作家の井上ひさしが亡くなりました。
井上ひさしと言えば、第一に思い浮かぶのは、やはり『ひょっこりひょうたん島』です。
昭和39年から昭和44年までNHKで放映していたこの人形劇を、私はリアルタイムで観ています。
もっとも、始まった頃のことは幼すぎてあまり覚えていませんが、小学校に上がってからは、放送開始の午後六時五分(だったように記憶しているのですが)になると、必ずテレビの前に座ったものでした。
子供心にも、なんとも不思議な魅力な魅力があるなア…、と感じていました。
ユートピア劇の要素。日本離れした垢抜けたユーモア。そして、毒もあって。
ドン・ガバチョ、トラヒゲ、ハカセ、ダンディなどの登場人物の造形もとてもユニークでした。
私はその後、台本めいたものをしばしば書くようになって現在に到るのですが、今考えると、『ひょっこりひょうたん島』の影響をとても受けているように思います。
この作品で名を知らしめた井上ひさしはやがて小説を書くようになり、直木賞を受賞しました。
それから数年の小説とエッセイはずいぶん読みました。
でも、1981年に発表された『吉里吉里人』の後はほとんど作品を読まなくなりました。
井上ひさしも1980年代以降は小説より戯曲に軸足を移していきました。
井上ひさしは幼くして父親を亡くしました。彼の母親は再婚しましたが、その義父から、ずいぶん暴力を受けたようです。
やがて義父はお金を持ち逃げします。
育てるのに困った母親は彼を養護施設に預け、彼はそこの修道士たちの献身的な姿に、感動を受けた…と自著に書いています。
井上ひさしは、世に出た頃からしばらくは「ユーモア作家」の代表のように言われていました。
でも、彼の作る世界からは、次第に「ユーモア」というにはより過剰で、濃く、死の匂いを感じさせることが多くなってきました。
私が井上ひさしを読まなくなったのは、その過剰さが「ちょっとくどいな」と感じられるようになったからです。
それと、存在が大きくなるにつれ、いわゆる「進歩的文化人」の代表めいた立場になっていったことへの違和感もありました。
でも、作品歴を改めて眺めて思うのは、やはり「ちょっとやそっとでは現れない大きな存在だったな」ということです。
最初の奥さんへの家庭内暴力はよく知られていることですが、そういった暗い面、矛盾した顔を含めて、私が育った世代のもっとも大きな作家のひとりだと感じます。
その作家の最初期の傑作である『ひょっこりひょうたん島』を、リアルタイムで幼少期にみることが出来たのは、幸福だったのかもしれません。
井上ひさしを感激させたのは、仙台にあるラサール会の修道士たちでした。
彼は、進んで洗礼を受けました。
洗礼名は「マリア・ヨゼフ」です。
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井上ひさしと言えば、第一に思い浮かぶのは、やはり『ひょっこりひょうたん島』です。
昭和39年から昭和44年までNHKで放映していたこの人形劇を、私はリアルタイムで観ています。
もっとも、始まった頃のことは幼すぎてあまり覚えていませんが、小学校に上がってからは、放送開始の午後六時五分(だったように記憶しているのですが)になると、必ずテレビの前に座ったものでした。
子供心にも、なんとも不思議な魅力な魅力があるなア…、と感じていました。
ユートピア劇の要素。日本離れした垢抜けたユーモア。そして、毒もあって。
ドン・ガバチョ、トラヒゲ、ハカセ、ダンディなどの登場人物の造形もとてもユニークでした。
私はその後、台本めいたものをしばしば書くようになって現在に到るのですが、今考えると、『ひょっこりひょうたん島』の影響をとても受けているように思います。
この作品で名を知らしめた井上ひさしはやがて小説を書くようになり、直木賞を受賞しました。
それから数年の小説とエッセイはずいぶん読みました。
でも、1981年に発表された『吉里吉里人』の後はほとんど作品を読まなくなりました。
井上ひさしも1980年代以降は小説より戯曲に軸足を移していきました。
井上ひさしは幼くして父親を亡くしました。彼の母親は再婚しましたが、その義父から、ずいぶん暴力を受けたようです。
やがて義父はお金を持ち逃げします。
育てるのに困った母親は彼を養護施設に預け、彼はそこの修道士たちの献身的な姿に、感動を受けた…と自著に書いています。
井上ひさしは、世に出た頃からしばらくは「ユーモア作家」の代表のように言われていました。
でも、彼の作る世界からは、次第に「ユーモア」というにはより過剰で、濃く、死の匂いを感じさせることが多くなってきました。
私が井上ひさしを読まなくなったのは、その過剰さが「ちょっとくどいな」と感じられるようになったからです。
それと、存在が大きくなるにつれ、いわゆる「進歩的文化人」の代表めいた立場になっていったことへの違和感もありました。
でも、作品歴を改めて眺めて思うのは、やはり「ちょっとやそっとでは現れない大きな存在だったな」ということです。
最初の奥さんへの家庭内暴力はよく知られていることですが、そういった暗い面、矛盾した顔を含めて、私が育った世代のもっとも大きな作家のひとりだと感じます。
その作家の最初期の傑作である『ひょっこりひょうたん島』を、リアルタイムで幼少期にみることが出来たのは、幸福だったのかもしれません。
井上ひさしを感激させたのは、仙台にあるラサール会の修道士たちでした。
彼は、進んで洗礼を受けました。
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