを得ません。
私たちが見舞ったときも点滴中でしたが、我々の顔を見ると持ち前のサービス精神を発揮して、盛んに歓待してくれました。
彼は三十代に入ってから始めた「マラソン道」を極めつつあり、日本中のマラソン大会は無論、ホノルルマラソンでも輝かしい成績を収めています。
何があっても毎日20キロは走るカワサキ君の太ももは、プロ野球選手のように筋肉でパンパンに張っていたものです。
そして大変なワイン通で、新潟に行ってからも東京の馴染みのワイン店から毎週ワインを取り寄せていました。
いつ会っても「マラソン焼け」「ワイン焼け」しているカワサキ君でしたが、昨日はいつになくスベスベの白い肌で、心なしか体全体がスリムに変身しているようでした。
カワサキ君は自分の闘病を、ユーモア混じりに盛んに私たちに解説してくれました。
そしてお母さんには盛んに甘え半分の指示をだして、「四人兄弟の次男で三人目の子供」の顔をも見せてくれました。
心身にあまり負担を掛けてはいけないので、私たちは一時間ほどでおいとましましたが、カワサキ君は起き上がり、点滴棒を引き摺ってわざわざエレベーターまで見送ってくれました。
そのときのカワサキ君が、ずいぶんほっそりとしていました。
「入院して10キロ痩せましたよハハハ。まあ、退院したら取り戻すけどね」
お母さんも私たちといっしょに降りました。
カワサキ君に必要な物を、近くの巨大なホームセンターまで歩いて買出しに行くためです。
お母さんがホームセンターに向う後姿は、「ハイカラ・ハイソなカトリック家庭婦人」ではなく、「昭和ヒトケタ生まれの日本の母」そのものでした。
それから私たち三人は少し遅い昼食を摂り、タクシーで新潟カトリック教会に行きました。
この教会は建立80年を迎えた、日本のカトリック教会でも名門のひとつです。
私たちは、ひとしきり祈りました。
帰りの新幹線で、なぜか私の頭には、自分の今までの人生で出逢った人々や苦しいエピソードが次々と浮かんできました。
カワサキ君の「武士の魂」にも似た精一杯の矜持や、お母さんの「命がけの献身」を目の当たりにしたためでしょうか…。
カワサキ君!
君は、充分に頑張って生きてきたよ!
だから、もうそんなに頑張らず、もっと色んな人に甘えて良いんだよ…。
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