今日、両親の墓を見に行った。
私の両親はまだ健在である。
健在どころか、両親とともに両親の墓を見に行ったのだ。
今日の正午、正月恒例の家族食事会のため、銀座アスター本店に皆が集まった。
もともと、母との約束があったのだ。
「食事が終ったら、父ちゃんと母ちゃんの墓をぜひ見に行ってくれないかい?」
母によると「千葉のずっと先のほう」に、墓を買ったという。
父が、銀座アスターにパンフレットを持って来ていたので見てみると、墓と言うより納骨堂のようだった。
母は去年の間、何度も私に「墓をみておくれ」と働きかけてきた。
来年傘寿を迎える母にとって、いずれ自分が入る墓所を息子に見せておくことはとても切実な願いらしかった。
父だって、パンフレットを手にして盛んに説明をしている。
母と同じ気持ちなのに違いない。
というわけで、食事会の後、姉と両親と私の四人で、墓を見に出掛けたのである。
銀座から都営浅草線の宝町まで歩いた。そこから京成電鉄に乗り入れて、約五十分乗った先にあるK駅が目的地らしい。
銀座中央通りの交差点に、パトカーが何台も出て交通規制をしている。たくさんの人だかりもあった。
どうやら、ちょうど箱根駅伝の復路の走者たちが帰ってくるところのようだった。
それにしても、規制の規模といい群衆の数といい、箱根駅伝はもはや国民的行事になっているのだなア…と感じた。
都営浅草線には下町情緒溢れる駅名が並んでいる。
日本橋、人形町、浅草橋、蔵前、浅草。隅田川を越えると本所吾妻橋、押上。ここから京成電鉄に乗り入れて、曳舟。荒川を越して、四ツ木、立石、青砥、新柴又…。
母は、私に墓所の説明を盛んに続けていた。
「買ったのは父ちゃんと母ちゃんの分だけど、六人まで入れるんだよ。宗派は全然関係ないから、ブンちゃんだって、入ろうと思えばすぐにでも入れるんだ」
そんなの、まだ入りたくないよ…。
四人を並んで乗せながら、電車はひたすら走る。
それにしても、この四人でこんなに長く電車に乗るなんて、何十年ぶりだろう…。
江戸川を越えた辺りから、千葉県市川市特有の高台の風景が広がってきた。
市川は私が14歳から約20年住んでいた土地なので、針葉樹林がところどころ残る住宅風景が、なんとも懐かしく感じられた。
新鎌ヶ谷を過ぎた辺りから、人里離れた風景になってきたと思ったら、やがてK駅についた。
K駅を下りると、姉が「あれだよ」と指差した。
『セ○モ』という大きな広告版が見えた。
私の手元に、今、その納骨堂のパンフレットがある。
『○○寺大納骨堂』~永遠の安らぎの場所~
「日本一美しい仏教画大ステンドグラスの現代寺院」…。
その「寺院」は、コピーの通りだった。
無宗派というより無国籍風の建物で、よく言えばリゾートホテル、あけすけに言うと「落ち着いた雰囲気の巨大モーテル」のようだった。
納骨堂のたたずまいは、一口で言えば「金ぴかのコインロッカー」である。
でも、そんなことはどうでも良かった。
「ここが自分が収まる場所だ」と両親が納得して買ったのなら、それでいい。
ここの運営母体は宗教法人だけれど、葬儀や納骨は船橋市に本社がある葬儀会社が取りまとめているらしかった。
葬儀会社も有料老人ホーム企業も、「商売の勘どころ」は同じようなものだろう。
ようは、そこで働く人たちが「これが自分の仕事なんだ」と真面目に誇りをもっていることだ。
そうであれば、買い手の魂は救われるからだ。
納骨堂の見学を終えてからK駅の道のりで、母はいろいろ喋った。
「かあちゃんは、90まではどうしたって生きるよ。それも健康でな。年寄りクサイのはイヤだ。年寄りはキライなんだ…」
このところ、BS2チャンネルの韓流ドラマにはまっているという。
相変わらずミーハーな母である。
父のほうは、少しだけすり足歩行になっていたが、ひとり離れて、早足で歩いていた。
これも、私が物心ついた頃からの、変らぬ父の姿であった。
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私の両親はまだ健在である。
健在どころか、両親とともに両親の墓を見に行ったのだ。
今日の正午、正月恒例の家族食事会のため、銀座アスター本店に皆が集まった。
もともと、母との約束があったのだ。
「食事が終ったら、父ちゃんと母ちゃんの墓をぜひ見に行ってくれないかい?」
母によると「千葉のずっと先のほう」に、墓を買ったという。
父が、銀座アスターにパンフレットを持って来ていたので見てみると、墓と言うより納骨堂のようだった。
母は去年の間、何度も私に「墓をみておくれ」と働きかけてきた。
来年傘寿を迎える母にとって、いずれ自分が入る墓所を息子に見せておくことはとても切実な願いらしかった。
父だって、パンフレットを手にして盛んに説明をしている。
母と同じ気持ちなのに違いない。
というわけで、食事会の後、姉と両親と私の四人で、墓を見に出掛けたのである。
銀座から都営浅草線の宝町まで歩いた。そこから京成電鉄に乗り入れて、約五十分乗った先にあるK駅が目的地らしい。
銀座中央通りの交差点に、パトカーが何台も出て交通規制をしている。たくさんの人だかりもあった。
どうやら、ちょうど箱根駅伝の復路の走者たちが帰ってくるところのようだった。
それにしても、規制の規模といい群衆の数といい、箱根駅伝はもはや国民的行事になっているのだなア…と感じた。
都営浅草線には下町情緒溢れる駅名が並んでいる。
日本橋、人形町、浅草橋、蔵前、浅草。隅田川を越えると本所吾妻橋、押上。ここから京成電鉄に乗り入れて、曳舟。荒川を越して、四ツ木、立石、青砥、新柴又…。
母は、私に墓所の説明を盛んに続けていた。
「買ったのは父ちゃんと母ちゃんの分だけど、六人まで入れるんだよ。宗派は全然関係ないから、ブンちゃんだって、入ろうと思えばすぐにでも入れるんだ」
そんなの、まだ入りたくないよ…。
四人を並んで乗せながら、電車はひたすら走る。
それにしても、この四人でこんなに長く電車に乗るなんて、何十年ぶりだろう…。
江戸川を越えた辺りから、千葉県市川市特有の高台の風景が広がってきた。
市川は私が14歳から約20年住んでいた土地なので、針葉樹林がところどころ残る住宅風景が、なんとも懐かしく感じられた。
新鎌ヶ谷を過ぎた辺りから、人里離れた風景になってきたと思ったら、やがてK駅についた。
K駅を下りると、姉が「あれだよ」と指差した。
『セ○モ』という大きな広告版が見えた。
私の手元に、今、その納骨堂のパンフレットがある。
『○○寺大納骨堂』~永遠の安らぎの場所~
「日本一美しい仏教画大ステンドグラスの現代寺院」…。
その「寺院」は、コピーの通りだった。
無宗派というより無国籍風の建物で、よく言えばリゾートホテル、あけすけに言うと「落ち着いた雰囲気の巨大モーテル」のようだった。
納骨堂のたたずまいは、一口で言えば「金ぴかのコインロッカー」である。
でも、そんなことはどうでも良かった。
「ここが自分が収まる場所だ」と両親が納得して買ったのなら、それでいい。
ここの運営母体は宗教法人だけれど、葬儀や納骨は船橋市に本社がある葬儀会社が取りまとめているらしかった。
葬儀会社も有料老人ホーム企業も、「商売の勘どころ」は同じようなものだろう。
ようは、そこで働く人たちが「これが自分の仕事なんだ」と真面目に誇りをもっていることだ。
そうであれば、買い手の魂は救われるからだ。
納骨堂の見学を終えてからK駅の道のりで、母はいろいろ喋った。
「かあちゃんは、90まではどうしたって生きるよ。それも健康でな。年寄りクサイのはイヤだ。年寄りはキライなんだ…」
このところ、BS2チャンネルの韓流ドラマにはまっているという。
相変わらずミーハーな母である。
父のほうは、少しだけすり足歩行になっていたが、ひとり離れて、早足で歩いていた。
これも、私が物心ついた頃からの、変らぬ父の姿であった。
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