優しさ研究所

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本当に“優しい”ということは

2005年04月03日 | “優しさ”総論
まず最初に、“優しい”ということの定義を、自分なりにまとめてみたいと思います。
定義といっても、そんな大それたものではなくて、単に自分が“優しい”とはどういうことだと認識しているかということです。

“優しい”の意味は“優しいこと”であると言ってしまえば身も蓋もないですが、実際にそれが一番わかりやすい解説だとは思います。


よく「好きな異性のタイプは?」というアンケートがあると、必ずといっていいほど“優しい人”が1番になりますよね。
では、このときに求められている“優しさ”とは、どういうものでしょう?


まず“優しさ”の対象から考えてみますと、これが恋人にだけ優しいということなのか、それとも全てに対して優しいなのかというところで、意見が分かれるかもしれません。

では、恋人にだけ優しいということは、本当に優しいということでしょうか?
自分は違うと思います。
それは単に“その人が恋人に優しい”ということであって、“その人は優しい”ということにはならないんじゃないでしょうか。
他の人からしたら、優しくない人かもしれないわけですし。

ここからわかるのは、“優しさ”というのは非常に主観的な評価であるということ。

そのような一部に対してだけの“優しさ”は本当の“優しさ”ではなく、恋愛感情からくるいたわりに過ぎません。
別にそれが悪いことであるとは言いませんが、そのいたわりを真の“優しさ”と勘違いしてほしくはないです。
そんなこと言ったら、この世は“優しい人”だらけになってしまいますからね‥‥
現状がそうではないことは、よくわかるはずです。


自分の考える本当の“優しさ”とは、もちろん全てのものに対する優しさを備えているということだと思います。
人に対する優しさ、動物に対する優しさ、物に対する優しさ‥‥
それを全部備えて初めて、その人は優しいと言うことができるんじゃないでしょうか。

ヒトは動物の中で唯一、全てのものに対する優しさを備えることができる可能性を秘めている動物です。
これは本当にすごいことだと思いませんか?
しかも、誰でも心がけひとつでそれを実現できてしまうんです。

それだったら、自分は優しい人になりたいと望みます。
みなさんはどうでしょうか?


さて‥‥
とりあえず何か内容のあるものを書かないと始まらないということで、急いで序論だけ書きましたが、これからは毎日更新することは難しいかもしれません。
でも、更新がない間も、“優しさ”についていろいろと思索を巡らせてみてもらえると嬉しいです。

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