だんだんと被害の状況が明らかになるにつれて、自然災害の恐ろしさを改めて思い知らされます。
原発などは現在も予断を許さない状況で、本当に心配です。
今回の大震災でも、被災者のためにとたくさんの方々が様々な方法で支援をしています。
私も本当に微力ですが、勤め先の学校を通じて寄付をしたり、コンビニなどで買い物する都度、募金箱にお釣りの一部を入れるようにしています。
芸能人の方々や、スポーツ選手は多額の寄付をしたり、大量の物資を送ったりしてくださっています。
歌や絵で現地の方々を応援している方もいます。
一方、現地へ行ってボランティア活動をしていらっしゃる方もいます。
こういった寄付や支援は、基本的には各自が考え、自主的にやっているものですから、どんな形で行おうと、どの程度の規模で行おうと、全て行為者の自由です。
他の人から「自己満足だ」とか「偽善だ」といった批判を受けることもあるかもしれませんが、迷惑をかけてさえいなければ、気にする必要はないと思います。
例えば、「いい人だと思われたいから」、あるいは「売名のために」寄付をして、○○円寄付しましたと公表したとします。
これは何かいけないことでしょうか?
もちろん、完全に無償の善意であれば、批判の的になる要素はゼロですが、それは本当に難しいことです。
一般的にいいことをしているんですから、多少は自分にもいいことがあっても良いと思うのが普通だと思います。
そういった対価・メリットがあればこそ、支援は大きくなり、長続きもするのではないでしょうか。
目的や意図が何であれ、いいことをしているのですから、それは素直に賞賛する風潮でないと、支援の輪がなかなか広がりません。
それと、阪神大震災などの際にも少し問題になったのですが、思い出作りや自己実現のために現地ボランティアに志願する人がいます。
私なんかはモヤシっ子なので行っても役に立たないと自覚して、自重しているところがあるのですが、もし現地入りするのであれば、ちゃんと自分のできることを活かしに行くのでなくては意味がありません。
食料やトイレ、燃料などもせめて自分たちの分は用意して持っていかなくては、かえって現地の物資を減らして迷惑をかけることにもなりかねないわけです。
とにかく、それぞれが自分のできることを自覚し、できる範囲で支援をしていく必要があるのだと思います。
困ったときはお互い様、いい言葉です。
<追記>
ただ、「第二の災害」(Wikipedia)という言葉にもあるとおり、個々人がバラバラに支援することで現場が忙殺されてしまうことは大いに考えられますので、たとえば団体で整理して送ることによって仕分けの手間を省いたり、支援物資の偏りをなくしたりできますので、そういったことも含めて個々人の配慮が必要ですね。
関連エントリー(同じ窓で開きます)
・善と偽善
原発などは現在も予断を許さない状況で、本当に心配です。
今回の大震災でも、被災者のためにとたくさんの方々が様々な方法で支援をしています。
私も本当に微力ですが、勤め先の学校を通じて寄付をしたり、コンビニなどで買い物する都度、募金箱にお釣りの一部を入れるようにしています。
芸能人の方々や、スポーツ選手は多額の寄付をしたり、大量の物資を送ったりしてくださっています。
歌や絵で現地の方々を応援している方もいます。
一方、現地へ行ってボランティア活動をしていらっしゃる方もいます。
こういった寄付や支援は、基本的には各自が考え、自主的にやっているものですから、どんな形で行おうと、どの程度の規模で行おうと、全て行為者の自由です。
他の人から「自己満足だ」とか「偽善だ」といった批判を受けることもあるかもしれませんが、迷惑をかけてさえいなければ、気にする必要はないと思います。
例えば、「いい人だと思われたいから」、あるいは「売名のために」寄付をして、○○円寄付しましたと公表したとします。
これは何かいけないことでしょうか?
もちろん、完全に無償の善意であれば、批判の的になる要素はゼロですが、それは本当に難しいことです。
一般的にいいことをしているんですから、多少は自分にもいいことがあっても良いと思うのが普通だと思います。
そういった対価・メリットがあればこそ、支援は大きくなり、長続きもするのではないでしょうか。
目的や意図が何であれ、いいことをしているのですから、それは素直に賞賛する風潮でないと、支援の輪がなかなか広がりません。
それと、阪神大震災などの際にも少し問題になったのですが、思い出作りや自己実現のために現地ボランティアに志願する人がいます。
私なんかはモヤシっ子なので行っても役に立たないと自覚して、自重しているところがあるのですが、もし現地入りするのであれば、ちゃんと自分のできることを活かしに行くのでなくては意味がありません。
食料やトイレ、燃料などもせめて自分たちの分は用意して持っていかなくては、かえって現地の物資を減らして迷惑をかけることにもなりかねないわけです。
とにかく、それぞれが自分のできることを自覚し、できる範囲で支援をしていく必要があるのだと思います。
困ったときはお互い様、いい言葉です。
<追記>
ただ、「第二の災害」(Wikipedia)という言葉にもあるとおり、個々人がバラバラに支援することで現場が忙殺されてしまうことは大いに考えられますので、たとえば団体で整理して送ることによって仕分けの手間を省いたり、支援物資の偏りをなくしたりできますので、そういったことも含めて個々人の配慮が必要ですね。
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・善と偽善