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父の年賀状

2010-01-10 | 私と家族
父から封書が届いた。

開けてみると、年賀状が二枚と便箋が一枚入っていた。





父は、私が三年二ヶ月前まで住んでいた府中市のマンション宛に年賀状を出したようだった。

当然、郵便局から「あて所に尋ねあたりません」という赤いスタンプが押されて、父の手許に年賀状は戻ってきた。

そこで父は「おう、文七は引っ越したのだった!」と気づいて、改めて年賀状に私の現住所を鉛筆で書き、戻ってきた分と合わせて封書に入れて送ってきたのだ。



気になったのは、便箋に書かれていた後半部分である。

「…さて、小生、一月四日に転倒して…(中略)、腹辺りの筋肉痛で寝込んでいます…」

転倒?寝込んでいる?

私はこれを読んで、心配になった…というより、ムカついた。

手紙を書けるくらいだから、本当の重症ではないに違いない。

それにしても、一月三日に会ったとき、あれほど「転んだらダメだよ」と言ったではないか。

にも関わらず、翌日転倒したとは…(ムカムカ)。



電話を掛けるとまず母が出たが、やがて父に代わってもらった。

父は、いつものような眠たげな声で、状況を説明した。

…東西線から乗り換えて、水道橋の場外馬券売り場まで行ったんだ。

レースが終って、当り券を精算しようと階段を上がろうとしたら、足が上がりきらなくて、つまずいて、ひっくり返ったんだ…。

父は、亀の子のように裏返り、何段か階段を滑り落ちた…という。

周囲のの人たちは、「頭を打ったのではないか?」と声を挙げて心配してくれたが、父は「頭は打ってない。でも、背中を打ち付けて声が出せない」と、思っていたという。

やがて、人々の助けもあって立ち上がり、ひとしきり休んでから、電車で地元に帰って、整形医に掛かった。

幸い、レントゲンの結果、骨に異常はなかった。

しかし、痛みは治まらないどころかじょじょに強まってきたので、痛み止めとシップをたくさんもらってきた…という。

骨折もヒビもなく、頭を打たなかったというのは慶賀の至りであったが、それは全く持って「たまたま」である。

もし、別の「たまたま」と遭遇していたら、今頃こんなのんきな話をしてなかったかもしれない。



なア、父ちゃんよ。

とにかく「自分はもう年寄りなんだ」という意識をもって、ゆっくりと歩いてくれよ。

私は父にそう願った。父は了承してくれたが、果してどうなることか。

八十代半ばまで生きた父が、小遣いの範囲で場外売り場に行くのは全く構わないし、仮にそこで転んで頭を打っても、それが「さだめ」なのかも知れない。

でも、やっぱりそんなのはヤダよ。

理屈と実感は違う。

両親には「ケガをキッカケに心身のレベルがガクンと落ちる」という目にあって欲しくない。



父ちゃん!

歩けるなら、気をつけながらどんどん歩け。

歩かなくなったら、急に老いてしまうから。

でも、ゆっくりとナ。転ぶなよ。杖も買ったほうがいいぞ…。








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