第247話-1.韓国の反日の理由&併合の経緯&今後の韓国との付き合い方の提案(前編)

2019-04-02 02:18:41 | ★政治 外交 歴史
湖畔人です。

今日は、現時点で自分が考える韓国の反日思想の理由と、過去日本が韓国にして来た多くの事、そこから見える日本が取るべき今後の対応の仕方と心構えについて、自分なりの意見をここにまとめてみたいと思います。今後、入ってくる情報次第で、また考えが変わって来るかもしれませんが、とりあえず現時点ではこう思う、と言う意見を下記7つの章に分けて書いてみたいな、と思っています。皆さんの昨今の韓国に対するモヤモヤした気持ちの整理の一助になれば幸いです。
長いので二話分に分けます。

その7つの章とは、
【1】韓国の反日の現状、
【2】主な反日行為 慰安婦と徴用工と竹島の嘘の主張、
【3】日本が併合した理由、
【4】もし併合が無かった場合の想定、併合前後の朝鮮の比較、半島にもたらされたメリットとデメリット、
【5】それでも反日な理由 事大主義&小中華思想?
【6】今後の日本の取るべき態度 
【7】まとめ

の7章となります。

長くなりますので、結論からお知りになりたい方は、まず最初に“【7】のまとめ“をご覧になった方が良いかもしれません。
【1】~【4】を前編にて、【5】~【7】を後編にて、ご説明します。

では、1章から順にご説明いたします。

【1】 韓国の反日の現状

慰安婦、レーダー照射問題、徴用工請求、天皇への不敬な発言とか、まぁ韓国の反日的な姿勢が非常に先鋭化している今日この頃ですが、ほとんど断交して良いレベルの失礼さです。本来であれば、同じ自由主義、民主主義、法治主義、等、普遍性のある思想を共有する西側の一員として、日米韓で協力して、北の非核化や中国の脅威に立ち向かおう、なんて共闘すべきところを、非礼な態度を日本に対し取り続ける事で、とてもそんな協力体勢が築ける状況には全くなっていない、それが現在の日韓関係です。ある意味、韓国をアメリカや日本等、自由&民主主義陣営から切り離し、中国&朝鮮側に付けたい、と言う文大統領の狙い通りの方向に進んでいるのかもしれませんがね・・・。こうした度を越した度重なる韓国の反日的態度には、私を含め多くの日本人の皆様が怒り心頭でしょうし、米中韓の三国の連合で中国や北へ厳しい対応を取りたい米国にとっても、こうした一連の韓国の反日的態度は、大変迷惑な話として目に映っているはずです。でも、こうした彼ら韓国の反日姿勢は別に今に始まった事ではございませんし、ある意味これまでズーっと一貫して続いて来た態度でもあります。彼らは、国家予算を使ってまでして国連やアメリカの国会議員達、その他、アジアや欧州の政治家達やメディア等に積極的に反日のロビー活動、主に慰安婦問題の拡散を行って来ており、慰安婦の嘘を海外で事実(嘘ですが)として定着させるべく強力なプロパガンダ活動を推し進めて来ました。執拗なまでの日本のイメージダウンを狙った反日プロパガンダ行為です。もうそれはまるで反日が国是のようであり、まるで重要な国家戦略であるかのように反日活動が行われています。相当な気合の入れようであり、筋金入りの反日国家と言ってもよい存在だと思います。日本にとっては言わば“敵“と言ってよい存在でしょう。こうした韓国のアンチジャパンプロパガンダのおかげで国連の人権委員や欧米の政界からも"日本は元慰安婦のオバさん達にもっと謝れ、そしてもっと補償をすべきだ!"なんて要求をされている始末です。騙されているとも知らず日本をそんなに責めてどうすんの?って話ですが、まぁ、韓国の嘘のプロパガンダが見事に成功している証拠ですよね。“嘘を百回言えば本当になる“、等と言う中韓の悪しき思い入れ、悪しき伝統に間違った自信を与えてしまう事になりますので、良くありませんね。"この世界は、こんなにも簡単に悪事がまかり通る世の中なのか!チョロいもんだ。"なんて変な自信を付けられても困るのです。放置して良い話ではありませんし、必ず白日の下に晒して悪事は続かない事を示してあげないと彼らの為にもなりません。これら反日行為には中国共産党が資金的に援助をしたりして裏で手引きをしている事も、もう判ってはいるのですが、それでも、仮に中国からの反日活動への誘いがあったとしても、韓国にその気が無ければ先に進まない話だった訳ですから、韓国の反日行為は韓国自身の意思としてやっている、とそう考えるべきでしょうね。であるならば、韓国は、反日国であり、"敵"とカテゴライズされても致しい方ない存在であり、我々は、彼らの反日活動と言う敵対行為に対しより一層警戒をし、彼らの反日攻撃から日本国民を守る必要がありますね。


【2】 主な反日行為 慰安婦と徴用工と竹島の嘘の主張

では、まず、彼らの主だった反日行為とは何なのか、考えてみたいと思いますが、まずは、ご存知の通り、彼らの代表的な反日行為とは、嘘の慰安婦問題の拡散、嘘の徴用工問題請求で日本企業に不当な損害を与えている事、そして、竹島の嘘の主張、等がございますね。それらがどういったものか、再度下記に簡単におさらいをしたいと思います。

2-1.慰安婦問題
まず、慰安婦問題で問題となっているのは、“第二次世界大戦中に従軍慰安婦となった韓国の女性達が軍(日本国)によって無理やり連行され性奴隷として強制的に働かされ虐待的な扱いを受けていたと言う嘘の主張です。また、その強制連行の指示は国(日本国)から出ており、国が悪いのであって、日本国はその女性達に謝罪、補償すべきである”、と、そう言う主張が、韓国側が主張している慰安婦問題なのかと思います。これは、国連の人権機関や一部のアメリカの政治家からの批判もほぼ同様の内容となっているかと思います。まぁ彼らは韓国側の嘘のプロパガンダに騙されている訳です。ただ、彼らが強制連行説の根拠として使っている吉田清治の主張は、後日デマ、作り話であったと吉田自らが自白している訳ですから、本来根拠に使ってよい話では無いはずです。吉田説の拡散に貢献した朝日新聞も後日、吉田説を撤回、否定、謝罪をしていますので、その論拠としていた吉田説が嘘と判明した段階で、韓国は、慰安婦問題のプロパガンダを止め、日本に対し"嘘の情報とは知らず日本を批判してすまなかった"と詫びて、この件はお終いにすべきだったのです。また、韓国の主張に騙されていた国連や欧米の政治家達も“すまなかった、嘘に振り回され間違った批判を日本にして来てすまなかった"と言って日本に謝罪をし批判を取り下げるべきなのですが、韓国政府は諫めるどころか寧ろ状況を悪化する方向に事を煽り続けています。また、この騒動の過程で、日本政府がその強制連行への当時の国の関与があったかのような内容になっている"河野談話"を出してみたり、被害者だと言う元慰安婦のご婦人達が強制連行や酷い扱いを受けた事は本当だ、等と偽りの主張をしだしたり(言う事がコロコロ変わり全く信憑性に欠けますが・・・)、安倍さん達も、日韓合意等でまた謝罪まがいな事をして、日本に非を認めているかのような印象を国際社会に対し与えてしまう事となり、逆に慰安婦問題の強制性が真実であったかのような誤った印象を与えてしまい、よりこの慰安婦問題を嘘と主張する事を難しくさせてしまっているように見えます。今では韓国全体がその強制連行への当時の日本国の関与を信じ切っており(か、もしくは、嘘と知りながら、憂さ晴らしに日本を叩く材料として使っているのか、正直不明ですが・・・)、まるで事実のように日本を非難し続け、韓国の国内や国外に慰安婦像を多数設置し、まるで国是でもあるかのように慰安婦問題への謝罪と補償対応を日本政府に対し繰り返し要求し続けています。ただ、先程も申しましたように、80年代に吉田清治が言い始めた強制連行説がこの騒動の発端ですので、吉田説が嘘と判った段階で慰安婦問題での日本への批判は本来終息させるべきだったのです。また、仮に、万が一、国の強制性が本当に一部でもあった、と言うようなケースが今後出て来たとしても、本来であれば、60年代に日韓間で結んだ“日韓基本条約”とその付随協約である“日韓請求権並びに経済協力協定”から、日本政府にその対応を要望するのは筋違い、韓国政府が対応するのが筋です、と言うべきなのです。“日韓基本条約”とその付随協約である“日韓請求権並びに経済協力協定”では、日本が膨大な金銭的な援助をする引き換えとして、今後一切戦時中に起きた様々な個人的補償の対象となるような請求が韓国国民から出て来たとしても、それらの請求権は一切放棄する、よって彼らが日本政府を訴える事はない、と言う内容が、日韓二国間の基本条約な訳ですから、仮に国内にそんな不満が後から出て来たとしても、本来であれば、その場合、“そう言った請求は日本政府ではなく我々、韓国政府に向けて請求すべきです”と国民を諭すべき立場にいるはずで、今のように、戦時中の不満を持つ方々と一緒になって日本政府を非難している今の韓国政府の対応の仕方は間違っているし、筋違いです。しかも、元々、請求権は放棄するがお金をもっとくれ!と願ったのは、韓国側だったはずです。日韓の国家間の約束として取り決めた事な訳ですから、しっかりと履行すべきなのです。更に驚くのは、司法もこれに便乗して慰安婦や徴用工等、個人補償を次から次へと認め、日本に賠償請求をする始末です。最高裁と言うには冷静かつ客観的な善悪の判断が出来ないようです。これらの反日的態度は、韓国の日本に対する甘えだと思っています。こうした間違った姿勢は断じて許してはなりません。因みに、日本がこの基本条約時に拠出した金銭的支援は、当時の韓国の国家予算の2倍強、日本の国家予算の40%程度となると言われております。8億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの合計8億ドル、現在価値で約2兆円程度?)の資金提供と言われており、加えて日本の資産、インフラ約53億ドル相当も手放しており、それら日本の血税を投じて作った巨額のインフラ資産を韓国は無償で手にいれたのです。それらは、現在の価値で約12兆円程度となる、と言われており(8兆円程度と言う説もあり)、それらを合わせた場合の総額は、現在価値でどんなに少なく見積もっても10兆円で、人によっては16兆円程度とか、はたまた20兆円強である、とか、または、その他の諸々の追加支援を含めると約60兆円強にもなる、と言う試算もある位です。だとすると、もうこれは天文学的な金額になります。何れにせよ、こうした日本の手厚すぎる経済的支援を手にした当時の韓国政府は、それらを元手にして、漢江の奇跡と呼ばれる経済発展を成し遂げ、今日の発展の基盤を築いています。その経済発展自体は良いにしても、その築き上げた富でもって、本来であれば、戦時中の様々な国民の個人請求に対応すべきと思います。それを日本に責任転嫁して、日本に批判の矛先を向け、条約を無視して日本に対し補償の請求をしてくる今の韓国政府の対応は、条約違反だし、国家として恥ずべき態度と考えます。
この状況をリセットする為には、まず、この慰安婦問題にお墨付きを与えている河野談話を撤回をする事から始めるべきです。慰安婦を強制連行したと言う、韓国側の主張は誤りだ、と明確に否定すべきなのです。実際、河野談話の作成に携わった石原信雄元官房副長官によれば、『“河野談話に、政府による強制連行を認めるような文言を入れてくれさえしたならば、もう今後一切この慰安婦問題を蒸返すことはしないから、頼むから我々を信じて、政府指示による強制連行を認めるような文言を談話に入れてくれ、それさえ出来れば今後日韓両国は未来志向で前だけ向いて行けるはず。だから何とか強制性を認める文言を談話に入れてくれ”、と韓国側に懇願されたので、当時の政府としては、その言葉を信じて、無理やり強制性を認めるような文面にして談話を公表したのだが、本当は国内の資料を幾ら調べても、その強制性を裏付けるような、証拠となるような資料は一切出てこなかった』と、言われていたようです。そうした発言から判る事は、日本政府は、韓国政府にまんまと騙された、と言う事です。であるならば、日本政府が直ぐにすべき事は、内容に不正確な表現があったとして、河野談話を即座に撤回すべきなのです。『“河野談話に政府による強制連行を認めるような文言を入れてくれさえしたならば、もう今後一切この慰安婦問題を蒸返すことはしないから、頼むから我々を信じて、政府指示による強制連行を認めるような文言を談話に入れてくれ、と、韓国政府側から懇願されたので、本当は事実ではないし、本当はいくら探してもその強制性を示すような証拠は一切出てこなかったのだけれど、この問題に終止符が打てるなら致し方ないと思い、仕方なく要望に応じる事にしたが、今思えば、やってもいない事をまるでやったかのような印象を与えるような文言にしたのは誤りであったし、事実に基づいた本当の談話を再度出し直したい。』として、世界に向けて河野談話の撤回を宣言すべきなのです。そうでもしないと、今後、この慰安婦問題の強制性の話は、まるで史実のように扱われ続け、その不名誉は未来の日本の子供達に永遠に降りかかってくる事になります。自分達が良い人ぶる為に未来の子供達に不名誉を強いるなんて言う事はすべきではありません。ここは意を決して、世界に向けて逆のプロパガンダを実施し、韓国側の言う強制性を明確に否定する主張を強硬に主張、喧伝すべきと考えます。また、追記として、元慰安婦のご婦人達が主張する、“日常的に虐待、暴行を受けていた”、とか、“性奴隷のような酷い扱いを受けていた“とか言うそうした主張も、どうも聞こえてくる実際の状況とは大分かけ離れているようです。どうも聞いてみると、慰安婦が兵士達と映画を観に行ったり、場合によっては仲良くなって結婚するケースもあったりと、どうも随分大切に扱われていたようで、虐待等と言う状況には程遠い状況だったようです。また、待遇面でも、一般的な日本兵の月給の20~25倍位の巨額の報酬を得ていたようで、その事を新聞記事で批判されたりしていたようです。もし、それが事実だとすると、破格の高給取りであり、元慰安婦のご婦人達の主張とは、大分かけ離れた現実が、そこにはあったようです。もうこうなるとホント嘘だらけですね。これらの嘘の申告に基づき、国が謝罪したり賠償したり国連や海外の政治家から非難されている今のこの現状は本当に異常であり、愚かしい状況と言えるかと思います。

2-2.徴用工問題
徴用工問題請求の訴訟を起こしている4名に関しては、既に、通常の求人募集に対し自らの意思で応募をし、就職した方々だと判明しておりますし、そこに強制性があった痕跡は無く、虚偽の主張で請求をしているようなので、基本無視すべき内容なのかと思います。であるにも拘らず、この件を当時の日本政府の強制性があったとする韓国の司法にも呆れますし、今後、これらの判断に基づき、資産凍結等が起きて来た場合には、相当厳しい報復対応で応じるべきかと思われます。それが、関税アップなのか、出入国の制限なのか、韓国の産業に打撃を与えうる戦略的部材や機械の輸出禁止なのか、判りませんが、相当厳しい対応で応じるべきと考えます。個人的には条件付きの断交でも良いと思います。また、この件も慰安婦ケースと一緒で、仮に今後、徴用の強制性が認められるようなケースが万が一出て来たとしても、その場合は、上記と同じく、“日韓基本条約”とその付随協約の“日韓請求権並びに経済協力協定”でもって一切の請求権を放棄します“、と言う、当時の韓国政府の約束に基づき、もし戦時中の個人補償への要望等が出てきた場合には、韓国政府がその対応をすべきなのです。であるにも拘らず、日本政府に徴用工のに配慮をせよだとか、裁判所の判断に従え、と言うその韓国政府の態度は、条約に違反していますし、全くの論外だと思います。

2-3.竹島問題
竹島(韓国名:独島)は、日本側から見れば、江戸時代から鬱陵島に渡る為の停泊地として、またはアシカやアワビの漁場として利用されていたようです。明治に入ってからは、明治38年の閣議決定からは島根県の一部として認識されるようになりました。韓国側の主張は古地図や古文献に登場する“于山島”が“独島“なのだと主張している訳ですが、実際にはそれらの古文書に登場する干山島と現在の竹島とでは合致しない点が多く、根拠に乏しいと言う意見もございます。そうした見解が分かれる竹島ですが、日本が戦争に負け、無防備であったころ、1952年に反日の韓国の初代大統領・李承晩大統領によって漁船立入禁止線(いわゆる李承晩ライン)が勝手に一方的に制定され、竹島(独島)は韓国の支配下にあると一方的に宣言され、それ以来、韓国による不法占拠が続いています。65年の日韓基本条約で、李承晩ラインは廃止にはなりましたが、不法占拠は相変わらず続いている状況です。この態度は、実効支配したモン勝ち、声が大きいモン勝ち、と言うケンカを売っているかのような態度であり(アメリカなら間違いなく軍事行動を起こしています)、日本としては当然了承できるはずもありません。この李承晩ラインの制定によって、日本の漁師たちは多数、韓国軍に拿捕され、逮捕後には虐待を受け死亡する者すら出ています。かなり乱暴な対応でした。日韓基本条約締結までの間に韓国軍に拿捕された日本の漁船は328隻、死傷した漁師は44人、3,929人が刑務所に抑留されたと聞きます。韓国軍からの海上保安庁の巡視船への銃撃も15件におよび、16隻が攻撃の対象となったと聞きます。 また、日韓基本条約の交渉時には、この抑留されていた4千人弱の日本人の人質が交渉の材料として使われ、韓国側にとっての有利な条件が導き出されたとも聞いております。まるでヤクザのような対応の仕方です。だから”敵”と言いたくなるのです。李承晩政権時の韓国の日本への態度の悪さについては、米国側も懸念を示していました。当時の駐日米国大使ダグラス・マッカーサー2世は、国務省への機密電文の中で“国際的な品行や道徳等の基本原理を無視した実力行使の海賊行為”、“日本人は李承晩の占領主義的手法で苦しんでいる”と言っていたようです。反日精神剥き出しの初代大統領が始めた国が韓国ですから、ある意味あの国の反日体質はDNAのような類のものなのかもしれません。まぁ李承晩の死後の行き先はあまり良い所ではないと思いますがね・・・。まぁでも、両国が領有を主張をしているケースなのですから、普通、友好国同士であれば、自国領だと主張をする事はあるにしても、普通遠慮して不法占拠なんてする訳ないだろ?って言うのが私の個人的な感想ですがね。だから”敵”だと言いたくなるのです。主張は許すにしても実効支配は止めて竹島からは即刻手を引くべきでは?と考えますがね・・・・。

2-4.何故嘘をついてまで反日行為を続けるのか?
では、何故彼らは嘘の情報を使ってまでして反日行為を続けるのか?ですが、その理由を考えてみますと、それが、もし、日本に併合され、日本の一部であった時代が35年も続いた事実自体がとても悔しいし、恥ずかしいし、認めたくもない、その歴史そのものを否定したいし、葬り去りたい、日本が大嫌い、と言うのであれば、それは理解出来ますし、甘んじてそれは受けるとして、でも一方で、もし日本の併合が無く、李氏朝鮮のまま鎖国を続けていたならば、その場合、貧困と不衛生と前時代的な生活と酷い人権状況が続いていたであろうし、覚めない悪夢の如き生活がずーっと続いていたであろう事も容易に想像が付くのです。また、仮に日本に併合されずに、あのまま鎖国を続けていたとしても、宗主国の清自身が既に多くの土地を列強に切り取られ半ば植民地状態に陥っていましたので、かなりの確率でロシアに占領され、ロシアの一部となっていた可能性が相当高いのです。(朝鮮半島をロシアに抑えられたなら日本も終わりですがね・・・だからこそ朝鮮を守りたかったのです)その場合、言語(ハングル)を含む独自の文化と伝統を失っていたはずで、その意味で併合は自国のアイデンティティーも保てたし、李氏朝鮮時代にはなかった下水道インフラ、教育、医療、貨幣経済と、近代国家の基盤が整備され、朝鮮半島の方々にとっては、そう悪い状況では無かったはずなのですがね。でも、一部韓国から聞こえてくるような、日本が朝鮮半島にやって来ては略奪を繰り返し朝鮮人の方々を虐げ朝鮮を地獄に陥れた、なんて言う酷い主張が聞こえて来ますが、それらは全くの誤解であって、実際はその真逆であり、自分達の血税、天文学的な予算と人員を朝鮮半島に投じて朝鮮の近代化に相当尽力をし、人々の教育、衛星、経済状況を大幅に改善させた事も判っております。では、何故、そうした改善があったにも拘わらず、彼の地の人々は不満と批判ばかりで反日行為を止めないのか?また、何故そもそも日本は朝鮮半島を併合する必要があったのか、その辺りを次章、次次章で説明して行きたいと思います。


【3】日本が併合した理由

3-1.幕末の動乱と維新が起きた訳=帝国主義の時代
日中戦争、太平洋戦争はまた別の意味があったかと思いますが、少なくとも、幕末から日清、日露戦争までの日本の動きを知るには、当時の世界情勢を知る必要があります。当時の世界は、弱肉強食の植民地支配の時代、帝国主義の時代でして、世界中が欧米列強の植民地となっていました。彼らの近代的な科学技術力を背景とした圧倒的な軍事力と財力の前に、アジア全域やアフリカ全土、中南北アメリカ全域の殆どの国々は、圧倒され、屈服され、脅迫され、蹂躙され、搾取され、支配される植民地となっていました。一部の欧米列強が支配側に立ち、それ以外の国々は全て支配される側、植民地側、と言う構図でした。アジアはどうかと言うと、アジアでは辛うじてタイと日本だけが独立を保っており、アジア最強と思われていた中国、当時の清は、イギリスに戦争で負け、様々な国からも干渉を受けて土地を奪われ相当弱体化していました。イギリスには度重なる戦争で香港など九龍半島南部を獲られ、フランスとも揉め、ロシアにも北京条約の仲裁と引換に国境沿いの沿海州を取られ、土地と力と主権を大きく削がれ、内乱は止まらず、亡国が見えていた状況でした。そうした惨状を見聞していた当時の日本の幕末の志士達は、次は日本がやられる番と懸念し、始めの頃は尊王攘夷として鎖国を志向していたのですが、欧米列強との数度の小競り合いを通じて、欧米列強との実力差をまざまざと見せつけられ、このままでは欧米との力の差が余りにあり過ぎて全く太刀打ち出来ないし、鎖国をした所で絶対国を守り切れない、と痛感をし、まずは西欧化し近代化する事で欧米と力の差を埋め近代的な強国にならないと全く話にならないと鎖国政策から大きく方針を変換する事とし、侍の世を終わらせ、そして明治維新を起したのです。急ピッチで欧米の文化や産業を学び、富国強兵の政策を取り、貪欲に欧米の産業、法制、教育、文化、何より軍備を短期間で吸収し増強して行きました。力が付いて来た新生日本の明治政府は、同じように近代化、西欧化する事で欧米列強に対し共闘しようと清や朝鮮に呼び掛けるも清は中華思想から来るプライドなのか、日本からの誘いを断り、朝鮮は当時清の一部、属国であったため、親である清を習ったのか日本の誘いに耳を傾けませんでした。ただ、日本からすると、当時の懸念は、数多いくいる列強の中でも、世界最強の陸軍と世界一、二位を争う海軍を持つロシア軍の南下を最大の脅威と捉えており、最も懸念していました。よって、もしそのロシアが朝鮮まで占拠して来た場合には、目と鼻の先の朝鮮を足場にして、そこからロシア海軍の総攻撃を受けた場合には、もはや日本を守り切る事は出来ない。即ち亡国の時を迎える、と当時の日本人達は懸念を共有していたのです。幕末から明治の志士達は、そう言った危機感意識の中、富国強兵政策を急ピッチで進め、同時に東アジア(清と朝鮮)との共闘を希望しつつ、何より朝鮮半島をロシアに占領されないようにする為に朝鮮を親日で近代化された強国にすべく動いておりました。この危機感、朝鮮半島がロシアに占領される=日本滅亡、その回避の為の、朝鮮の独立と近代化と強国化、という願いが、実は、日清&日露戦争の発生要因です。(征韓論が出た理由でもあります)これら二つの戦争は、朝鮮半島をロシアから守る為、朝鮮を独立させ、近代化された強国にする為に行われたのです。それ以降の戦争は力を持った日本が満州を介して中国と揉め、欧米の支援を受けた中国軍のゲリラ戦に対応しつつ戦線が拡大して行った日中戦争、太平洋戦争は、力を付け横暴に見えた日本への欧米列強からのイジメで、最後は石油を断たれ開戦せざるを得なかった戦争であって、日本としてはアジア諸国を植民地支配から解放したい願いも相まって始めた戦争でしたが、少なくとも日清と日露の二つの戦争は、朝鮮半島をロシアから守る為の戦いであったのは間違いのない事実です。何せ朝鮮半島のロシア化は亡国と信じていましたのでね。それは必死で朝鮮を守り強国化しようとした訳です。

3-2.日清&日露戦争=朝鮮のロシア化は亡国との懸念による 保護国家化と伊藤博文
日本は上記の危機感から朝鮮と清(中国)に対し、“御両国とも我々みたいに近代化して西欧化して軍備を強化して一緒に強くなって、欧米列強から、東アジアを守りましょう!”、と提案をしたのですが、中々なびいては貰えませんでした。アジアの盟主と思われていた清(中国)としては、“アジアの盟主であった清に向かって何を言うか!”と言う事だったのかもしれません。その中華思想、プライドからなのか、清は中々なびきませんでした。朝鮮は長らく中国の属国で、中国(清)の一番弟子としての小中華思想と呼ばれるプライドからか聞く耳を持たず、鎖国を続けていました。でも、宗主国の清は、当時、欧米列強に虐げられ、土地を切り取られ、ボロボロに成っていたので、もっと現実を見るべきだった所を中々同意してもらえませんでした。でも、日本からすれば、朝鮮がロシアに取られれば日本はお終いと思っていましたので、“ああそうですか、判りました、朝鮮は鎖国ですね”、と納得する訳にも行かず、最低でも朝鮮だけでも近代化された強国になってもらいロシアの侵略を撥ね退けて貰わねば絶対に困る!と思っていました。そしてその為には、まず朝鮮の清からの独立から始めねばならず、その為にはまず開国が必要でした。しかし、当時は、"朝鮮とは、中国(清)によって冊封された中国(清)の属国である"、と言う認識を、清側も、朝鮮側も共に共有しておりましたので、朝鮮が独立国である事を両国に認めさせる所から始めねばならず、その意識変革が喫緊の課題でした。まずは、双方に、朝鮮は独立国だと言う認識を持たせるべく、清にも、朝鮮にも意識変革の必要性を説き、働き掛け、重ねてプレシャーを掛けては、朝鮮の開国と独立と近代化の要求を強めておりました。その頃の李氏朝鮮では、王族の内部で権力闘争が起きており、その内紛が日本に朝鮮の開国のチャンスを与えました。当時は、若い高宗が国王で、彼の父・大院君が、長らく摂政として政治の実権を握り鎖国主義を貫いていました。大人しい王だった高宗に対し、強いキャラクターの持ち主で、且つ名門一族・閔族の出身の妻・閔妃は、次第に政権内で発言力を増して行き、鎌倉の北条家と同じく一族として閔一族が政権の中枢に集まって行きました。大院君と敵対していた閔妃はとうとう大院君を追放し、政治の実権を握りました。攘夷主義で日本からの開国の要請をずっと退け続けて来た大院君が退いた事、また閔妃の重要な閣僚に開化派がいた事等が、その後の開国への素地を作りました。ちょうどその頃、日本の軍艦雲揚号が江華島付近で朝鮮軍から砲撃される事件が起き、日本軍はその砲撃の責任を朝鮮政府に問い、交渉のための開国を迫りました。そのプレッシャーの結果、1876年には日朝修好条規が締結され、日本は遂に念願の朝鮮の開国を実現させました。また、その日朝修好条規の中では、朝鮮が清朝の冊封から独立した国家主権を持つ独立国であることが明記されました。その後は、閔妃による閔氏政権と日本とが共に急ピッチで近代化を進めましたが、早急な改革に財政が逼迫し、給与未払い等が発生し、また物価も高騰していた為、不満を持つ者達が増大し、また冷遇されていた大院君派の一派もその不満勢力に合流し、それら合体した不満分子達が引退していた大院君を担いでとうとうクーデター(壬午軍乱)を起こしました。しかし、そこに宗主国の清が割って入り乱を沈め、清は大院君を排除し、閔妃の閔氏政権を清がバクアップする形となり、閔妃は復権を果たします。そこから閔妃の閔氏政権は清と関係が深くなり事大党を結成し、次第に反日となり、日本と結んで改革を進めようとしている独立党と対立をし始めます。独立党は明治維新を経た日本のような近代化された国家を目指していたグループであり、日本としては相性が良かったのですが、甲申政変と言うクーデターを起し閔氏政権転覆を狙うも清により鎮圧され、独立党の主要メンバー金玉均は日本に亡命し潜伏する事となり、日本では福沢諭吉や頭山満等と親交を結びます。後日、金玉均は、罠にはまり上海で虐殺され、同じく他の独立党の面々も惨い殺され方で果て、その惨状を嘆いた福沢諭吉が、その後直ぐに脱亜論を唱え始めたのも、この金玉均達の死に絶望したからのようです。独立党が朝鮮を支配していた場合は、彼らは日本と同じような近代化されたの強国化を志向していたので良いパートナーになっていた可能性が高かったのですが、歴史はそう言った方向には動かず、閔氏の支配が続いて行きました。曲者の閔妃は、次第に清の横暴さにも辟易し、今度はロシアに接近をし始め、ロシアの朝鮮政府への関与が強まって行きました。日本にとっては最も恐れたロシアと朝鮮の接近です。清もまた宗主国としてロシアと朝鮮の接近を懸念し、一度追放したはずの大院君をまた担いで、閔妃に圧力をかけようとしますが、大院君にはかつての求心力はなくうまく行きませんでした。
そうした日清露の朝鮮での主導権争いと朝鮮王族内の王妃と大院君の主導権争いが相まって混沌としていた当時の朝鮮情勢でしたが、当時の日本にとっての最大の懸念が、朝鮮半島がロシアに取られて、朝鮮を足掛かりとしてロシアから日本が攻撃を受ける事でしたので、それを防ぐ為には、先ずは、何よりも朝鮮に独立してもらって、同時に近代化され列強に植民地化されないだけの強さを持った独立国になってもらう事が、当時の日本の彼岸でしたので、何よりもまず朝鮮を宗主国である清から切り離し、一旦独立させる事が最重要課題となっていました。その為に、その後、日本は清との開戦に突き進んで行く事となりました。この戦いで、日本は清に勝利し、下関条約が成立し、日本は、賠償金を獲得し、遼東半島、台湾、澎湖諸島を獲得し、負けた清は、朝鮮に対する宗主権を放棄したので、念願の朝鮮の独立が実現しました。これで朝鮮を近代的な主権国家に生まれ変わらせる事が可能となる状況が段々と出来て来た訳です。ただ、一方で、この日本の勝利は、東アジアにおいて権益を有するヨーロッパ列強を刺激し、彼等から警戒される事となり、その結果、ロシア、フランス、ドイツの三国による干渉を受け、結局、遼東半島を手放す事となります。三国干渉を受け、面目を失った日本を見ていた閔妃は、日本よりも強いロシアと組んだ方がまし、とでも判断したのか、ロシアへの接近を始めます。ロシアの朝鮮半島への関与を強化させ、日本の影響下にあった訓練隊を解散させ、ロシアの教官によってできた侍衛隊に置き換えようとする等、露骨に親日派の排除を進め始めました。閔妃のそうした動きは閔妃に不満を持つ大院君や開化派勢力、そして何より日本に危険視されていました。それはそうです。ロシアを朝鮮から守る為にわざわざ清と戦争をした訳ですから、そんな状況下で朝鮮の王妃が、親ロシア路線で、ロシアの朝鮮半島への影響力を強める方向で手引きをしている訳ですから、日本にとっては放置できない、最も避けたい状況の出現です。よって、閔妃は、実質的なクーデターとも言われる乙未事変によって殺害されてしまいます。大院君が主導したとか、日本公使の三浦梧楼が主導したとか、諸説ございますが、双方が閔妃を危険視していたのは間違いないでしょう。この宮中で王妃が暗殺されると言う事件は、日本側の暗殺への関与が疑われ、反発を買う事となり、親露派がクーデター起こす事となります。国王の高宗は、親露派によりひそかにロシア公使館に運ばれ、日本の意を受けこれまで朝鮮の近代化を強力に進めて来た金弘集内閣は打倒されてしまいます。そして親露派の新政権が樹立されます。高宗は翌年、もはや朝鮮が清の属国ではなく、完全に独立した主権国家であることを示す為に、国号を“大韓帝国”と変え、国王の称号も“皇帝”に改めて、高宗自らが大韓民国の初代皇帝に即位しました。この後、日本とロシアは朝鮮と満州の棲み分けなどを話し合う日露協約を4回も行ない利害関係を調整し、穏健派の伊藤博文が提唱したロシアとの協商路線が一時主流となっていましたが、ロシアを仮想敵とする英国との日英同盟が結成された事で情勢は一気に打倒ロシアの方向に傾き、ロシアとの戦争へと突き進んで行きました。
日露戦争の間、大韓民国は中立を保っていましたが、日本は朝鮮の保護国化を目指し様々な手を打って行きます。日本は、日露戦争で、旅順要塞を攻略し、奉天会戦で大勝し、日本海海戦でバルチック艦隊の撃破と、想定外の勝利を重ね、最後はアメリカの仲介でポーツマス条約で講和条約を結び戦争を何とか終わらす事が出来ました。賠償金は得られずとも(日本では新聞が賠償金を煽った御蔭で国民の不満は爆発しましたが)、朝鮮、満州や遼東の租借権と、樺太の一部を得ます。こうして、長年の懸念であった朝鮮半島からロシアの影響を排除し、朝鮮の根元である満州からもロシアの影響を排除しロシアが持っていた満州の租借権を得、ロシア自身との関係も良好となり(ソ連が出来るまで)、これで、長年の懸念であった、“朝鮮がロシアに奪われて攻撃され亡国する”と言う幕末以降ずっと抱えて来た最大の懸念を払拭する事に成功します。また、朝鮮王族内の権力争い(大院君と閔妃)が、朝鮮での利権を目論む諸外国の介入を許し、日清、日露と言う二つの戦争を誘発した事、また、朝鮮国内で起こる反乱を制御出来ない朝鮮王朝自身の統治能力不足、また当時の朝鮮を近代化させる為の基盤となるインフラ不足(貨幣経済、社会インフラ、識字率、諸々)等の理由から、王族のみの力で大韓民国を近代させたり強国化させたりするマネジメント能力は無く、武力を背景にした日本によるマネジメントが必須との考えから、大韓民国は日本の“保護国”となり、他国の介入を許さない中で近代化を急ぐことを決めます。この事は、欧米列強も重々承知しており、日本の大韓民国の保護国家化にも特に列強から不満は出ず、特に英米からは寧ろその方が良いと励ましを受け実行に移しました。
当時の事情を、欧米がどう見ていたかと言う一例として、駐韓イギリス総領事ウォルター・ヒリアーの意見を紹介します。“現在、朝鮮が国として存続するには、大なり小なり保護状態におかれることが絶対的に必要であることは明白であろう。日本の武力でもたらされた名目上の独立も朝鮮には使いこなせぬ特典で、絶対的に腐敗しきった行政という重荷に朝鮮はあえぎ続けている”、“最も顕著な悪弊を改革する日本の努力は、いくぶん乱暴に行われはしたものの、真摯であったことはまちがいない”とあります。この意見からも、“日本による保護国化は致し方なし”と言った欧米の見方が伺えます。
この後、この“保護国”と言う状態から“併合”へと進んでいくのですが、主な理由は韓国内の一進会と言う併合推進派が韓国内で力を伸ばしたことがありますが、大きなトリガーとしては、日本の初代首相である伊藤博文の安重根による暗殺があると思われています。韓国では、独立の気概を示した人物として安重根は英雄視されていますが、でも、これはとんだ勘違いでして、伊藤博文は、寧ろ、穏健派であり、征韓論に最後まで強硬に反対していた人物であり、日韓を兄弟と見、韓国を決して他国に蹂躙させず、独立はしっかり守ると決意していた人物であり、短期で韓国の近代化が確認できたならば、即刻独立させるプランを持っていました。だから、伊藤を大切にし彼を立てていれば、大韓民国の独立と、近代化、強国化の全てが短期間で一遍に達成出来ていたはずだったのです。それを、とんだ勘違いで恩人であるはずの伊藤を殺す事で、自ら独立の道を閉ざし、独立とは逆の併合の道を作ったのは、安重根自身です。取り返しの効かない大変愚かな行為をしてしまった、としか言いようがありませんね。
いずれにせよ、伊藤博文の暗殺がきっかけとなり、日韓は日韓併合へと突き進んで行きました。当時の韓国の最大の政治結社であり“先の日清日露の二つの戦争が、ロシアから朝鮮を守る為に日本が起こした戦争であり、日本は朝鮮をロシアによる植民地化から守る為に、朝鮮を独立させ近代化させ強国化させる事を願って様々な対策を施して来たのだが、それら日本の尽力をことごとく邪魔をして来たのは朝鮮自身であり、保護国化されても致し方ないし、日本の助力得て近代化され強国となる道を選んだ方が賢明である”と言う、まるで日本人のような主張をする政治結社、一進会の“韓日合邦を要求する声明書”と言う上奏声明等を経て、併合が一気に進んで行きました。当時の韓国の国内世論はまだ二分されおり、国際世論も気になっていた当時の日本政府は、慎重に動き、欧米列強他に併合の是非を確認するも、英米は韓国併合に理解を示し、清、露、伊、仏、独等も特に反対をしなかったので、日本としては韓国併合しても問題なし、として併合に乗り出して行きました。

ここまでが3章です。4章以降は次の記事にてご説明致します。

湖畔人

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