明日、銀座アスター本店で、父、母、兄、姉夫婦、そして私が集まって、恒例の「正月家族会食会」をします。
四年前から初めて、今年で五回目です。
家族が集まるのは正月のこの日だけですが、すっかり年中行事になりました。
私は昨日今日と仕事でしたが、ずいぶんとご家族の面会がありました。
正月の面会は、やはり特別です。
「面会に来る」ことが特別なのではありません。
「正月なのに面会に来てくれない」という想いが、ご入居者を格別に寂しい思いにさせるのです。
もちろん、ご家族それぞれに事情はあるし、面会しても一分後には忘れてしまう方も多いのです。
でも、私は、老人ホームで働くようになって、改めて「家族の絆の大切さ」が身に染みるようになりました。
昨年、食事会の支払いのとき、父も母も自然の口調で、
「じゃ、ワリカンでな」と言いました。
子供たちは皆、働いていて、両親は年金生活なのですから、「ワリカン」どころか、私たちが親の食事代を出してもしかるべきです。
でも、一昨年までは、両親は私の分を払う振る舞いを見せていたのです。
今から約十年前、私は障害者施設を辞めました。
貯金と失業手当を合わせれば二年くらいは食べられそうでしたので、「その間に何とか物書きとして食えるようになろう…」と、私は決意したのです。
しかし、力が足りませんでした。
貯金が底をついてから、ケアマネジャー資格を取って働き始めるまでの間、私は、両親の仕送りで生活をしていました。
四十をいくつも越えた末っ子が「食うや食わずの生活をしている」という情けない緊急事態は、老親の頭脳裏に容易に消えがたいショックを植えつけたに違いありません。
正月の食事会は、私が何とか自活が出来るようになってから始まりました。
でも、両親にとっては、いつまでたっても「頼りない末っ子」なのでしょう。
わずか数千円の食事代も「払ってやろうか?」といい続けてきました。
それが、昨年やっと「ワリカン」を自然に切り出してくれたのです。
帰りの電車で、自分の不甲斐なさと両親の気持ちに改めて思い至り、私は消え入りたくなったものです。
あれから一年。
正月に会うごとに少しずつ老いていく父と母は、どんな様子になっているでしょうか。
兄は。姉は。
どうも、ご迷惑様でした。
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四年前から初めて、今年で五回目です。
家族が集まるのは正月のこの日だけですが、すっかり年中行事になりました。
私は昨日今日と仕事でしたが、ずいぶんとご家族の面会がありました。
正月の面会は、やはり特別です。
「面会に来る」ことが特別なのではありません。
「正月なのに面会に来てくれない」という想いが、ご入居者を格別に寂しい思いにさせるのです。
もちろん、ご家族それぞれに事情はあるし、面会しても一分後には忘れてしまう方も多いのです。
でも、私は、老人ホームで働くようになって、改めて「家族の絆の大切さ」が身に染みるようになりました。
昨年、食事会の支払いのとき、父も母も自然の口調で、
「じゃ、ワリカンでな」と言いました。
子供たちは皆、働いていて、両親は年金生活なのですから、「ワリカン」どころか、私たちが親の食事代を出してもしかるべきです。
でも、一昨年までは、両親は私の分を払う振る舞いを見せていたのです。
今から約十年前、私は障害者施設を辞めました。
貯金と失業手当を合わせれば二年くらいは食べられそうでしたので、「その間に何とか物書きとして食えるようになろう…」と、私は決意したのです。
しかし、力が足りませんでした。
貯金が底をついてから、ケアマネジャー資格を取って働き始めるまでの間、私は、両親の仕送りで生活をしていました。
四十をいくつも越えた末っ子が「食うや食わずの生活をしている」という情けない緊急事態は、老親の頭脳裏に容易に消えがたいショックを植えつけたに違いありません。
正月の食事会は、私が何とか自活が出来るようになってから始まりました。
でも、両親にとっては、いつまでたっても「頼りない末っ子」なのでしょう。
わずか数千円の食事代も「払ってやろうか?」といい続けてきました。
それが、昨年やっと「ワリカン」を自然に切り出してくれたのです。
帰りの電車で、自分の不甲斐なさと両親の気持ちに改めて思い至り、私は消え入りたくなったものです。
あれから一年。
正月に会うごとに少しずつ老いていく父と母は、どんな様子になっているでしょうか。
兄は。姉は。
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